第一話――姉の場合――
「あー、もう! ムカつく!」
むしゃくしゃとしていて、その怒りを発散させるために帰宅するや否や私はそう怒鳴った。
怒鳴るだけで発散できる怒りなら良かったのだが生憎とそれだけでは収まらない。
これだけ苛々させられている張本人に対して、この訴えが無意味だと分かると余計に昂ぶってくる。
憤懣やる方ないという意志を伝えるために、私は乱暴に叩きつけるようにドアを閉めた。
しかし、大きな音こそ鳴りこそすれ、頑強な家が震えるようなことはない。
現代ではどんなあばら家であろうと、人の腕力でいくら攻撃しようとびくともしない程に頑丈なのだ。
「こら美波! 家の中で暴れないでよ」
家の奥の方からいささか険のある声が鋭く飛んでくる。
今の物音と発言とで、私のとった行動が分かったのであろう母が、奥で家事をしながら釘を刺してきたのだ。
確かに家に対して八つ当たりしてしまったのは確かなので、ここは引き下がる。
いくら頭に血が昇っていても、あの母親に対して当たり散らす程の馬鹿ではないつもりだ。
「ごめんなさい!」
奥にいる母に聞こえるように大声で返事をする。
今、用があるのはお母さんではなく、上にいる“あの野郎”なのだから。
一刻も早くこの苛立ちを奴にぶつけてやるために、階段を駆け上がる。
あいつの部屋は、私の部屋のすぐ隣、二階の廊下の突き当たりの一室だ。
着替えよりも何よりも、あの大馬鹿野郎に対する不満をぶちまけるために自室を素通りする。
いつも通りその部屋は静かなようで、ドアのこちら側にいてもそれが感じられた。
ただ、その静けさが私の怒りと対称的なせいで、私がこんなにも奮闘しているのにお前は……と説教したくなってくる。
先ほどおもいっきりドアを閉めたのと同じ要領で、乱暴にそのドアを開けた。
ドアノブの回る音に反応した、我が双子の弟君が振り返った。
手には赤色のボールペンが握られている、という事は勉強中なのだろう。
「ちょっと夕凪! あんた不登校もいい加減にしなさいよ!」
相手が振り返ったとたんに私はそいつを怒鳴り付けた。
名前を夕凪と言い、この神崎家の一人息子である。
ついでに私は一人娘だとも言っておこう。
「帰って早々にそれかよー。後うるさいよ、美波。落ち着いて落ち着いて」
「こ……れ……が……落ち着いていられるかぁっ!」
清々しいまでの笑顔を浮かべて、私を宥めようとする夕凪の言葉を一蹴する。
こちらがどれだけ真剣なのか伝えるために、夕凪に詰め寄りなおさら尖った声で叫ぶ。
今度は夕凪も顔をしかめて耳を塞いだ。
「まあまあ、せっかくの美人が台無しだよ」
「不登校だったらせっかくの色男も台無しだろうがぁっ!」
何とか双子の姉を諭そうとする弟と、何があっても現状を改善させようとする姉。
才色兼備、スポーツ万能の双子の姉弟、昔からそう言われてきた私たちだ、あまり自分では言いたくないのだが、私たちかなり容姿が整った部類に入る。
お母さん譲りの、ぱっちりとしたと良く言われる目、全体的に小顔な輪郭、鼻も高いと良く言われるし、スタイルだって細い。
そこまでが、私たち双子の容姿的に良く似たところである。
違いを述べるとすると、夕凪は黒の男子標準ぐらいの長さの髪、私、美波は赤く染めた腰まで届く赤い髪。
髪を染める技術も発達した二十二世紀、染髪はそう珍しくない。
「だって学校つまんないんだから仕方ないじゃん」
「勉強も運動も全般ができて容姿も整ってるくせに文句言うな!」
「それは美波も一緒だろ? それに、できるからこそ退屈なんだよ」
何ともまあ凄まじい、自惚れた理由なのだが私としてはこの返答には困ってしまった。
勉強ができないのなら、頑張れば良いと言えるし、虐められているのなら一緒に戦ってあげられる。
だけど、何もかも悩むことが無いから退屈なのだと言われるとどうしようもない。
強いて言うならば、夕凪は人づきあいが苦手なのだが。
「退屈でも何でも、やるしかないでしょ」
もうそろそろ私にも、諦めが混じってきている。
ただ、そうする訳にはいかない理由があるのだ。
本日四月八日は、中学三年生になって初めての登校日、いわゆる始業式だった。
そのため、勇んで出かけるべきなのだが、去年からずっと引きこもりライフを送っているこの夕凪は、やはり今日も学校に行かなかった。
そのためである、今から学校も終わってさっさと部活に行こうと思ったその時だ、隣のクラスの担任、梶本に呼び出された。
呼び出された、と言っても廊下に出るくらいのものだ。
会話は自然と教室内にも筒抜けになってしまう。
隣のクラス、というのはおおよそ見当がつくだろうが、夕凪の所属するクラスだ。
その担任が一々私に言う事など、一つしかないだろう。
もう今年は受験なんだから、お前の弟もそろそろ学校に来るように呼びかけてくれよ、という事をオブラートに包んでネチネチネチネチと、何回も繰り返された。
さすがに、その場で先生にキレるほど、私は馬鹿ではない。
だが流石に、今日こそは夕凪の奴に馬鹿野郎と怒鳴りつけてやる、と息まいて部活を休んでさっさと帰ってきたのである。
事情を説明すると、夕凪は顔をしかめた。
私に対してではなく、余計なことを言った担任の梶本の方に苛立っているようである。
本人は隠しているつもりだが、こいつは結構家族には優しい。
本音がばれてる時点で、人づきあいの下手さがやや露見している。
「でもさあ、美波だってやりたくない事はしたくないでしょ? だったら僕にとってもしたくない事を押しつけようとしないでよ」
「あのね、学校に行くのは義務でしょ」
「違うよ、義務教育っていうのは子供が学校に行くんじゃなくて……」
「親が学校に子供を通わせる義務だってことぐらいは知ってる」
ああだこうだと理屈をこねる夕凪を前に、私は毅然とした態度で言い訳をはねのける。
家族には優しいという一点を利用して、何とか丸めこめないものだろうかと考える。
あんたは自分の親が義務を果たせないように頑張っているだけじゃないか、と言おうとするもやはり止める。
効果が無い可能性の方が高いので、この案は無視することにした。
「もう良いよ。人には得意不得意があるんだ。僕は学校に行くのが苦手なの。勉強は嫌いじゃないよ。ちゃんと家で勉強してるし、テストも……美波より低いけど頑張ってるよ」
当たり前だ、普段学校に行っていない奴が学年二位の成績を修めるだけでも驚きだ。
普段学校に通っている者として、一位の座など渡してたまるか。
「体だってちゃんと動かしてるよ。ぐっすり寝ないとQuest Onlineはプレイできないんだから」
「はあ……またゲームの話?」
「ただのゲームじゃないよ!」
株式会社ハナビや研究者七里たちの、百年にも渡る膨大な研究の成果、40億人を越える圧倒的なユーザー数に関わらず、円滑に動き続ける臨場感満載のオンラインゲームなんて、これを除いて他には全くないのだ、と熱弁する夕凪を見て、私は溜め息を吐いた。
一昨年、こいつにあんなゲームを紹介したのが間違いだと、夕凪が不登校になってから気付いた。
あの世界は刺激的だ、とか言い残して九時には就寝する超健康生活を始めてからのこいつは、本当に生き生きとしていた。
今まで私は本人が楽しんでいるなら良いや、と楽観的に捉えて、勉強も運動もちゃんとしているからと見て見ぬふりをしてきた。
しかし、今年は受験、将来の就職に繋ぐためにも、自分が進むべき道に進むために勉強しないといけないのだ。
そのためには内申も必要だろうし、高い内申点をもらうためには出席点をもらわねばならない。
「えー、もう良いよ。学校生活苦手なんだ。美波だって、どうせ僕からこのゲームを勧めても、勉強に支障が出る、とかゲームはあんまり……とか言ってやらないくせに」
確かに数ヶ月前、私もこのゲームを勧められた。
このゲームは結構、体感式アクションゲームと言うだけあって、現実での運動神経も試されるところがあるらしい。
上級者になればなるほど、素のポテンシャルが高い方が有利だと夕凪は言っていた。
「ゲームと学校は説得力が違うでしょ!」
「一緒だよ! 気乗りしないものに手を出すっていう点ではね」
これ以降は堂々巡りだった。
ゲームを学校を同一視するなと怒鳴る私と、一緒だと言い張る夕凪との水かけ論、疲れるだけのその口論が続く中、先に折れたのは私だった。
ただし、夕凪の想定外の方向に折れることになったので、目を丸めていたが。
「分かったわよ! 私だってそのゲームやってみせる! それなりの成果をそのゲーム内で残したら、あんた絶対不登校止めなさいよ!」
この自分の短絡的な結論を後悔するのは、そう遅くはなかった。