上編 椿の櫛
「ってことで――、今回も、君たち二人でよろしく頼むよ。」
明治六年四月――発足したばかりの異能特務局、その局長室で、
局長の篠崎資雅はとびきりの笑顔に乗せて、筆頭異能将校の斎部夫妻に指示を出した。
夫の斎部清孝特務少佐は、苦々しい表情も隠そうともしない。
妻のりよ少尉も、戸惑っていた。
「――頼むよ、とは……特務局が発足したのに、
私たちはまだ霊能者か陰陽師の真似事をしなければならないのか?」
「ああ、まだまだ――しなければならないねぇ。
だって戦はないからね、大した仕事はないだろう?
不平士族は人が取り締まる。
僕たちはこの新政府を脅かすあやかしや古き神を取り締まる。
我が局の威信も示せるし、適材適所ではないかな?」
「――それがなぜ、新橋花街の置屋なんだ……。
私は、妻を連れて行かねばならんのだぞ。」
清孝は、受け取った住所と屋号を確認しつつ、絞り出すように苦言を呈す。
「大丈夫だよ。軍服を着て行けば、遊女だとは思われないよ。
ほらー、あの横谷殿の依頼なんだ。
彼の馴染みの置屋だとかで、泣きつかれたんだよ。」
「またあの御仁か――、あんなことがあったのに、芸者遊びがやめられぬとは……
懲りない人だ……」
昨年、花魁と遊女の霊に囲まれて依頼を受けた、あの一件を思い出し、
清孝は、ぐしゃりと紙を握りつぶした。
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二人が向かったのは、新橋でも今評判の置屋、“翠玉楼”だった。
横谷はあくまでも仲介しただけだったらしく、置屋では主人が二人を出迎えた。
「わたくし、この翠玉楼の主人をしております、泉 喜左衛門と申します。」
頭を下げたのは初老の男で、白髪交じりの髪を丁髷に結っていた。
「この度はご足労いただき、誠にありがとうございます。
早速こちらへ――」
喜左衛門に連れられて入ったのは、芸妓たちが生活する置屋ではなく、
隣の棟の母屋――主人たちが生活する屋敷の方だった。
「お恥ずかしながら、我が孫娘が、年明け頃から、おかしくなってきてしまいまして……
その筋の方にも見せたのですが、特務局を勧められまして――
横谷様に仲介していただいた次第でございます……。」
「芸妓さんではなく、娘さん、なのですか?」
りよが遠慮がちにたずねると、喜左衛門は足を止め、振り向いてうなづいた。
「はい。元は快活で――少々お転婆なところもございましたが、
とても明るい質の娘だったのです……。
それが今は、女の幽霊が見えるとか申して、意味不明なことをわめき、手が付けられないのでございます。」
「……その霊とやらが原因ならば、話は早い。
後で、置屋の方も差し支えなければ、問題がないか見せていただきたい。」
清孝が喜左衛門をまっすぐ見て言えば、彼は、あからさまにほっとした顔をした。
「はい、ぜひともお願いいたします。」
二人が通されたのは、南向きの気持ちの良い座敷で、問題の娘は座敷の真ん中に敷いた布団に寝かされていた。
「孫娘のお蝶と申します。今は医者にもらった鎮静剤で眠らせております。」
お蝶は静かな寝息を立てて眠っている。
一見すると、何も怪異の気配は感じられなかったが――
「……この部屋は、お蝶さんの私室ですか?」
りよがあたりをきょろきょろと見回しながらたずねる。
隣の清孝も、室内のあちらこちらに視線をやっている。
「はい。普段から孫娘が使っている部屋ですが……」
二人の様子に喜左衛門が戸惑いながら答えた。
「……りよ、感じるか?」
清孝は、視線を部屋の隅に置かれた鏡台に定めてたずねた。
「ええ……おそらく、あれですね。」
りよもうなずくと、ためらいなく鏡台へと近づいてゆく。
「喜左衛門さま、引き出しを開けさせていただきます。」
宣言するや否や、りよは鏡台の引き出しを開け放った。
――その途端だった。
さっきまで安らかな寝息を立てていたお蝶が、
年頃の娘とは思えない、野太い獣の咆哮のような声でうなり、
鏡台の前のりよへと襲い掛かる。
が、清孝はそのようなこと、予想していたとばかりに
神威の鎖を解き放って、お蝶をあっという間に縛り上げてしまった。
歯をむき出して白目をむいて、
恐ろしい形相で鎖から逃れようと暴れまわり、
畳の上に唾をまき散らす。
清孝がすっと指で空を切ると、
彼女の背後に鬼婆のような姿のばけものが浮かび上がった。
「ご主人……お孫さんは、もともとあまりよろしくない腹の虫を飼っていたようだぞ……
本当に、“快活で明るい質”の娘だったのですかな?」
清孝がちらりと喜左衛門に目を遣れば、彼は孫娘の変貌ぶりに、腰を抜かしてへたり込んでいた。
一方りよは、鏡台の引き出しから、次々と紅やら、櫛やら、かんざしやらを取り出し、
畳の上へと投げ捨てて行く。
その品々はどう見ても、置屋の主人の孫娘の持ち物には不相応、
どちらかと言えば、芸妓たちの持ち物に見えた。
「……ご主人、こちらの品々は、本当にお蝶さんの持ち物で間違いありませんか?
どれもこれも、別々の人の思いや怨念が詰まっているようなのですが――」
りよが険しい表情で主人とお蝶を見比べた。
腰を抜かしていた喜左衛門も、りよの表情の真剣さに、
身を起して畳の上の品々を恐る恐る検分する。
「……この紅は……市香が無くしたと言っていた笹紅……
この簪は藤ケ瀬が旦那からもらったのに見つからないと探していたもの……
この櫛は雁金が……、この手鏡は――」
ひとつひとつよくよく見るたびに――
喜左衛門の表情は驚愕と絶望に染まっていった。
「――お孫さんは手癖が悪かったようだな……なるほど、憑いているこいつは餓鬼だが……
この娘の心と、完全に混ざって、引きはがしたら彼女は別人になってしまう……
どうしますか? ご主人。」
清孝が目を細めると、喜左衛門は間髪入れずに叫んだ。
「祓ってください。こんなもの、わしの孫娘では――
可愛いお蝶ではないっ。」
「まぁ――、妥当でしょうな……」
清孝は一つため息をつくと、力を込めて神威の鎖を引き絞る。
鎖はお蝶の身体をすり抜け、
背後の餓鬼だけを捕らえて、引きはがした。
「――悪霊退散……」
清孝の気のない呟きと共に、神威と異能の炎が餓鬼を焼き尽くした。
お蝶の身体から力が抜けて、どさりと重く、畳に崩れ落ちる。
喜左衛門は、わなわなと震えてためらい――
ためらいつつも、お蝶へと腕を伸ばす。
彼女の肩を捕らえると、震えながらその力の抜けた身体を抱きしめた。
清孝はその様子をやり切れないように見て、鼻を鳴らす。
りよもしばらく二人を眺めていたが、はっと鏡台の方へと視線を走らせた。
――まだ禍々しい気配が消えていない……
盗品の他にも何か……
「清孝さんっ!」
鋭く叫んだりよの目の前で、鏡面を覆っていた掛布が、ひとりでに、スルスルと滑り落ちていった。
清孝も即座に異変に気が付き、手を構える。
鏡台は、先ほどまでとは打って変わって、禍々しい気配を惜しげもなく放っていた。
皆が鏡面を見つめていると、鏡の奥に垂れ髪の女が現れる。
彼女は座敷を横切って鏡までやってくると、その前に腰を下ろした。
もちろん、鏡のこちら側には誰も座っていない。
彼女はニタリと不気味に笑うと、鏡台脇の物入れから櫛を一つ取り出して、
長い髪をこれ見よがしに何回かくしけずってから、こちらに一度櫛を見せて――
カタリ
次の瞬間、鏡台の前に、櫛が音を立てて現れた。
ふいに、りよの身体が揺らめき、鏡台の方へと一歩歩み寄って手を伸ばす。
その手が触れる直前、清孝が叫んだ。
「ダメだっ!それに触れるなっ」
彼はすぐさま神威の鎖を駆り出して、櫛を絡めとる。
その衝撃で鏡台は吹き飛び、銅の鏡面は、襖に突き刺さった。
「……私、なにを……」
畳にへたり込んだりよが呆然と呟く。
清孝の神威にからめとられていたのは――
いつぞや、お蝶があやから取り上げた、あの椿の櫛であった。




