第七話 椿を捨てる
「あんた、新入りの癖に、何のん気に寝ているのよ」
あやは身体への衝撃と、頬に当たる畳の感触に目が覚めた。
こめかみのあたりにはすこしひんやりとした、重い感触がした。
それが、誰かに頭を踏まれているとわかるまで、しばらくかかった。
脚が退くと、今度は髷をむんずとつかまれて、無理やり引き起こされる。
「いたっ――いたたっ」
髪を引っ張られる痛みに、あやは思わず声を上げる。
「ふん、いっちょ前に痛がってるんじゃないよっ、生意気ね。」
憎々し気に吐き捨てたのは、十五、六ほどの娘――
着ている着物は一見して上等だとわかるが、器量はお世辞にも良いと言えない。
その上、底意地の悪さが表情に前面に出ていて、あやは恐怖すら覚えた。
彼女はあやの頭を軽く揺さぶると、えいっと押して突き飛ばす。
あやは再びよろめいて、畳へと座り込んだ。
「本当に、あんたって生意気! 売られてきたくせに、こーんないいもの、置屋に持ち込んで、どういうつもり?
でもおあいにく様っ! ぜーんぶ壊してやったから! これじゃあ売って足しにもできないわねっ」
彼女の勝ち誇った視線の先を辿れば、畳の上にはあやが片岡家から持ってきた風呂敷包が、ぶちまけられていた。
丁寧にたたんでいた着物はぐちゃぐちゃに広げられて、ところどころ縫い目が引きちぎられている。
かんざしが何本か、折られたり踏みつぶされたりして、無残に転がっていた。
櫛すらも、歯が何本も折られている。
――こんなにされて起きない私も大概だけど、ここまで壊すこいつは……怪力?
あやはその惨劇を、半ば他人事のように呆然と見つめる。
「ちょっと、お蝶さま、また何をされているのですかっ!」
階下から慌てた足音と共にやってきたのは、先ほどの女将だった。
「何って、新しく来たガキのしつけだよ。」
お蝶と呼ばれた彼女は、ニヤニヤといやらしい笑みを女将に向ける。
「しつけって、勝手なことをされては困ります。
先般も、旦那様に叱られたばかりでしょう?」
「知ったこっちゃないね。いずれはあたしのモノになる店なんだから、今から売女たちの教育は、ちゃんとしておかなきゃ」
「だから、彼女たちは芸妓であって、娼婦ではありませんっ!」
「いいや、あたしが主人になったなら、みーんな身体を売らせるさ。その方が銭が儲かる。」
お蝶は指を環の形にして得意げに言うと、今度はあやの方へと向き直る。
「おまえはケシ粒のケシだ。今日からはそう名乗りな。」
それだけ言い捨てると、わざと女将に肩でぶつかって座敷を出て行った。
あやが目を見開いてお蝶の出て行った襖を見つめていると、女将が膝をついて頭を垂れる。
「ごめんなさいね。あの方、新人が入るといつもああなのよ。
ここの主人の孫娘で――、幼い頃に両親を亡くして、甘やかされて育ったから……
ここ一、二年は本当にひどくてね……、でも、お気に入りだから、諫める者がいないのよ。」
それから女将はバラバラになった簪を拾い集めて、手のひらの上で繋げて見る。
「椿の簪――、綺麗なのに、これではどうしようもないわねぇ……」
そう言われたとき、あやの背筋にゾゾッと、冷たいものが伝ったような気がした。
お蝶の迫力に気を取られていて、頭が回っていなかったが、
よくよく考えれば、壊された物の中に、“身に覚えのない物”がいくつも入っていた。
ことに、“椿”をあしらった装飾品など、あやは一つも持っていなかったのだ。
武家の娘である彼女にとって、椿は縁起が悪いと、忌避するものだった。
「捨ててください。全部、捨ててください。」
無意識のうちに、あやは叫んでいた。
「え……えぇ? 良いの? お母様の形見、とかではないの?」
女将が戸惑っている目の前で、あやは畳に散らばっている壊された物をひっつかむと、窓から投げ出した。
「着物も、売ってください。そして、申し訳ありませんが、新しいものを――」
「え……ええ、わかったわ。」
あやの迫力に押された女将は、あいまいに笑いながら散らばった着物を集めて行く。
それを全部抱えると、そそくさと座敷を出て行こうとして、一度振り向いた。
「――とりあえず、『ケシ』と呼んでいいかしら? 半玉になるまで、少しの間だから……」
彼女の顔には、そうしなければお蝶を怒らすのだ、と、ありありと書いてあった。
「……結構です。何とでも呼んでください。」
あやが答えると、女将はホッとしたように頷いて、出て行った。
女将の足音が遠くなっていくにつれて、あやは不思議なことに気が付いた。
「ケシ……かあ……」
声に出してみると、はっきりとわかる。
先ほどまで、なんとなく重かった身体が驚くほど軽く、なぜか視界も明るく見える。
何なら、畳の目まで輝いて見えた――、とまでは言い過ぎだったが……
とにかく、世界がはっきりと明るく鮮明に変わっていた。
あやは窓の格子を掴んで、外を眺める。
秋の陽は、暮れかかっても、空はどこまでも高かった。




