中編 霞町の半開きの門
「……りよ……私は、この気配を知っているぞ……
しかし、なぜ、ここに……」
清孝は愕然と、自らの神威で縛り上げたその櫛を見つめた。
艶やかなべっ甲に、丹と金泥で椿が描かれたそれは、
上等の品であることは確かだったが――
どう見ても新橋芸者の持ち物ではない。
それは、元禄の頃の骨董としか言いようのない代物だった。
「ええ……、私もよく知っております。
この気配を――私は、実家でよく感じておりました……」
へたり込んだままりりよも、櫛から目が離せない。
「――ご主人、この櫛はご存じですか?」
清孝が問うと、喜左衛門は少し考えた後、首を振った。
「わかりません。少なくとも芸妓たちの持ち物ではないでしょう。
蔵にあったものか、古道具市で買ったのか……」
「ふむ……、まあいい……。
これらの物は――持ち主には、返さぬ方がよいでしょう。
欲と怨念にまみれており、使った者にも悪影響だ。
我らで引き取り、処分いたしますが、異存は?」
清孝が櫛を、それから畳に散らばった品々を見ながら言うと、
喜左衛門はガクガクと首肯する。
「はいっ、はい。今更芸妓たちに返すわけにもいきませんし、
こんな気持ちの悪い物、片づけていただけるなら願ったりです。」
+++++
あの後、お蝶の部屋を家探しし、
呪物や盗品と思しき品々を、あらかた回収した。
それらは、まじないを施した風呂敷にまとめてある。
置屋についても一通り確認したが、こちらには怪しいものは見当たらなかった。
お蝶が意識していたか否かは定かでないものの、
そうした品々が、結果として彼女の手元に集められていた――
そのように判断された。
特務局に戻るや否や、清孝は憮然としたまま、
局長の広い仕事机に風呂敷包みを広げ、
戦利品を並べてみせた。
「おいおいおいおい……なんてものを、なんて数――
店開きしてくれちゃってるんだ……」
資雅はひきつった顔で椅子を軋ませ、
それらの品々から少しでも離れようと、身をよじる。
「ふん。おまえだけ高みの見物とは、そうは問屋が卸さんぞ。
質も量も申し分ない、呪物の数々……
回収してきただけ、ありがたく思え。」
「――もしかして、僕に処分を任せようっての?
そんな殺生なぁ……。
こんな女の気配を家に持ち帰ったら、女神さまに殺されてしまう。」
「知ったことか。
私は元来、物に憑いたものを祓うのは苦手なんだ。」
鳥肌を立てて二の腕をさする資雅を、清孝は鼻で笑い、
指先から細く神威の糸を繰り出して、
呪物の中から件の櫛を持ち上げた。
「ところで――、こいつだけ別格なのだが……。
りよの実家、片岡家の気配がする。
質流れ品だとは思うが、何か、あの家について知っているか?」
真剣味を帯び、先ほどより少し冷えた清孝の声に、
資雅も顔を引き締めて、その櫛を凝視した。
「あー……、もしかして……。
あぁ……そういうこと、かぁ……」
歯切れ悪く唸ると、清孝の少し後ろに控えているりよへ、
視線を遣る。
「りよちゃんに聞かせていいか――、
わからないのだけれど……」
言葉を濁す資雅に、りよもいぶかしみながら、
一歩前へ進み出た。
「……実家に、何かあったのですか?」
資雅は、りよと清孝とを交互に見つめてから、
やがて、ぼりぼりと頭を掻きむしり、観念したように話し出した。
「ご実家とは縁を切ったって聞いていたし、僕も知ったのは、つい最近なんだけど……
りよちゃんのご両親……
亡くなっていたそうなんだ……」
「……え?」
「父上がご乱心して、
母上を切り捨て、自害なさったと――」
「は?」
りよの顔から、一切の表情が抜け落ちた。
脳裏には、決して良い関係とは言えなかった、家族たちの顔が次々と思い浮かぶ。
殊に、父・兵十郎は、
どちらかと言えば臆病な質。
戊辰の役の際でさえ、保身に走って藩士仲間から陰口を叩かれていたのを、
りよは知っていた。
――あの父が、乱心して?
あの母を、切り捨てて?
心中したの?
「妹は?!
あやは、どうなったのです?」
ハッと妹の存在を思い出し、りよは資雅に詰め寄った。
「――妹さんがいたのか?
すまない、そこまでは……。
この話も、実は別件の依頼で知ったんだ。
あの一帯を買い上げて、軍人用に官舎を建てようと、計画が持ち上がってね。
旧片岡邸が、手が付けられないと、泣き付かれている」
「まさか、その始末も、
私たちにさせようと……?」
清孝が資雅をぎろりと睨むと、彼は慌てて、手を振った。
「まさか!僕だって、そこまで鬼じゃないよ。
りよちゃんに因縁がありすぎる時点で、候補からは外していた。
卜部あたりに頼もうかと……。
ほら、あそこは、陰陽道にも明るいし――」
「局長、その件――私に任せていただけないでしょうか。
もちろん、清孝さんにも、協力していただかなければならないのですけれど……」
りよがうかがうように、二人を交互に見る。
清孝も資雅も、目を丸くして、りよを見返した。
いつもは控えめなりよが、自分から言い出したことに、二人とも驚いている。
「――まあ、偵察に行った者からの報告だと、相当な難敵だっていうから、
君たちに行ってもらえるのは大変ありがたいんだけど……」
資雅が言うと、清孝も眉をしかめる。
「……りよ、いいのか?
もしかしたら、お父上と対峙することになるやもしれんのだぞ?」
りよはごくりとつばを飲み込んでから、
深くはっきりとうなづいた。
「はい。ぜひ行かせてください。
あれでも一応は身内……。
自分の手で始末をつけたいと思います。」
+++++
翠玉楼から櫛を引き取ってから、数日と待たず、二人は芝の霞町へと赴いた。
椿の櫛は、因縁のある片岡邸で祓った方がよいと判断された。
資雅が用意した、護符を蒔絵で描いた、漆塗りの特別な箱に収められ、
今は、清孝が懐に忍ばせている。
「――昨年の秋だったそうです。
死に方が、死に方だったし、
私と家族の関係を、皆知っていたから……私を気遣って、知らせなかったそうです」
道すがら、ぽつりぽつりと、りよがつぶやく。
「――しかし……
葬式くらいは、出たかったんじゃないのか?」
清孝は、彼女の反応をうかがいながら、問いかけた。
すると、りよは彼を見ないで、視線を落とす。
「……薄情かもしれませんが――
あまり、興味がありません。
あの人たちは、実質、私を売り払ったわけですし……。
私は、嫁ぐことで、義理は果たしました。
まあ、親戚も、お葬式に出ないほどだったそうですから。
あの後、それなりの業を重ねた、としか……」
歯切れ悪く言い淀んで、ふっと、清孝の顔を見る。
「清孝さんが、私を買った、とか言いたいわけではありませんよ?
それに、お葬式に出たら出たで、斎部家まで巻き込んで、
きっと、いろいろと大変だったでしょうし……」
「……分かっている。」
返事の割に、清孝は気まずそうに、視線を逸らした。
やがて辿り着いた霞町の界隈は、
りよがいた一年前とは、ずいぶん変わってしまっていた。
元は、科野国出身の士族たちが、固まって住んでいる地区だったが、
空き家になったり、更地になったり――中には、取り壊しの最中の屋敷もある。
「――あらぁ? もしかして、おりよさん?
軍服なんか着ちゃって!
今頃になって、何しに来たの?」
背後から声をかけられて振り向くと、愛想笑いを浮かべた夫人が、立っていた。
「……あぁ……。
はす向かいの、前田さまの奥様……。
ご無沙汰しております。少し、仕事で……」
りよは記憶を手繰り寄せながら答えると、
前田夫人は、満足そうに頷いた。
「ええ、久しぶりね。
もしかして、軍服で仕事って、政府関係の事かしら?」
――前田夫人は、噂好きだ。
りよの中で、警鐘が鳴り響く。
「――ここに来るのは昨年ぶりですが、ずいぶん変わってしまったのですね……。」
りよが無難に尋ねれば、噂好きの前田夫人は、待ってましたとばかりに口を開いた。
「そうなのよ! 秋に片岡さまが亡くなったでしょ?
それから、向こう三軒が火事で焼けて――。
そんな折に、お役人がこの一帯を買い上げたいってやって来てね。
ほら、色々と生活も苦しくなってきたところだったし、
渡りに船だと、みーんな手放しちゃったのよ。」
「……そうなんですね。前田さまは?」
少し引き気味に、りよが問い返すと、
前田夫人は、ニヤリと笑った。
「もちろん、うちも引っ越すわ。
ほとんど言い値で、買い取ってくれたし、代わりの口利きも、してくれたの」
それからあたりを伺ってから、一歩りよに近づくと、声を潜める。
「正直ね、みんな、片岡さまのお家が怖くて、
できれば引っ越したいって思っていたところだったのよ。
それで、杉山さまが、お殿様にかけあってくださって――、
中島子爵から、働きかけてくださったそうなの。
片岡さまのお屋敷、夜なんか来て見なさい、すごいのよ?
最近は若者が肝試しだって、ひっきりなしに来てるんだから、治安が悪いったらありゃしない。
だけど取り壊そうと思っても、人足が――」
おしゃべりが止まらない前田夫人に、清孝が先に限界を迎えた。
りよの背を、そっとつつき、話を切り上げるよう、耳打ちする。
「すみません、職務中ですので、そろそろおいとま致します。」
りよが遮ると、前田夫人はわざとらしく口に手を当てた。
「まあ、ついおしゃべりが過ぎてしまいましたわ。
では、お役目頑張ってね?」
ひらひらと手を振って、前田家の門の中へと消えていったが……
――きっと彼女のことだから、こっそりのぞいているのでしょうね。
明日にでも旧藩士の間に噂が広まるだろうと、ため息をついて、
片岡家の門へと向き直り、気持ちを切り替える。
門は半開きで、片方の蝶番が壊れて戸が傾いでいた。
「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか――、気合入れてゆきましょう!」
りよが気合を入れてこぶしを握り締めると、清孝も表情を引き締める。
「――鬼は出てほしくないが――、覚悟はした方がいいな。」
それから二人はうなづき合い、異能の調整のために手を繋いで、門の中へと足を踏み入れたのだった。




