第二話――担任の場合――
突然、目の前から一匹の獣が飛び出してきた。
爪を立てて地面に突き刺し、飛び出した勢いを殺してそいつは静止してみせた。
灰色と青色が混ざったような、まがまがしさの溢れる体毛をしている。
ああ、モンスターっぽいなあとか思ったその瞬間、そいつは後ろ脚をバネに、俺に向かって跳び上がった。
その前脚の、血で黒く濡れた鋭利な爪を見た俺は戦慄する。
「うおっ!」
咄嗟に身の危険を感じた俺は咄嗟に横に転がるようにして避けた。
ごろごろと草の上を転がると、チクチクとした刺激が肌の上を駆け抜ける。
そんな所にリアリティを感じている暇は無いはずなのに、なぜか心の底で納得してしまう。
そしてさっきの狼のような獣を見てみると、またしても跳びかかる体勢になっていた。
「うわー、だっさいわー。ガチで焦って妙な声上げて無様に転がる。カスいね」
「うるっせえな! お前も何達観してんだ! ガイドなんだろ! 取説みたいなもんだろ! こういう場合の説明しろよ!」
「あー、はいはい。分かったから黙って。ウザイ」
妙に癪に障る声で俺を罵倒してきたのは、ゲーム開始に伴ってガイド役にと手渡された妖精のキャラクターだ。
名前は……教えてくれなかった。
どうやらこのナビゲーターの精霊はユーザー一人一人に固有のものが渡されるらしい。
どうせならもっと性格の良い奴を渡してくれと、運営に文句を言いたい。
さっきからこいつは俺がヘマを踏んだり分からない事に対しておろおろする度に嘲笑する性癖がある事に気付いた。
そしてこの性格……反抗期の中学生のような反骨精神を宿しているために以上に厄介だ。
そしてこいつがいないと右も左も分からないという不便さがあり、俺はこいつには文句を言いづらい。
「えっと……あんたの武器は剣よね。初期の技もジョブスキルもないカス状態なんだからスタミナの心配無しと。とりあえずぶった斬りなさい」
「カス言うな!」
俺がこの口うるさい妖精の相手をしているうちに、いつしかモンスターは地面を蹴っていた。
その体躯が空中に浮かび、一直線に俺の下へと向かってくる。
もうどうにでもなれと思った俺はそいつを真正面からぶった斬った。
確かに自分の手にはそれを斬った感覚が残ったし、剣と真正面からぶつかった狼は宙を舞った。
しかし、これはゲームの仕様なのだろうか、血などは一切吹き出なかった。
身体で地面を擦った後にそのモンスターはぐったりと項垂れたかと思った矢先に、青白い光となって消えた。
「はい、こんな風に敵を倒すと血は出ずに倒れて、その後に消えるから。説明終わり、後はたまに大量にザコが出てくるからそれに気をつけなさいよ」
こんな風な状況になるからね、と言われて周りを見渡してから気がついた。
囲まれているという事に。
さっき倒したものと全く同じ種類のモンスターが徒党を組んで俺の周囲を取り囲んでいる。
どいつもこいつも、俺に対する敵意、そして牙を剥き出しにしてうなっている。
見れば、次第に数が増えている。
さっきは七匹ぐらいだと思ったのだが、いつしか十五匹程度になっている。
「……これもチュートリアルの一部か」
「まあそうね。普通の人は絶対何とかするわよー、大丈夫?」
その憎まれ口に俺は返事をしなかった。
返事ができたとしてもそのウザさ加減に辟易したために、返してやらなかっただろう。
しかし今に至ってはそんな暇が無いというのが主な理由だ。
周囲を取り囲む大量の狼たちがしびれを切らして襲いかかってきたのだ。
前から、左右からそしておそらくは後ろからも来ているだろう。
さっきみたいに跳んだら避けられるとも限らないんだから、どこかに突破口を作るしかない。
思った以上にあっさりと行動に移れた。
ゲームの中だからと割り切っているからか、そろそろ恐怖も薄れてきていた。
やってやろうじゃないかという高揚感が次第に俺の心の中を満たしてきていた。
意志を固めた俺は前方から跳んできたやつに向かって切先を向けた。
そのまま体ごと剣を前に突き出し、真正面からその一匹を跳ね返した。
その踏み込んだ勢いで前へと進み、残った連中からの攻撃を回避する。
ただし、ここで安心していられないという事が脳裏をよぎる。
真後ろから跳んだやつは、放っておいたらその勢いで俺にぶつかるだろう。
そいつを片付けるために、素早く後ろを振り返る。
案の定都合のよい所に、一匹やってきていた。
鋭く剣を一閃し、二匹目を片付ける。
だが、まだ全体の五分の一も片付いていないから気を抜けない。
するといきなり、このシリアスな雰囲気をぶち壊しにするような陽気な音楽が鳴り響いた。
学校でよく耳にする金管楽器の音とよく似ている。
一体これは何のBGMだよと突っ込みたくなった矢先に、ナビゲーターの……そうだ、名前は知らないんだ。
とりあえずガイド役の彼奴が横から教えてくれた。
「レベルアップ、良かったなー。レベルが2に上がったから、教師スキルLevel1の解放だよ」
そう言えばジョブスキルというものがあるとは聞いていたが……ちょっと解放早くないか?
レベルを上げていったらその内使えるようになると教えられていたのに、一個レベルを上げただけで使えるようになる、とまでは聞いていない。
「あ、ただこれマックスのMPがあっても一発も使えないからな、今のレベルでは。とりあえず今回だけ使えるってだけで」
「やっぱりそんだけかよ」
まあとりあえず来るべき日に備えて、という話なのだろう。
それにしても、現実で教師だから教師を選び、なんとなくで武器を剣にしたけど……スーツと剣って何か不自然だな。
「まあ、気にせず使ってみるか。教師スキルLevel1……説教?」
説教って……いや、確かに悪いことをした生徒には必要だろうけど……これをどうやって闘いで活用しろと言うのだろうか。
しかし、悩んでいても意味が無い訳で、何かしら叱り付けてやると何かが怒るのだろう。
でも……いくら襲ってくるとはいえあのモンスターたちに何を説教しろと言うのだろうか。
混乱した俺の目に、跳びかかってくるたくさんの狼たちの姿が映った。
もうどうにでもなれだ、何でも良いから叫んでやる。
説教と言えば……そうだ、夕凪だ。
「つべこべ言わずに学校に来やがれこの野郎っ!」
俺は、確かに普通に怒鳴ったつもりだ。
普通に怒鳴るというのも何だか妙な言葉だが、まあとりあえず普通に叫んでみた。
ただ単にうるせえなぁと思わせるぐらいの声量だろう。
だが、実際はそれどころでは済まずに、呆気に取られることとなる。
俺が叫ぶのと同時に、大気が鳴動するかのように震えた。
衝撃波をまともに浴びたかのようにして、まだまだ体力のありあまっていた狼たちは一斉に向こう側へと吹き飛んだ。
さきほど俺が剣で倒したどのモンスターよりも遥かに強い勢いで十メートル以上宙を舞った。
地面に着く間もなく、ダメージが大きかったそいつたちは空中でやはり青白い光と化した。
「説教のスキルを使うと、怒鳴った際に広範囲攻撃ができるから。元々が音だから防御も回避も基本的に間に合わない。使い勝手は良いけど燃費が悪い攻撃技。分かった?」
「……そういう事か」
たかだか名前がちょっと現実臭かったからと言って侮れないということか。
そう思いながら頷く俺の耳を、アラートが貫いた。
何事かと思って辺りを見渡す。
すると、地平線の彼方、草原の遥か奥の方から一匹の“ボスの風格を伴った”モンスターが姿を現したのだった。
ここから大体数百メートル離れた位置にいるそいつは、真横に立っている木と見比べてみると、その高さの五倍ぐらいはあるだろう。
遠くにいるそいつが、いきなりその口を開き、意気を吸い込んだ。
何事かと思ったが、そいつはいきなり特大の咆哮を上げた。
大音声の方向が、まるで太鼓の音のように俺の身体を打ちつけ、揺るがす。
その咆哮がさっきの俺の説教と同じぐらいなのを感じた俺は、さっきのちょっとした高揚感から一転、一気に冷や汗が噴き出てきた。
ちょっと可哀そうな梶本先生。
ただ、もっと可哀そうなのは次の話の藤村かも……。




