【 短編 】どうぶつのきもち
吉遊作品の中で最もマトモなヒーロー。……ただし、犬。
動物というのは、良くも悪くも素直だ。
『ねえ、もっとキレイに掃除しなさいよ。あっ、ちゃんとお水も変えてよね』
……そう、こんなふうに。
箒を動かす手を止め顔を上げると、こちらを見つめていたらしいウサギと目が合った。所謂ミニウサギと呼ばれる雑種で、名前はマシロさんだ。
クリクリとした円らな瞳が愛くるしい彼女だが、性格の方は先程の言葉から分かるようにちっとも可愛くない。
「……マシロさん、掃除の邪魔だから外に行っててくれないかな」
『嫌よ。だって、外は暑いんだもの』
“まだ小屋の中の方がひんやりしててマシだわ”と呟くマシロさんは、その雪のように白い見た目通り暑さに弱いのだろう。ちなみに、彼女の名前は“真っ白”だからという安直な理由で生徒が付けた。
このウサギ小屋は意外と風通しが良く、マシロさんがお腹をくっ付けているコンクリートの床は確かにひんやりしていて気持ち良さそうだ。
「私、暑いの我慢して掃除してるんだけど。……マシロさんがいたら、そこ掃けないでしょ」
『あんたがサボらないように見張っててあげてるのよ』
そう言って、マシロさんは私の苦情など気にも留めず、ワシャワシャと毛繕いを始めた。
ああっ、折角掃いたのに抜け毛が……。
床に飛び散った彼女の抜け毛に思わず脱力する。……まだアヒル小屋と池の掃除も残ってるのに。
◇◇◇
私――新條莉佳はごく普通の小学校教諭である。
大学時代にとりあえず教員免許を取って、卒業後叔父の勧めで何となく地元の小学校に就職したモラトリアム教師なので、特に子ども好きだったりはしない。それでも、人並みには“学校の先生”という職への憧れはあったため、理想と現実のギャップに打ちのめされたりもしたが。
結局、“辞めます”の一言が言えないまま気付けば教師生活も四年目に突入してしまっている。
そんな、これといって特徴がない私にも人に言えない秘密があった。……こんな言い方をするとアレな感じだが、別にそんな大層な秘密ではない。
ただ―――――動物の言葉が分かるだけである。
しかも、こんな特技(?)があったところで別に動物に好かれたりする訳じゃない。まあ、言葉が通じるので親近感は湧くみたいだけど。大抵の子はマシロさんみたいに私のことを格下扱いしてくる。……なぜだ。
ああ~、疲れた。
小姑のようなマシロさんの小言に耐えながらウサギ小屋の掃除をし、おしゃべり好きなミキちゃん――アヒルだ――の相手をしつつ彼女の小屋もキレイに片付け、最後に池の掃除までしたのだ。
正直、中腰の時間が長かった所為か腰にキた。
生徒達は楽しい夏休みの真っ最中だというのに、なぜ私は学校の動物達の世話をしないといけないんだろう。
そもそも、飼育小屋の掃除は私の仕事じゃない。
今まで動物達――ウサギとアヒルとカメだ――の世話をしてくれていた横田先生が脳梗塞で入院してしまったため、下っ端である私にお鉢が回って来たのだ。
……いくら夏休みだからって、私にも他の仕事があるのに。
まあ、下っ端にそんな文句が言える訳もなく、こうして毎日のように動物達の世話をさせられているのだが。
「うわぁ、結構暗くなってるな~」
改札を通り外へと出ると、完全に日が沈んでしまっていた。
星が輝き始めた空を見て溜め息が漏れる。……今日、ほとんど飼育小屋の掃除で終わっちゃった。
もう、いいや。早く帰って寝よう。
熱いシャワーで汗を流し、愛しいベッドにダイブするためにいつもの帰り道へと足を向けると、見知った姿が私の方に近づいて来ていた。
「ヴォルフ」
『莉佳、今帰りか? もう暗い、俺が家まで送って行こう』
……何で、人間の男性にも言われたことないようなセリフを犬から言われてるんだろう。
そう、犬だ。
間違っても外国人な彼氏ではない。
アラスカンマラミュートという種類の大型犬で、オオカミのような見た目をしている。凛々しいV字型の立ち耳とクルンっとしたスナップ尾のギャップが自分的にツボだ。ちなみに、私のヴォルフの第一印象は“ソリとか引く犬だ!”だった。こう、北国とかにいそうな。
当たり前のような顔をして横を歩くヴォルフを見ると、私の視線に気付いたのか“どうした?”と目で問い掛けてきた。……犬とアイコンタクトできるとか、役に立たない特技が増えたな自分。
「……ねぇ、アンタ一人なの? 恭くんは?」
恭くんというのはヴォルフの飼い主で、私の家の近くに住んでいる男子高校生の名前だ。正確には、鈴城恭平くん。爽やかなイケメンで、ご近所のオバサマ方のアイドルだったりする。
『ご主人はまだ部活だ。駅まで迎えに来たんだが、莉佳が見えたからな』
「見えたから? 何なの?」
『好きな女に夜道を一人で歩かせる訳がないだろう』
「……………」
なぜかドヤ顔で言われた。
いや、別にヴォルフの表情が変わった訳じゃないけど。何というか、声のトーンから“ドヤァァ”というコイツの気持ちが伝わってくる気がする。
「そういうことは可愛い女の子に言いなさいよ、犬の」
『何度も言っているだろう? 俺が惚れてるのはお前だ』
私の呆れた口調には気付かなかったのか、ヴォルフはアッサリと告白じみたことを口にした。……だから、何でこんなドラマみたいなセリフを犬から言われなきゃいけないんだ。人間の男性から言われたいよ。
しかし……まだ諦めてなかったのか。
ヴォルフの言葉から分かる通り、この犬は私に好意を抱いている。それも、所謂“恋愛感情”と呼ばれる類いのものだ。
何でも、私が子猫を助けている姿を見て一目惚れしたらしい。
こういうと、私がすごく優しい良い人のように感じるかもしれないが、実際は木から降りられず“うわ~ん。たかいぃ~”と泣き叫ぶのを放っておけなかっただけだ。……言葉が分かるゆえの弊害である。たぶん、普通の人には“ミャー、ミャー”鳴いてるだけにしか感じられないんだろうな。
『おい、莉佳。聞いているのか?』
過去を思い出し遠い目になっていると、ヴォルフが少し声の調子を強くして話し掛けてきた。
……うん。ゴメン、全然聞いてなかったよ。
心の声が聞こえたのか、ヴォルフは小さく溜め息を吐く。……いや、ホントすみません。
『……だから、最近この辺りは物騒だから気を付けろと言ったんだ』
「物騒って?」
『空き巣が多発しているらしい。莉佳は一人暮らしだっただろう』
実家暮らしは何かと肩身が狭いので、私は薄給ながらも駅から近いマンションに一人で暮らしている。ちなみに、ヴォルフはマンションの向かいにある豪邸と言っても差し支えない家の犬だ。羨ましい。
空き巣ねぇ。
そういえば、回覧板にそんなこと書いてあったような……。
脳内のあやふやな記憶を引き出しながらヴォルフの話に相槌を打っていると、進行方向に人の姿が見えた。
「へえ…………っ」
『莉佳? どうしたんだ?』
突然黙った私にヴォルフは訝しげな声を上げる。
しかし、私の視線の先に気付いたのか大人しく“散歩中の犬”を装ってくれた。……まあ、他の人からしたら、さっきまでとどこが違うか分からないような変化だろうけど。
犬に話し掛ける人間はペット好きな飼い主などには多少いると思うが、犬と会話してる人間はさすがにいない。いたらマズイ。
なので、私がヴォルフと会話するのは人目がないときだけだ。
「あっ、莉佳!」
「……鈴芽?」
前から歩いて来たのは、同僚の鈴芽だった。
実は、彼女とは幼馴染だったりする。……小・中・高と一緒だった親友と就職先まで同じだとは思わなかったよ、ホント。
私と違い“子ども達に音楽を教えたい”という純粋な思いの持ち主で、実際生徒達にも人気の先生だ。……若干、バカにされてる気がするけど。あだ名が“ちゅんちゅん”とかいうあたりが。
「こんばんは。こんな時間まで仕事?」
「……教頭に飼育小屋の掃除を仰せつかったのよ」
「大変だね……あのキツネズラの所為で」
“キツネズラ”とは、教頭の容貌と寂しげな頭髪を隠している秘密道具をかけたあだ名だ。ちなみに、鈴芽の命名。初めて聞いたときは思わず拍手してしまった。中学生みたいな童顔のくせに、意外と辛辣なことを言う女だな。
まあ、面白がって生徒にまでそのあだ名を広めた私が言うことじゃないけど。
「あのハゲ、いつか生徒をけしかけて頭のズラを引っぺがしてやるわ」
「が、頑張れ?」
私の言葉に、鈴芽が気圧されたように一歩後退った。
隣で話を聞いていたヴォルフも尻尾を後ろ足の間に巻き込んでいる。……どうやら、声に抑えきれない恨みが籠ってしまっていたらしい。
『莉佳……?』
安心させるためにヴォルフの頭をワシャワシャと撫でておく。
大丈夫、アンタに怒ってる訳じゃないからね。
鈴芽は家族からおつかいを頼まれていたらしく、駅前のスーパーへと歩いて行った。……お母さんからの“お醤油買って来て”はまだしも、弟の雑誌や妹のアイスはただパシられただけだと思うよ。
「じゃあ、帰ろうか」
十分程度とはいえ、立ち話に付き合わせてしまったヴォルフにそう声を掛ける。
『ああ。……今のは、ご主人の友人の姉か?』
「恭くんって、鷹斗と同じ高校だっけ。でも、あの姉弟似てないのによく分かったね」
『匂いが近かった』
「へぇー、匂いって家族で似るもんなんだ」
そんな他愛ない話をしているとマンションに着いた。
一応、送ってもらった身としてお礼を言っておこうと、屈んでヴォルフへと視線を合わせる。
「もう、ここまでで良いよ。送ってくれてありがと」
『気にするな。俺が、お前を一人で帰すのが心配だっただけだ』
……くっ、優しいセリフにきゅんとしてしまった。
本当に、人間だったらお付き合いしたいくらい紳士的な犬だな。
「……アンタも早く家に帰りなさいよ。恭くんもそろそろ帰って来るでしょ」
『ああ。……じゃあな、戸締りには気を付けろよ』
「はいはい」
御座なりな返事を返し、自分の家へと帰って行くヴォルフを見送る。
空き巣に入られることなんて、そうそうないっての。
むしろ、アンタが住んでる豪邸の方が危ないわよ。
……まさか、このあと空き巣と鉢合わせするとは夢にも思わなかった。何で、私の家にいたんだ。そんなお金があるように見えたのか。
◇◇◇
いつもなら狭いながらもどこよりも居心地の良いはずの我が家は、恐ろしい程張り詰めた空気に包まれている。
遡ること数分前。
見るからに“俺、泥棒!”という格好をした男は、ドアを開けた私に動きを止めた。
「……………」
「……………」
気まずい沈黙が続く。
……え。
何コレ、ドッキリ?
それが、私が空き巣を見たときの正直な感想だった。……いや、ドラマでお馴染みのアノ特徴的な格好をした人間なんてコントっぽくて、悪ノリが好きな友達の仕込みか何かかと。
ぼけーっと自分を見つめる私に空き巣はハッとしたようにズボンのポケットを探り、小さなナイフを取り出して叫んだ。
「……っ、う、動くなよっ!!」
……って、それ果物ナイフじゃん。
とかツッコミそうになったあたり、私もこの状況に結構混乱していたのだろう。
そして現在。
私に心の中でツッコミを入れられたことも知らず、空き巣の男は“どうしよう、どうしよう”と人の部屋を歩き回っている。……張り詰めた空気を出しているのはコイツ一人だ。
「くそっ、まさか住んでる人が帰ってくるなんて……っ。海外旅行中じゃなかったのか!?」
「……それ、隣の吉川さんのことだと思いますよ」
「ええっ!?」
間抜けな空き巣は事前にターゲットを絞っていたにも関わらず、実行段階に決定的なミスをしてしまったらしい。盗みに入る家を間違えるというミスを。
これ、どうなるんだろう。
やっぱり“顔を見られたからには生かしておけぬ!”って殺される系かな。……いや、この犯人に限ってそれはない、と思いたい。
玄関のドアをチラリと見る。
幸い、今いる場所から走れば一分と掛からず行けるだろう。空き巣は相変わらず隙だらけで、私の視線に気付いた様子はない。
……どうしよう。
実は、私は特に縛られたりはしていないかったりする。
空き巣はロープなどの縛るものを持っていなかったようで、私をナイフで脅しながら、ベッドに大人しく座っておくように指示しただけだ。
正直、走って逃げれないことはないと思う。
でも、ナイフ持ってる奴に背中向けるのってかなり怖いんだよね。
この空き巣に人を刺すようなことができるのかという疑問はあるが、人間は錯乱すると何を仕出かすか分からない。果物ナイフとはいえ、当たり所が悪かったら危ないかもしれないし。
安全を第一に考えるなら、ここは空き巣に“警察には届けないから出て行ってください”と交渉すべきだろうか。
「……あの」
意を決して、ネゴシエーターっぽく交渉しようと空き巣へと話し掛けた私の言葉を遮ったのは、ガラスの割れる音だった。
「……え?」
「う、うわっ!? 何なんだ!?」
その音に慌てふためく空き巣に、何か黒っぽい物体が高速で飛び掛かる。
「ぎゃあーっ!!」
「ヴォルフ!?」
ナイフを持つ空き巣の腕に噛み付いていたのはヴォルフだった。
いつもとは違う、オオカミのような風貌を裏切らない荒々しいその雰囲気に驚く。……腕ごと噛み千切りそうだ。
「ヴォルフ、ストップ!!」
その声に、ヴォルフは渋々空き巣の腕から口を放した。
「ええっ、恭くん!?」
「莉佳さん、大丈夫ですか?」
なぜかイケメン高校生がベランダから私の家に入ってくる。
……ま、窓に風穴が開いてる。
私の視線に気付いた恭くんが申し訳なさそうな顔で事情を教えてくれた。……話しながらも、どこからか見つけてきたらしい荷造り紐で空き巣を縛り上げる手腕に感服する。さすが警察官の息子。
「すみません、俺が入る前にヴォルフが窓に開いてた穴に突っ込んじゃって」
どうやら、ヴォルフは空き巣が侵入するために開けた窓の穴から入って来たらしい。
「……うん、仕方ないよね。どうせ、空き巣に割られた時点で修理は確定だったんだし」
ちょっと遠い目になってしまった。
そんな私にヴォルフが心配そうに近付いて来る。さっきまでの荒々しい様子が嘘のようだ。
『……莉佳。怪我はないか?』
「大丈夫、傷一つないわ」
『そうか。……良かった』
警察に電話をしてくれている恭くんに聞こえないように小声でヴォルフと話をする。……ヤバイ、年下に任せきりにしてしまった。
「でも、何で私が空き巣に襲われてるって分かったの?」
『野良猫のマサを知っているだろう? アイツが、変な男がお前の家にいると教えてくれたんだ』
意外と侮れないな、動物のネットワーク。
『空き巣が増えているという情報もあったからな。ちょうどご主人が帰って来たから、散歩に行く前に莉佳の家に寄らせてもらったんだ』
「え? でも、ベランダから来なかった?」
『ああ……玄関に回ろうとしたんだが、近付いたら窓から不審な男が見えたんでな。そのまま突っ込んだんだ』
ヴォルフは“間に合って良かった”と呟いて、労わるように私の頬を舐めた。……そこまで危機感を抱いていた訳じゃなかったし、何とかなるだろうと楽観していた部分もあったので、かなり心配してくれたらしいヴォルフに罪悪感が湧く。
そして、たぶん誰よりも私を思ってくれていることに対する喜びも。
「……ありがとう」
その気持ちのまま、ヴォルフをぎゅっと抱き締めた。
窓を割ったときに少しガラスの破片を被ってしまったのだろう。いつもの柔らかな毛並みにチクチクした感触が混じっている。
『お、おい、ガラスの破片が付いているからやめろ。危ない』
「大丈夫」
『……莉佳』
困ったような声に私は腕の力を強めた。
ヴォルフはしばらく居心地が悪そうにしていたが、私が不安がっていると思ったのか、優しい声で何度も“大丈夫だ”と繰り返してくれる。
犬の彼氏でも良いかもしれない、なんてことを思うくらいには感動してしまった。
◇◇◇
空き巣遭遇事件の翌朝。
事情聴取を受けに警察署へと向かう途中に、ヴォルフと恭くんにもう一度お礼を言おうと鈴城家を訪ねることにした。まあ、向かいだしね。
「……ホント、大きいな」
いつ見ても“豪邸”といった佇まいに気後れしつつ、門に合ったインターホンに手を伸ばしたとき、中から何やら話し声が聞こえてきた。
その明るい声に、来客中なら出直そうかなと思い、何気なく家の方を覗き込むと……。
『ねえ、ヴォルフ~。今度一緒にお散歩に行きましょうよ~』
『あら、彼はワタクシと一緒に出掛けるんですのよ』
『ヴォルフはアタシといる方が嬉しいに決まってるじゃん』
ヴォルフが三人の美女に囲まれてハーレムを作っていた。
「……………」
思わず拳に力が入る。
手に持っていた物が、私の握力に屈したのかグシャっと音を立てた。……ビミョーに潰れた感触がする。
その音に気付いたらしいヴォルフが顔を上げた。
『……? ……莉佳!』
ピンっと尻尾を立てた姿にイラッとする。
……さっきまで、他の女に囲まれて楽しそうにしてたくせに。
持っている物を投げ付けてやりたい思いに駆られたが、自制心を発揮してグッと我慢した。
頬が引き攣るのを感じながら、無理やり笑顔を作る。
「……お幸せに」
『は?』
ヴォルフは私の言葉が理解できなかったらしく、ポカンとした顔をした。
そして、すぐに自分の状況に気付いたのか慌てたように弁解する。
『ち、違う。誤解なんだ!!』
その言葉を無視して、私は当初の予定通り警察署へと向かうことにした。……うん。ちゃんと人間の彼氏作ろ。
『……っ、莉佳ーっ!!』
まあ、あと三日くらいしたらビーフジャーキー(好物)でも持って行ってあげよう。……ちょっと潰れちゃってるけど。
読んでくださり、ありがとうございました!
誤字・脱字があったらコッソリ教えて頂けると嬉しいです。
莉佳さんとヴォルフを書くのが意外と楽しかったので、続編とか書くかもしれませんww
あっ、感想もお待ちしてます!!