きらいと言えない
つんつんしてる女子は、あんまりいなかったなと思いまして。
唐突だが、どうしても好きになれないやつがいる。
隣の席の茶髪男子、神田水紀がそれだ。要旨は客観的に見て、カッコいいと称される部類に入ると思う。茶髪にピアスは嫌味なく似合っている(あくまでも客観的な意見だ)し、背だって長身の部類、チャラそうな見た目に反して授業はきちんと受けるし遅刻欠席はしない。ちなみに、誉めていない。決して。
そんな神田は、私にとって苦手な、どうしても好きになれないやつだ。
「るーりちゃん、教科書忘れちゃったから見せて」
「……借りてくればいいじゃない」
この軽薄そうな口調。許したわけでもないのに最初から名前呼び。私からのそっけない言葉も意に介さず、毎回毎回からかってくるこの男が、私は入学してからずっと苦手だ。
何の因果か、何かの呪いか、席替えをするたびに私の前後左右のどれかには神田水紀がいる。もうそこから意味が解らない。私の籤運よ、ぜひとも仕事をしてほしい。
「ね、おねがい!」
語尾にハートマークがついてるような口調でがたがた、と机を寄せて私に並ぶ神田を、苦虫をつぶしたような顔で見てやる(自分では見れないけどきっとそんな顔をしているはずだ)。神田は、呆れたように頬をつついてきた。
「女の子でしょ、眉間に皺寄ってるよ。るりちゃん」
「近い、さわるな」
「なになに、照れてる?近くって照れちゃった?」
「神田、ウザいって言葉、知ってる?」
もうるりちゃんってばひどいな~なんて、あははと笑う神田にむっつり黙り込んで教科書を私の机と神田の机の真ん中になるように置いた。
もうこれ以上話しかけないでほしい、私の怒りがゲージをこえるまであとちょっとだ。神田にイラつく、というよりも。なんでこんな奴に私の気持ちが揺さぶられないといけないのかということにいら立ちが募っている。
「るりちゃん、って呼ばないで」
「なんで?可愛いじゃん」
「…、どこがよ」
こいつに瑠璃、と呼ばれるたびにいたたまれなくなる。いたって普通の、どこにでもいそうな黒髪の真面目な私に相応な名前じゃない。綺麗な顔をした神田に呼ばれることに、私の名前へのコンプレックスが若干傷付くのだ。若干、ほんとに少しだけ。
――瑠璃、って名前は嫌いじゃないけれど。
「可愛いよ、瑠璃ちゃん」
急に、真面目な声で言うから、びっくりして隣を見る。私をからかう甘ったるい声なんかじゃなく、ただ真直ぐな声を発した顔は、いつもよりまともな顔をしていたような気がした。ただ、すぐに私を見てにやにや笑いながら、惚れた?惚れた?と聞いてきたのでそんなことを想ってしまった自分が憎い。
そうこうしているうちに、授業が始まった。午後のお昼休み後の歴史の授業程眠くなるものはない。神田も授業中は煩くしないので、私もぼう、と黒板を眺めながらシャーペンを走らせる。
たまに教科書に目をやるたびに垣間見える、神田のノートは、男子の割に綺麗な字で几帳面に書かれていた。そんなことまで見てしまう自分が、いやだった。
授業が終わって、がやがやと煩い教室の中で神田はまたガタガタと音を立てて机を元に戻した。
「ありがと、るりちゃん。いつも助かってる」
「そう思うなら忘れてこないで」
「え~ひどいな、いつでも見せてあげるねくらい言ってもいいんじゃない?」
「そういうのは、私じゃない人に頼んで」
「俺は、瑠璃ちゃんがいいんだけどね」
知らない、そんなの。その一言が出なくて乱暴にノートと教科書をしまい込んだ。
こんな風にいつだって軽口ばかり、本当の神田が見えてこないから、私は神田が苦手だ。好きになれない。別に、好きにならなくたっていいんだけど。
「え~怒っちゃった?ごめんねるりちゃん」
「怒ってないうるさいこっち見んな」
「つれないな~、そろそろ仲良くならない?俺たち」
「……軽そうだから、いや」
「あはは、軽そうか~そうか~」
掴めない。本体がどこにあるのか、得体がしれない。私が見てるのも、周りに見せてるのも、どれもほんの少しの真実を混ぜた虚像のくせに。自分を守る壁だけ異様に高くて、ものすごく気心知れた人でないと全部の本心を見せない。
だから私はこの男が苦手だ。
そして、そんなことを想ってしまう私自身も、好きじゃない。いつもと違う私の感情を押し込めるようにむっつりと黙り込む。
「るりちゃんは、すぐ顔に出るねえ」
「………」
「俺が知りたい?」
悪戯を仕掛けるような、楽しげな声で。私の方に体を向けて机に頬杖をつきながら言う。まっすぐ前をにらみながら、私は無言を貫いた。
多分、口を開いたら、私は感情のままに言葉を出してしまう。――こいつと話しているとき、私は思ってもないことまで口走りそうになってしまうのだ。そんなの、私じゃない。
「神田と桐島、お前ら今日放課後居残りな」
「………さいあく」
「うっそ、マジで?」
私たちの言葉を意に介さず、それだけ告げた教科担当の先生は、教室を出ていった。
こいつと話したからか、ろくなことがおこらない。勘弁してほしい。
「でも、るりちゃんと居残りなら願ったり叶ったりって感じだな」
「私はアンタと一緒なの、いや」
「つれないなー、ほんと。るりちゃんデレてよ」
「私がデレてどうなるっていうの」
「ん?俺がめいいっぱい可愛がるの」
「……絶対、いや」
頭を撫でてこようとする手を避ける。ちえ、なんてわざとらしい声を上げて神田は笑った。
その顔まで胡散臭く感じるのは私の感受性が悪いわけだけではないはず。
ほんとに、好きになれない。話しているだけなのに息が上がってくるような気がするところも、感情的になってしまいそうなところも、全部。気に食わない。
放課後なんて来なければいいのに、と思いながら次の授業の準備をする。今度は、神田は教科書を貸してとは言わなかった。
――少しだけ、離れた距離が遠く感じたのは、さっき一時間近い距離にいたせいだ。
来るな来るなと思っているとすぐに来てしまうもの。
案の定あっさりとやってきた放課後に、思いため息を吐きながら神田に言われるままに席を立つ。
社会化準備室、という部屋に私たちを呼び出した先生は居た。
「悪いな、呼び出して。このプリント、ホッチキスで止めてクラス全員に配布しといて」
「…わかりました」
どっさりと渡されたプリントを二人でもって教室に戻る。
げんなりした。早く帰れない上に、苦手な人と一緒といういたたまれない組み合わせ。
隣同士の席に座って、机を合わせて作業を始める。さっきみたいに、近い距離にいることが落ち着かない。
神田は鼻歌交じりにホッチキスをカシャカシャしては機嫌がよさげで逆にむかついた。
さっさと終わらせよう、とホッチキスを手にして無心で針を刺す。
どこか機嫌が良さそうな神田はしきりに話しかけてきた。
「るりちゃん、こういうの得意?」
「………嫌い」
「でも手芸部でしょ?縫い物とかは?」
「…それは好き」
「編み物は?」
「好き」
「じゃあ、俺は?」
「…っ、すきじゃないに決まってるでしょ…!」
「なんだ、ざーんねん」
肩をすくめて、かしゃん、とプリントを留めた。
そんな仕草すら癪にさわって、私はむっつりと黙り込む。もうしゃべってなんてやらない。誘導尋問というよりも、きっと好きだと言ってしまっていたら、それこそひたすらからかわれただろう。
「俺は好きだよ。真直ぐな黒髪も、きちんと着てる制服も、几帳面にノート取るとこ、可愛いデザインのものが好きなとこ、ほっそい足も、綺麗な指も爪も。友達と笑ってるとこも、恥ずかしがってちょっと赤くなってるとこも」
「…っ、なに、いって…」
「俺が好きな、るりちゃんの事。もっと言う?いくらでも言えるよ」
静かな声だった。
からかってるような声でもなく、ただ静かに、語る声に調子が乱れる。なんでこういう事を言うの、という声は声にならなかった。
心臓が騒ぐ、息が詰まるような感覚に戸惑う。どうして神田は、いつもみたいにからかってこないのか、わからない。
甘い声が私の耳に溶けていく。いつもみたいな軽薄は調子ではなくて、真面目な調子で、私が知らない神田が顔をのぞかせる。
「好きだよ、全部、好きだ」
「…ばっ、なに…?!」
思わず取り落としたホッチキスとプリントは、床に散らばる。隣を慌ててみれば、ずい、と真剣な顔をした神田がこちらに顔を近づけた。
「なーんて、本気にしてくれた?るーりちゃん」
「するわけないでしょ…!」
むかつく、くやしい、こんなやつ。そんな感情がのど元までせりあがって、目元が熱くなる。なんだってこんなことを言われないといけないのかわからない。
こんなやつ、好きじゃない。あんな風に自分の気持ちまでからかいに使えるような奴、好きなんかじゃない。
「アンタなんて、好きじゃないに決まってるでしょ!」
「え、っていうかどこいくのるりちゃんー?」
「お手洗いよ馬鹿!帰ってくるまでに終わらせといて!」
「そんな横暴な…」
立ち上がって駆け出す。気持ちを落ち着けて、いつも通りの対応ができるようになったら戻るから。今だけは逃げさせてほしい。
あれだけからかってきたのだから、それくらいはやっておけっていうのだ。私は悪くない。
トイレに駆け込んで、手洗い場の前で自分の顔を見る。
真っ赤になった顔は、走ってトイレまで来たから。そのせい。決して、あんな奴の言葉に惑わされたからなんかじゃない。
煩く騒ぐ心臓も、短い距離を走ったから。
――だから、私は、神田の事なんていけ好かない奴だと思っているんだから。
何とか自分を落ち着けて戻った教室で、すっかりプリントをやり終えた神田が待っていた。
配るのは明日にして、帰る支度をする。
さっさと帰りたいのに、一応全部やらせた罪悪感から下駄箱まではついていくことにした。
神田は、相変わらず読めないまま。
「ねえ、俺の事嫌い?」
「……何、急に」
「うん?どうなのかなって思って」
「………………」
どう答えていいかわらなくて、下を向く。
薄暗い廊下は、人の気配なんてものを全く感じない。私は、何と答えたいのか、それすら見失う。
「ねえ、どうなの?俺の事、好き?それとも嫌い?」
「そ、んなの。そんなの、知らないわよ!いけ好かないわよアンタなんか!」
やっぱりこいつと一緒になんて帰ってやるもんか、とそれだけ吐き捨てて私は走って神田を追い抜いた。
ちょっと待ってよ一人じゃあぶないでしょ、という声が追いかけてきたような気がしたけれど、自己最高記録をマークしながら私は廊下を駆け抜けた。
――もし仮に。嫌い、なんて言ったら。アイツはきっと、傷付くんじゃないかと思ってしまったから。私は、誰かを傷付けたいわけじゃない。だから、ただそれだけだ。
「…その割には、“嫌い”とは言わないんだよね、瑠璃ちゃんは」
――1人置き去りにされた廊下でつぶやかれた言葉と意味も、私は知らないまま。
矢印未満は書いてて楽しかったです。
神田の方は自覚してるけど、瑠璃が自覚してないからからかってるだけ、みたいな。