されど女は君に厄をもたらしたり
光太郎は夢を見ていた。きらきらした光の粒が辺り一面にふわふわと浮いているなか、あのひとと対峙している。苦しそうな、泣き出しそうな彼女の表情に思わず手を伸ばす。何を悲しんでいるの、何に苦しんでいるの、 そんな、何もかもを自分のせいにしてー
「ええ、ありがとうございます。あとは私が看ておきますから。」
意識の遠いところで、彼女の声がする。全身が鉛のようで、思うようにならない。重たい瞼を開けると、知らない天井だった。視界の右側に、あのひとのきれいな黒髪が揺れて夢と同じ悲しげな顔が映る。
「…本当にごめんなさい。気分はどう?痛いところはない?」
「だい、じょ、ぶ、です…。なんかくたくたなだけで」
どうやら休憩室のようなところらしく、ふかふかの長椅子に寝かされているようだ。彼女に気を遣わせたくなくて体を起こそうとしたが、全く力が入らない。口のなかが乾いて、のどもからからだった。光太郎は諦めて力を抜いて長椅子に体を預けた。ちらりと彼女を見ると、なにやら鞄を探ってこちらに差し出してきた。
「まだ名前を言ってなかったわね。私、白瀬椿。東高2年よ。これ、食べて。元気が出るから」
「いただきます。あ、僕、橋戸井光太郎です。第二中の3年です。」
差し出されたチョコレートを受け取ろうとしたが、腕が上がらない。見兼ねた椿に促され口を開けると、それが口に入った途端甘さが全身に行き渡るような気がした。こんなにもおいしいものだったか。光太郎が口の中を舐めて余韻を味わっていると、椿はやっと少し微笑んだ。
「まだあるから、好きなだけ食べて」
「え?!あ、すいません、食い意地張ってて…大丈夫です…」
椿が目の前にいなければ自分の頬をぶん殴りたい気分だった。こんなきれいなひとの前で何をやっているんだ自分は。絶望で地面に手をついて項垂れてしまいたい、と光太郎は顔を手で覆った。
「ね?元気出てきたでしょう?」
「…あ、ほんとだ」
先ほどまで全く力が入らなかったというのに、今自然に体が動いた。驚いて手を握ったり開いたりしていると、椿はまた少し悲しそうな表情をした。
「さっき見たような、死者に触れると生きているものは力を奪われてしまうの…。体の力のほうは、甘いものでも食べれば回復するんだけれどね。」
「死者って…幽霊ってことですか?」
「そうね、そう思ってもらっていいわ。ふつうあんなふうにはして来ないのよ?ただいるだけ、なのがほとんどなの。」
安心させようとしているのか椿は微笑みを見せたが、その手はスカートの上で固く握られている。
「……心霊現象にチョコが効くなんて知りませんでしたよ。CMにしたら売れるかもですね。」
「ふっ、あはは!そうかもしれないわね、ふふっ。考えたこともなかったわ!」
おかしそうに笑う椿を見て、光太郎はやっと安心した。きれいで穏やかな姿ばかり見てきたけれど、こんなふうに口を開けて笑う顔もなかなかいいものだ。存外快活な人なのかもしれない。こちらもつられて微笑んだものの、椿の表情から徐々に笑顔が引いて真剣なものへと変わっていく。
「…体の力は回復できる。でも、精神というか生命そのものの力は、回復しないの。」
「生命そのもの…?」
「ええ。生命の力は有限なものなのよ。」
「白瀬さん、何か宗教とかやってる感じですか」
「受け入れ難いのはわかるけれど、本当よ。君には話しておかなくちゃいけないし、わかっておかないとこれから大変よ。」
椿の真剣な表情におされて、光太郎は無言の圧力を感じてこくこくと頷いた。にわかに信じ難い、現実離れした話であるが、確かに現実に起こったことだということはこの自分が証明しているのだ。そんな対応も慣れたものなのか、椿は表情を崩さず続けた。
「…生命の力が回復しなくても、寿命は多少早まるけど生きてはいける。でも、その力が弱まっている人は死者につけこまれやすくなるの。生者より死者に近い存在になってしまう。…さっきみたいなことに、何度も遭遇するようになって、……壊れてしまう人もいるわ。」
椿の言葉で、光太郎の手と喉元にあのとき触れた死者の冷たさが蘇った。全身の血の気が一気にさっと引いていくのがわかる。なんとか自分を落ち着かせようと、光太郎は生唾を飲み込んだ。
「その…あんなことがありましたけど、僕どうなるんですか…?」
「橋戸井くんの場合は、生命の力が減ったことはそこまで問題じゃないの。」
「?僕は生命の力減ってないってことですか?」
「奪われた量で言えばかなりのものだったわ。けどそれは、今は…補充してあるからほぼ元通りよ。」
「え、でも、生命の力は回復しないって…」
椿はうつむいて眉間にしわを寄せ、唇を噛んで険しい顔をした。泣き出しそうな、責め苦に耐えるような、そんな顔だった。思わず身を起こした光太郎だったが、簡単に触れるのはなんだか気が引けて、そんな雰囲気でもないとも感じておろおろするしかできなかった。こんなとき、男としてどうするべきなんだ?頭のなかに様々なドラマの情景が浮かんでは消え、手を伸ばしかけては宙をかくばかりの光太郎を沈黙が包む。意を決したように光太郎と視線を合わせて、椿は語りだした。
「私は、…生命の力を奪い、与え、生み出すことができる。その力で生命の力を補充したの。それで生きていける。…ただ、私のこの力は色々なものを引き寄せる。…いいことも、……悪いことも。君はこれから、あんな経験をきっと何度もすることになる。」
光太郎には、自分の不吉な未来を宣告されたことよりも、目の前に座るひとがふつうの人間とは違う人であることのほうが余程衝撃的に思えた。浮世離れしているほどきれいだとは思っていたけど、いきなりそんな特殊能力の話をされても、すんなり受け入れることはとても難しく感じたのだ。
「白瀬先輩は、…ふつうの人間じゃないってことですか?」
「…そうね、ある人はこの力をこう言ったわ。ー神の御業、とね。とんだ傲慢だわ。結局は、こうやって人を苦しめて、ひどいめにっ…」
ごめんなさい、と椿は光太郎の手を両手で掴んで頭を下げた。何度も謝る声と一緒に、火傷しそうなほど熱い涙が光太郎の手に落ちて滲んだ。




