最終話 鹿鳴館の華
あの春から、六年が経った。
明治十六年十一月二十八日――
諸外国との外交の場として建設された西洋館、『鹿鳴館』の落成式が行われていた。
宴もたけなわ――
来賓たちは歓談にダンスにと、和やかな空気に包まれている。
「ふふ、宴会は好きだわ。洋式でも和式でも。」
紅色のドレスに身を包み、赤い天鵞絨張りのソファーに身を鎮め、
吉田美也子が葡萄酒をシャンデリアに透かす。
彼女は、かつて新橋で一世を風靡した芸妓・翠玉楼の望月だった。
六年前に落籍して、大蔵官僚の吉田龍紀に嫁いだ。
「もう――、あなたは飲み過ぎよ?ご主人、今日は主役の一人じゃない?
吉田さま、資金繰りにはずいぶん奔走されたと、主人から聞いたわ。」
向かいに座ったあやは扇子で口元を覆って笑う。
「あら、それを言ったらあやさん、あなただって、主役の奥様じゃない。」
葡萄酒を少し口に含んで、にこりと美也子が笑う。
あやもまた六年前、落籍して嘉七――朝比奈善次郎に嫁いだ。
彼の勤める柏原組も、この『鹿鳴館』の建設に携わっていた。
善次郎は現場責任者として抜擢され、この落成式にも、夫婦で招かれていた。
「朝比奈さまのご活躍は、主人からもよく聞かされてるわよ。
それが昔の許嫁って――、何度聞いても話が出来過ぎてるわ。」
吉田と善次郎は、公私ともに仲が良く、
互いに結婚してからは、家族ぐるみで付き合っていた。
美也子は酔うと、いつもこの話を持ち出す。
酒が入るたびに繰り返されて、もう何度目かわからない。
あやは苦笑して、自分も葡萄酒を傾けてから話題を変える。
「すごいわよねぇ。見て、天井。
キラキラして……星が瞬いているみたい。
あれ、シャンデリアって言うんですって。」
「知っているわよ。舶来製で、恐ろしく高いって、
あの人があきれていたわ。
お酒も舶来――。
ねえ、ここだけの話……あやさんは、洋酒と日本酒、どっちがお好き?」
聞かれてあやは、もう一口葡萄酒を飲んでから、しばし考え込む。
「そうねぇ……葡萄酒は美味しいけれど……
味わい深さで言ったら、私は日本酒の方が好きかしら?
まあ、慣れもあるんだろうけれど……
美也子さんは?」
「私は、断然、薩麻の芋焼酎よ! あれに勝るものはない。
主人との晩酌が何より楽しみよ。」
「――ちょっと……。
最先端の洋館で、元翠玉楼の看板芸妓が、何が悲しくて、日本酒だの焼酎だの――
お酒の話に夢中なのよ……」
不意に声をかけられて、あやと美也子が顔を上げると、
そこには一人の貴婦人が立っていた。
刺繡をふんだんに取り入れたドレスは、他の参加者と一線を画す。
なにより、彼女の後ろに控えている男が、
どう見ても士族や華族の域を超えて、皇族だった。
そんな高貴な身分の者に思い当たる知り合いはなく、
あやと美也子は、思わず顔を見合わせた。
「やだ、わすれちゃったの?
マチにケシ――、こう言ったら、思い出していただけるかしら?」
彼女のその苦笑に、あやと美也子の目が見開かれる。
「「……ゴマ?!」」
揃った声に、彼女が満足そうに頷いた。
「ええ、かつてのゴマで、珠子よ。
今は、この方――常盤宮啓信親王殿下の妃をやっておりまーす。」
「ちょ……親王妃が、そんな軽口いいの?!」
美也子が慌てると、彼女の後ろにいた啓信親王がにこりと笑う。
「いいのよ、これを機会に、あなたたちとの友情を復活させたいの。
実はね――、殿下も私も、ずっとあなたたちの事、陰から応援していたのよ?
さすがにお座敷には行けなかったけれど、昼間にお披露目があれば、こっそり必ず見に行っていた。」
珠子がそう言うと、啓信親王も続けて口を開いた。
「私も、君たちのファンでね……ぜひ、妻の友人として、我が邸にも気兼ねなくいらっしゃい。
お二人のご主人とも、ぜひ一度、話をしてみたい。」
啓信親王は、珠子を置いて男性の輪に戻ってゆく。
「――で……、私は梅酒が好きだわ。」
ソファーに腰を下ろした珠子が、ふいに言う。
「何の話っ!?」
美也子が表情も取り繕わず言うと、珠子はからから笑う。
「え、好きなお酒の話よ。
あなたたち、さっきまでしていたじゃない。」
「宮さまが梅酒――、とっても庶民的だわ……」
「ふふ、だって私はゴマだもの。
ねえ、教えて?
あなたたちが、あの後どうしたのか。
何を選んで、何が起こって――
どうして、今の旦那様と一緒になったのか。
私、すごく聞きたいわ。」
珠子の言葉に、あやも彼女へと身を乗り出す。
「ええ、いいわ。
でも私も、聞きたい。
珠子さんが、あの後どうなったのか。
何を見て、どんな生活をして――
どうして、常盤宮親王妃になったのか。」
あやが手を差し伸べると、珠子がその手を取る。
一拍遅れて美也子も両手を乗せてきた。
ゆったりとしたワルツに、シャンデリアの明かりがチラチラと煌めく。
やがて、人々に『鹿鳴館の華』と呼ばれる三人の話は、
いつまでも、尽きなかった。




