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秘された旦那様は、目隠しの彼女を離さない ――片岡あやの顛末  作者: じょーもん
第四章 桜と恋雲雀

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第三十一話 かの君

 三月半ば、晴れた日だった。


 三日前に、四郎兵衛の名で指定が入った。

 場所は馴染みの茶屋で、時間は昼間である。


 すっかりめかしこんで、置屋を出たのはまだ昼前だった。


 ここ数日はずっと晴れていて、道は少し埃っぽい。

 料亭の庭先に植わっている桜が塀越しに見えた。


 陽気はすっかり春で、空は淡く霞み、桜は――咲き揃ったばかりだった。


 ――“かの君”は、今日こそ名乗ってくれるのだろうか……

 いや、名乗ると約束したではないか……

 でも……今回の逢瀬は、私がねだったものだから――


 新橋でも指折りの芸妓となった自尊心から、

 表情こそ、ピクリとも動かさなかったが、

 あやの中は千々に乱れるというのも生ぬるい、暴風雨だった。


「恋歌ちゃん、気合入ってるねぇ。きれいだよ。」


 茶屋で女将相手に談笑していた四郎兵衛が、やって来たあやに微笑みかける。


「それは――まあ……、逢いたいと恋焦がれた殿方に、久方ぶりに会えるのですから、

 張り切らない方がおかしいでしょう?」


 あやが口をとがらせると、四郎兵衛は可愛くて仕方がない、という風に笑う。


「そうだねぇ。君は本当に――、彼に恋をしているんだね。

 いや、結構、結構。」


「……“かの君”は本当に、おいでになるんですか?」


 あやが探るように聞くと、四郎兵衛は立ち上がる。


「ああ、彼は来るよ。彼だって、この日をどれだけ待ち焦がれて準備したか――

 おっと、口が滑ってしまった。すまないすまない。」


 ――やっぱり、四郎兵衛さまは、“かの君”とずっとお会いになっていたのだわ。


 あやは、なんとなく悔しいような気持になって、先に歩き始めた四郎兵衛の背中を睨んだ。



 あやが連れてこられたのは、芝口河岸の船着き場だった。

 上等で品の良い屋根船が一艘泊まっており、船頭があやを出迎える。


「旦那様は、まだおこしなっていないですぁ。

 中で待っててください。」


 正午が近づき暑くなってきたのか、

 船頭はたすきをかけ、ほっかむりをしている。


「では来るまで、わしも中で待たせてもらおうかね。」


 付いてきた四郎兵衛も、あやに続いて乗船してくる。


 屋根船は、それでも五、六人は軽く乗れるほどの広さのもので、四方は障子と簾で仕切られている。

 畳敷きに座り心地のよさそうな座布団と、なぜか布団が一組、運び込まれていた。


「恋歌ちゃん。一応目隠し、させてもらおうかね。

 せっかくなら、自分で解いて、彼の顔を見るといいよ。」


 四郎兵衛は言うと悪戯っぽく笑って、懐からいつかの黒布を取り出した。

 あやの許可を得る前に、さっさと彼女の目元を覆ってしまう。

 もっとも、髪や化粧が崩れないよう、

 いつかよりは、ずいぶん柔らかく結ばれていたが。


「……四郎兵衛さま、これは、“かの君”のご指示?」


 あやが少し不安気にたずねる。


「いいや。でもせっかくだから、知る楽しみを演出しようと思ってね――

 サプライズ……ああ、たしか、そんな風に言うんだよ。取引先の英国人に聞いたんだ。」


「四郎兵衛さまったら――」


 あやが怒ろうとした時だった。



「旦那様――ご無理はほどほどに……何かございましたら、私が控えておりますゆえ。」


 凛とした女の声がして、舟がぐらりと揺れる。


「ははは……心配性だなぁ――。大丈夫、もう万全に近いんだ。

 医者はずいぶん大げさなんだよ。」


 答えた男の声は、記憶にある“かの君”の声、そのもので――


「――旦那様っ!」


 あやは身をよじり、声のする方へと顔を向けた。


「おお、いらっしゃい。

 では、わしはここまでで、おいとまするよ。」


 四郎兵衛が立ち上がり、“かの君”とすれ違いで船を降りて行く。


 絹磨れの音が川面の波音に混じって、あやのわきを通って行った。


「……久しぶり。あれ? また目隠しをしているのかい?」


 あやの向かいの上座に座った彼は、逢えなかった時間などなかったように、気軽に声をかけてくる。


「……四郎兵衛さまが、さぷらいず? だとか……」


 あやが気まずげに首をかしげると、彼が苦笑する。


「ああ、あの人ねぇ。最近すっかり英国人の呉服商と意気投合してしまって――

 すっかりかぶれてしまったのだよ。」


 船が揺れて、岸を離れたことがあやにも分かった。


「――とりあえず、約束だから名乗ろうかな……

 俺は朝比奈善次郎。柏原組商会で、番頭をさせてもらっている。」


 ――柏原組と言ったら、有名な鉄砲商だ。


 政府御用達で、先の西南の役でも、鉄砲や銃弾の供給をしていたことを、

 あやも、客から聞く話として知っていた。


「……朝比奈さま、目隠しをとっても?」


「ああ、いいよ。それじゃあ、花見も楽しめない。

 けれども、姿を見ても驚かないでほしいな。先の戦争で、少々けがをしてしまってね……」


 あやは、そっと後ろ手に、目隠しの結び目をほどく。


 障子が閉じられたままの室内は薄暗く、目はすぐに慣れた。



 目の前にいたのは、番頭というにはかなり若年の男だった。

 ただ、片目に眼帯をかけ、右手を懐に隠している。


「責任者として――、剣術にも覚えがあったから、輸送の護衛の任にもついていたんだ。

 そこでバッサリやられてしまってね……

 ほら。この通り、筆を持つのも不自由で、文もままならないんだよ。」


 ひらひらと振って見せた右手には、親指以外の指がなかった。


「まあ、命があってよかった。」


 あやは呆然と、彼の顔を穴が開くほど見詰める。


 眼帯で隠れている。


 髪型も変わっている。


 そもそも、最後に会った時から何年も経っている。


 けれども、“かの君”は――


「……嘉七……さま?」


 ため息のようにこぼれた名は、かつて武家の娘だった頃、結婚を約束していた者の名だった。

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