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いときよらなる濡れ髪の女あり

オカルトと美少女好きな私によって、完全に趣味全開で書かれていく物語が、たったひとりでもいい、その心に響いて世界を生きていくための何かになれたら、それが私の赦しとなりましょう。

 この世の不思議で、さしあたって人間が生きる上で理解する必要があるものは、あらかた科学や偉い人が説明しきってしまったように思う。そうしなくては僕らは生きてこれなかったし、身の回りの不思議が解決されたおかげで、僕らは安心して生存する以外のことについて悩んでいられる。仕事のこととか、将来のこととか、お金のこととか、あるいは、恋、とか。


 図書館の長机の端。日差しが柔らかく降る席にいつも座って本を読んでいる彼女。濡れたように艶めく黒髪の人、そのひとに今、ー恋をしている。





 中学3年に進級しても、僕には受験への危機感などなかった。高校浪人なんて出会ったことがないし、本気を出せばなんとかなるに違いないとそう思っていた。部活だって最後の年なんだからと、そちらのほうが断然大事に思ったのだ。


 クラスメートの多くも同じようなものだった。進学校を目指すもの以外は、僕と同じように部活に重きをおいてばかりで、授業を聞いてはいても小テストでは思わしくない点数ばかりを並べては焦りの言葉を吐いてみるだけだった。


 そう、そのはずだったのに。


 僕は決して秀才というわけではない。それでも頭が悪いというほどじゃない。と思っていたのだけれど、夏の気配を感じさせる春の終わりに渡された成績表には、笑い話にするには少々無理のある数字がはっきりと書かれていた。



 案の定母親に叱責され、夏休みが始まって早々に部活のあと図書館通いをすることになってしまった。始めはすぐに疲れて眠ってしまっていたが、最近はほとんど起きている。その原因が、あのひとなのだ。美しい黒髪のひと。


(名前…なんていうのかな…)


 その後ろ姿を眺めながら思う。着ている制服はここらで有名な進学校のものだ。白地に黒いライン、黒のスカートのセーラー服。長く美しい黒髪の彼女に、よく似合っている。


(高校生か…2年、いや3年かな)


 初めて彼女を見たときのことを思い出す。今と同じ席に座って本を読む彼女。伏し目がちであっても、その眼差しの深さを感じた。長い黒髪を惜しげもなく背中に垂らし、静かに本を読む姿。あまりにも大人びたその眼差し。たったそれだけ、それだけのことで心を掴まれてしまった。


 この気持ちを知ってほしい。応えてほしい。でも、拒否されたくない。傷つきたくはない。それは、怖い。でも、でも…。そんな思いを抱え続けて、踏み出せないけど、せめて彼女を見ていたくてこうして通ってきているのだ。


この図書館は人もまばらで、本当に静かだ。かすかにピアノの曲が耳に届く。それと時々、紙をめくる音。それだけ。そんななか本を読むあのひとは、なんて絵になるんだろう。思わずため息を吐いたあと、慌てて問題集をめくってごまかした。あのひとがどうか振り返りませんように、と祈りながらわかりもしない英語の羅列を真面目な顔を作って睨む。

ここにくるとき、ほとんど彼女のほうが先に来ている。彼女はこの図書館の一番奥、中庭の見える席に座る。夕方に来る僕は、必ず彼女のふたつ後ろの長机に座る。顔が見たい、とも思うけど、目の前に座ったとしても顔を見るどころか、きっと緊張で吐きそうになるだけだろう。想像しただけでもあっと言う間に手に汗をかいている。


(普通に普通に…!真面目に勉強してるだけです!この問題が難しくてため息吐いただけなんです!)


わけのわからない言い訳を考えながら、僕は必死に平静を装った。心臓が尋常じゃなく速く強く動いているのを感じる。痛いくらいだ。どくどく、どくどく、と耳のすぐ内側で大きな音がする。もしかしたらあのひとにこの音は聞こえてしまっているんじゃないだろうか。

ぱたん、という音で僕は思わず顔を上げた。彼女は本を閉じ帰り仕度をしている。帰り際に何か言われるだろうか。ずっと見ていたことが実はばれていて、罵倒されたりして…。彼女が立ち上がって僕の背後の出入り口へ向かう間、びくびくしながら顔を伏せていた。すれ違って離れていく、ちょうどそのとき。


しゅるしゅるしゅる。


何かが擦れる音がした。かなり近い。不思議に思って辺りに視線を遣っていると、足元に違和感があった。足の先からふくらはぎにかけて、何かが触れている。いや、触れているというか乗っているというか…。


(巻きついてる、のか?)


両足を動かそうとすると、巻きついているらしい何かは力を強める。気味が悪くなって机の下を覗きこんでみるが、何もいない。けれど、足に絡みつく力はどんどん強くなっていく上、膝のほうへ登ってきている。締め上げようとしている!


(どうしよう、誰か…!)


いやでも、誰が信じてくれるというんだこんなこと。全身の毛穴から汗が噴き出す。息をするのも苦しい。なんなんだこいつは。いやだ、だれか、だれか!


「おやめ」


ほとんど聞こえないほどの、吐息のようなささやき。静かなこの空間で、それは確かに僕の耳に届いた。


…しゅるしゅるしゅる。


足元の何かが離れていく。何かが足から完全に離れて、のどにつかえていたものが取れたように大きく息が漏れ出る。本当に怖いときというのは声が出ないどころか、息をすることさえできないのだと初めて知った。そして、今のささやき…間違いなく彼女だと確信していた。汗を拭いながらちらっと彼女を盗み見る。彼女は僕の少し後ろで、佇んでいる。僕がそちらを見るのをわかっていたように、彼女は少しだけこちらを向いていた。


「ごめんね、」


通った鼻筋、白い肌、薄い桃色の唇、細い首、長い睫毛、そして緑がかった灰色の瞳。悲しげな空気を纏った彼女に、返事をすることすらできなかった。髪をなびかせて歩き去るそのひとに、僕は恋をしたのだ。


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