つかまった我
社会人×虫人(蛾)
人は、地位や名誉や金を求めるのと同じように、珍しいものを求める。
鉄の塊がそこらを走る時代は数世紀も前に終わった。
昔は地球温暖化というものに悩まされていたらしいが、立派な科学者達のおかげで今はもうそんな悩みもない。
人は進化しすぎた、俺は常日頃そう感じている。
会社の付き合いで連れてこられた人虫オークションに参加している今は特に。
「それでは、次の商品に参ります」
人と虫の遺伝子を組み合わせて産み出された人虫。
まだ不完全な実験のため、世に出せないその人虫達はこうして裏で珍しいもの好きの金持ち達に売り出されている。
この会場に入る事ができたということはそれだけの結果を出してきたことが認められたということだ。
「次の商品は、」
蝶か?
甲虫か?
「こちらの蛾です」
今まで出てきた美しい人虫達と違って、綺麗な洋服や豪華な装飾品はしていない。
「…」
汚い、薄い布のような服に青く痛々しい痣や擦り傷。
暫く風呂にも入れられていないのか髪もゴワゴワとしているように見える。
それなのに何故か、目が離せない。
俺はその蛾に、魅了されてしまったようだ。
「百万円からのスタートです」
その値段は、他の人虫達に比べ十分の一にも満たないものだった。
その蛾には、膝から下が無いからだろう。
まだ不完全な実験だ、ほとんどの人虫に何処かしらの欠陥がある。
それでも両足が無いとなると世話をするのにそれなりの手間や苦労がかかり、美しい姿の人虫なら兎も角汚い姿をした蛾を買いたいなんて人間はいなかった。
「一千万」
俺以外は。
「他にはいらっしゃいませんね、此方の商品は115番のお客様のお買い上げになります」
俺が手を上げると、周りは驚いた顔をした。
他に買う人間もいないだろうに、態々一千万まで買値を上げたのだから当然だろう。
他の人間にはわからなくても、俺はそれだけの魅力をあの蛾に感じた。
その後も様々な人虫が売り出されたが、先程買った蛾のことで頭はいっぱいだった。
気がついたらオークションは終わっていて、上の方々に挨拶をしてタクシーを見送ったところで声をかけられた。
「商品のご購入ありがとうございます、此方の書類にサインをお願いします」
そういって渡された書類には、蛾についての注意事項等が書かれていた。
一通り読み終わると一緒に渡されたボールペンでサインをして返す。
「配達日は何日をご希望ですか?」
「明日の朝、お願いします」
「わかりました、夜遅いので気をつけてお帰りください」
調度明日は休日だ、他に予定もないし都合が良い。
話が終わるとその男は一度頭を下げてから去っていった。
その後ろ姿が見えなくなった頃、呼んでいたタクシーが着いたのでそのまま何処かに寄ることもなくまっすぐ帰宅した。
自動ドアを通りマンション内へ入る。
夜遅いこの時間帯は、既に寝ているのか管理人が顔を出すこともない。
エレベーターに乗り最上階である10階のボタンを押すと、静かな音をたてて上の階へ上がり始める。
この、部屋のある階に着くまでの時間を待つのが苦手であえてそれほど高くないマンションを選んで部屋を借りた。
なら最上階を選ばなければ良いのだが、間の階はどこか窮屈な感じがしてならない。
10階に着きエレベーターの扉が開いた。
まっすぐ部屋へ向かうと、上着のポケットから取り出した鍵で扉を開く。
ガチャッ
「…ただいま」
迎える人間が誰もいないのはわかっていても、自然と口にしてしまう。
慣れない場所へ行ったことで疲れていたのか、風呂から出るとすぐに布団へ向かった。
明日の朝を思うと、僅かに頬がゆるむ。
「…おやすみ」
誰に言うでもなくそう呟き、目覚ましをセットして静かに眠りにつく。
ピンポーン
ドラマ等でも良く聞くようなありきたりなインターホンの音が部屋に響いた。
重たい瞼を開きふらふらとした足取りで玄関へ向かう。
ガチャッ
「…はい」
「宅配便です。荷物のお届けに参りました」
「あぁ、中にお願いします」
部屋の中へ二人の若い男性が重そうに荷物を運び入れる。
判子の変わりにサインをすると二人は帰っていった。
部屋へ戻り一先ず洗面所で顔を洗い歯をみがく。
顔を洗ったことで少しずつ頭が冴えてきた。
やっと先程届いた荷物を開封しにかかる。
ベリッベリリッ
段ボール箱を閉じているガムテープを、中身に傷がつかないよう手で剥がしていく。
蓋を開くと昨日買った蛾が中で眠っていた。
綺麗な寝顔だが、姿は昨日のまま汚い格好をしている。
書類にそのままで配達するよう記入したからだろう。
小さく軽い身体を抱き上げ寝室へ運ぶと、静かにベッドへ寝かせる。
箱の中に入っていた取り扱い説明書を手に取り軽く目を通す。
餌は人が食べるものと同じでいいと書いてあった。
台所に入り自分の分と蛾の分と朝食の準備をする。
焼魚にご飯に味噌汁、ありきたりな朝食だ。
冷蔵庫からペットボトルの緑茶を出しコップへそそいでいると、寝室からあの蛾が床を這うようにして姿を見せた。
「飯食うだろ?」
そう聞くと蛾は小さく頷いたので、抱き上げて椅子へ座らせた。
「…いただきます」
手を合わせいつもどおりにそう言う。
しかし昨日までと違い今日からは一人ではない。
俺の真似をするように蛾も手を合わせる。
「いた…きます?」
意味を分かっていないようだが、真似をして下手くそにそう言った。
俺が食べ始めると、同じように箸を持とうとするが使い方を知らないようですぐ落としてしまう。
箸の変わりにスプーンとフォークを用意すればやっと食べ始めた。
ゆっくりとだがしっかり全部食べ終えた。
「…ごちそうさまでした」
「ごち…した」
食器を片付けていると蛾から視線を感じた。
「なんだ?」
「…」
何か言いたそうにモジモジとしているが、なかなか言い出さない。
食器を片付け終えまた椅子へ座りゆっくり待つ。
「かって、ありが…した」
頬を染めてそう言われたが良く意味が分からない。
「自分を買ってくれてありがとうってことか?」
小さく頷かれた。
どうやらそういうことらしい。
「どういたしまして」
微笑んで言うと照れたように顔を反らされた。
真っ赤な顔で俯いてもじもじとする蛾。
あぁ、めちゃ可愛い…。