表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
秘された旦那様は、目隠しの彼女を離さない ――片岡あやの顛末  作者: じょーもん
第四章 桜と恋雲雀

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/37

第三十二話 うたかたの声

「……やっと、気が付いたね。片岡あやさん。」


「……」


 あやが絶句していると、嘉七は、諦念を浮かべた顔で微笑む。


「昔馴染みの俺が、君の旦那ヅラをしたり、

 名を伏せて純潔を奪ったり――失望したかい?」


「い……いえ……。ただ、すごく驚いてしまって……」


 口ではそう答えながら、あやは静かに己に問いかける。


 ――私は失望している? 嘉七さまに、裏切られたと思っている?


 いいえ、全くそんなことは思っていない……


「……私こそ、すぐに――、いえ、せめてお声を聞かせていただいた時に、気付ければよかったのですけれど。

 まさか、“かの君”が嘉七さまとは、露も思い当たらず……、薄情を働いてしまいました。」


 あやは、柔らかい表情を心がけて、ゆっくりと畳に手をつき頭を下げた。

 すると嘉七はにわかに慌て始め、あやへとにじり寄る。


「顔を上げておくれ。わからないようにしたのは俺なのだから。

 それよりも――、君をたばかった俺を、許してくれるのか?」


 不安げにのぞき込んだ嘉七の手を、あやはそっと両手で包み込む。


「――許すも何も、私は怒っておりません。

 名乗らなかったのではなく、名乗れなかったのでしょう?

 それでも、うちの女将さんに秘密を持って、

 四郎兵衛さまを代理に立てても、私の旦那になると覚悟なさったのでしょう?

 私は、その真心だけで――あなた様のすべてを、許せます。」


「……そう……か。」


 あやは、にこりと微笑みかけると、腰をあげる。

 閉まっていた障子を半分ほど開ければ、川辺の桜並木はこぼれんばかりに花を付けている。

 川沿いの道には、めかしこんだ花見客と、さまざまな露店が並んで祭のよう。


「せっかく花見に船まで借り出したのですから、ちゃんとその分楽しまなくっちゃ。

 ほら、新橋で一番人気の“かつ膳”の花見弁当ですよ。

 お酒は召し上がります?」


「いや、酒は怪我に障るとまだ止められててね――、見張りもいるんだ。」


 苦笑した嘉七の視線を辿れば、障子の隙間から女がこちらを鋭く睨んでいる。


「まあ、奥さま?」


「いやまさか。俺がすぐに無理をするからと、医者がよこした看護人だよ。」


 嘉七が言えば、


「朝比奈さまは、まだ入院中ですからね。どうしてもというから、渋々許可を出しただけです。」


 と女が声を上げた。

 聞けば布団も万が一に備えて積み込んだとのこと。

 はからずも艶事を想像したあやは、少しばかり恥ずかしかった。




 桜を眺めながら、弁当をつつき、茶を傾ける。


「――本当は、君を花街になんか行かせたくなかったんだ……

 でも、俺が知った時には、全てが終わった後だった。」


 嘉七が肩をあやに預けながらぽつりぽつりと話し出した。


「君の親父殿と反目した後、俺は今の主人に拾われてね。

 仕事に夢中になっていたら……片岡家は無くなり、君の行方を見失っていた……。

 そうしているうちに、柏原組の鉄砲の商いを、全部預けられるほどになって――

 その頃だったかな……。吉田から土産はがきを見せられたんだ……。」


「……吉田さまとは、旧知なのですね。」


「ああ、戊辰の役では、同じ釜の飯を食った仲だ。

 その吉田が、執心しているという半玉の隣に写っていたのが――君だった。」


「まあ! よくおわかりになりましたね!」


 あやが驚くと、嘉七は神妙に頷いた。


「最初は半信半疑だった。

 だから吉田に頼んで、座敷に呼んでもらって、

 それでも信じられず、素性調査までしてしまった……。」


「――それで、私の旦那に?」


「ああ。君は本当に人気があって、旦那になるのも一苦労だったよ。

 吉田のみならず、柏原組の主人・正吉様まで、お力になってくださって……

 なんとか、その座を射止めたんだ。」


 柏原正吉と言えば、将校や高官とも交流のある、大実業家である。

 数年前には、政府の要人の洋行についてゆき、見聞を広めたという。

 その際にサロンにあこがれて、新橋に内装が洋風の“巴菊”を開いたという――


「あ……それで、最後の逢瀬が――“巴菊”だったのですね?!」


 あやが思わず手を叩くと、嘉七もその時のことを思い出して苦笑する。


「ああ。正吉様が手配してくださった。

 まあ、俺も中を見て驚いたが――いい思い出だ。」


 嘉七は少しためらってから、指のない右手をあやの手に重ねてくる。


「――本当に、すぐに君を迎えに行けず、すまなかったと思っている。

 そもそも、花街に売られる前に手を打てたらと、ずっと悔やんでいた……。」


 嘉七の言葉に、あやは淡い笑みを浮かべて彼の手を握り返し、

 大きくうなづくと、腰をあげて半開きだった障子をあけ放った。


 そして、彼女は手すりに身を預け、声を張り上げて唄い出す。


 彼女の声は川面を渡って、行き交う屋形船や、川辺の花見客の耳にも届いた。


「あれ、新橋の“恋雲雀”でないかい?」

「隣の男は誰だろう――」

「良い声だなぁ……」


 皆があやに視線を向けた。


 嘉七は、ただその声に聞き入り、彼女の美しい横顔を眺めているばかりだった。


「――行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。」


 あやが、方丈記の冒頭を暗唱して、嘉七に振り返る。


「嘉七さま――、私、花街に流れて、芸妓になって――、それを後悔はしておりませんよ。

 たぶん、あのまま片岡家にいたならば、私は淀みで腐っていたでしょうし、

 衆目を集める唄や舞い、所作も身に付かなかったでしょう。

 嘉七さまにも、きっと見つけてもらえなかったに違いありません。」


 不意に強く吹いた春の川風が、屋根船の中を通り抜けていった。

 数枚の花弁が、はらはらと畳に舞い落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ