第一話――親友の場合――
皆さん、申し訳ありませんがもう少しだけ第一話にお付き合いください。
この話、そして次の話が終わったら、オンラインゲーム起動です。
「ハァ……」
四月九日、朝八時二十五分、三年一組の教室で、周りが盛り上がる中でただ一人だけ重たいため息を吐き出したのは、他ならぬこの俺、藤村 英明だ。
俺の友達は大概授業開始間際に慌ててくるので、授業五分前になっても、俺は毎日ぼうっとしている他ない。
というか、教室には未だに男子は両手で数えられるほどしかいない。
このクラスは男女共に二十人なので、男子の過半数はまだいない、という訳だ。
それに比べて女子はと言うと、ほとんど全員が既に教室にいるのだが、真面目だからという訳でもない。
単に話し相手を求めているだけの話であり、特に何らかの理由、たとえば朝練や自主勉強をしようとするのはごく稀だ。
部活の朝練をしているのは、もう既に推薦を勝ち取った一部のスポーツ特待生たち。
スポーツ特待生、その言葉の響きのせいで、俺は今自分をこんなに落ち込ませている原因をもう一度はっきりと呼び起こした。
“あいつ”だったら、絶対にスポーツ特待生でどんな学校にも行けるのにな。
あいつほど賢かったら、東明だって放ってはおかないだろうに。
どうして……どうして……どうして……お前は、その道を選ばなかったんだ?
それは何度も何度も、その場にいないはずの人間に、声にせずに問い掛けてきた言葉だ。
そして、代わりに答えなくてはならないのは、他ならぬ問い掛けた側の自分自身であり、いつも答えは決まっている。
分かる訳がないじゃないか。
ガラガラと、教室の扉を開ける音がしたので、そちら側に視線を向けてみる。
そこから入ってきたのは、同級生の神崎 美波と、その友人である天野 ゆかりだった。
東明から推薦をもぎ取った秀才、神崎 美波を目にした俺は、そいつ同様に容姿が整ったある人物を思いだし、思わず涙腺が緩んでしまった。
周りの奴らにそんなものを見られたくなかった俺はすぐさま目を、顔を伏せて寝たふりをした。
俺は、今も昔もこれといった取り柄も特徴もないような奴だなぁと言われてきた。
学力は可もなく不可もなく、不細工とは言われないけど、特段格好良くもない顔、太っていないけれど特にスタイルが良いとも言われない。
どこにでも居そうな存在、茶化す訳でもなく、馬鹿にするでも褒めるでもなく、図鑑で“藤村 英明”と調べて、その説明を読む感じでよく言われる。
サッカー好きの親父の影響で、俺は小学校の頃からずっとサッカーをしてきた。
最初はちょっとした好奇心からだったのだが、練習を重ねるにつれて段々と俺自身も、サッカーの虜になっていった。
初めてリフティングをした時は、二回とできなかったものだが、何度も何度も練習して、一ヶ月経つ頃には十回以上連続でできるようになった。
小学校に上がる時、地元のクラブチームに入らせてもらった時には歓喜して走り回ったのは、今でも覚えている。
今だってサッカーは好きだし、クラブでスタメンを名乗るぐらいの実力も手に入れた。
その、小学校になった際に入ったクラブチームで、俺はあいつを見つけたのだ。
そいつは、初めてサッカーをしたというのが信じられないぐらいに、頭一つ、いや二つ三つ抜きん出た存在だった。
まるで自分の手足の延長のような感覚でボールを自由自在に操り、人生初のリフティングであっさりと百を越えたのは、天才だと言いたくなった。
しかも、百で終わった理由が、失敗でも疲労でもなく、単に飽きたというだけの理由だ。
見ている方も、最初は圧巻だったが、最後の方は俺以外はもう良いよと冷めた目で見ていた。
その後、サッカーについてのルールの説明があったのだが、そいつはそこでも天才っぷりを発揮した。
教えてもらった基本的な事項は、前々から薄々と覚えていた俺よりもあいつの方が易々と諳んじることができた。
テレビで見たフェイントを見よう見まねで再現したりと、試合中もとことん活躍していて、コーチ達から絶賛された程だ。
付添いの母親も、何だか誇らしそうな目で見ているのが、幼い俺にもあっさりと分かった。
負けていられないと思った俺はその日から『超』と『ド』がつくほどの練習熱心になった。
露骨に敵意をむき出しにするほど性格が悪く育っていなかったため、陰で努力していつか追いついてやる、とだけ考えて、ひたすらボールに向き合った。
今にして思う、あの時『追い抜く』のでなく『追いつく』と思っていたのは、絶対に勝てないと自覚してしまっていたからなのではないかと。
別に俺のメンタル面が弱い訳ではない、そう思わせるほどの無言の圧迫感を伴った力が、あいつから溢れ出ていた。
ただ、それだけの話だ。
必死で練習して、練習して、努力を重ねてとするうちに、いつしか追いつくだのという意志は、雪が解けるように消えているのに気がついた。
代わりと言っては何だが、クラブチームの中では二番目の実力者の立ち位置を手にし、さらにはあいつと同じコートに立つという誇りだって生まれていたのだ。
きっと向こうも俺の努力を認めてくれたのだろう、俺とあいつは――夕凪は――仲の良い友達になった。
幸い学校が同じだったために、なおさらよく接するようになり、放課後や休日は近所の公園で一緒にボールを転がした楽しさは、今でも忘れていない。
中学に上がると、俺はもちろんサッカー部に入った。
小学校高学年になってから、夕凪はそれ以外のスポーツも全般がこなせると分かったので一緒にサッカー部に入ってくれるのか大分懸念していた。
しかし、そんな不安など一切気にかけず、あいつが当然のように入部申請したのは、サッカー部。
どうしてだと訊いてみると、何だかんだでサッカーが一番楽しいし、との回答だ。
その後に何気ない口ぶりで「まあ、英明がサッカー部にいるっていうのもあるけど?」と付け足されたのには、嬉しさで身震いが止まらなかった。
それから一年間、あいつは確かにサッカーをしている時だけは、今までと何一つ変わっていないかのように見えた。
それ以外の時の様子は、クラスが違ったから全く把握しきれていなかった。
中学の二年に進級したとある日から、夕凪は一度たりとも部活に顔を出してはいない。
それどころか、学校にさえ来ていない状態である。
姉の方が学校に来ているけれど、今まで接点が無い上に夕凪ではなく美波本人目当ての男子だと思われると心外なので話しかけたことはない。
第一、美波の方の神崎に聞かなくても先生から不登校になったとは聞いている。
学校生活は疲れた、本来人づきあいは苦手だ、とぼやくのを先生は聞いたという。
なあ夕凪、その話は本当なのか?
虚空に向かって俺は一人呟く。
答えが帰ってこないと知りながらも。
俺たちは親友だと思っていたのは俺だけか?
声にならない疑問は、常に俺の心の中で休みなく生まれて、その度消えていく。
あの時の、俺がいるからサッカー部に入ったっていうのも嘘だったのか?
それだって、本人に聞けずじまいだ。
知りたいのだったら、本人に訊いて確かめれば良いのにそれができない。
自分が求めていない回答が返ってきたら、自分の心をえぐる刃物のような言葉が飛んできたら、俺が立ち直れなくなりそうだ。
でも、何もできずに、のうのうとしてこのまま卒業を待つのは嫌だった。
そんな折に聞こえてきたのが、いつの間にか近くに座っていた神崎 美波と天野 ゆかりの会話である。
天野の方が夕凪のことを好いているというのは、一年の時から知る人なら知っている有名な話だ。
むしろ知らないのは神崎姉弟ぐらいだろう。
……あいつらだったら自力でそれを察しそうだから恐ろしいのだが。
「推薦決まってるからね、その提案には乗ってやった訳よ。まあ言ってもゲームなんだからすぐに引っ張りだせるでしょ」
「それにしても凄い条件ね。ゲームで成果を残すって、具体的にどうするの?」
「何か一か月後に日本人ユーザー全員で行うトーナメントみたいなのするんだって。それである程度勝ち上がったら合格、みたいな」
「そうなんだ」
どうやら、プレイ人口が凄まじい有名なオンラインゲームの話をしているというのが、それより前の会話から窺えた。
さらには、そのゲーム内で夕凪が、相当な実力者として誰もが知っている存在となっている話にもありつけた。
これは丁度いいチャンスなのではないか。
それほど有名なのならば、ゲーム内で簡単に見つけることができるだろう。
そして、今度こそ夕凪に、今までぶつけることができなかった問いをぶつけてみせるんだ。
――――――お前にとって、俺っていうのは何なんだ?
梶本先生の「立て」という指示と、本鈴の音が重なった。