第二十五話 正しい“好き”
異能特務局の接待は成功裏に終わり、吉田は大変満足して、芸妓たちに相当額のご祝儀を包んだ上、
後日にはそれぞれに装飾品を送るなど、大盤振る舞いだった。
もっとも、なぜ大蔵省の官僚が異能特務局を接待していたのかは、
最後まで芸妓たちに明かされなかった。
見ざる、言わざる、聞かざるが基本のこの世界――、
あやもまた、そこに興味を持とうとは思わなかった。
「でも――、吉田さまって、羽振りがいいわよね……。
大蔵省とはいえ官僚でしょ?
そんなに儲かるのかしら?」
吉田から贈られてきたべっこうの簪を光にすかしながら、あやがそう聞くと、
望月が苦笑する。
「官僚としても、結構もらっているらしいけれど――
それよりも、土地の売買で利益を出しているって話よ。」
「へぇ……それでそんなに……ねぇ。」
「ええ、でも、ちゃんとした知識がないと、食い物にされるだけだよって、おっしゃっていたわ。」
人差し指を立て、まじめな表情で言う望月を見ながら、あやはふと父親のことを思い出す。
――うまい話なんて、そうそうあるわけないのよ。
簡単に儲けているように見える人だって、
陰で、いろんな努力をしているのだわ……
「私には、ちょっと無理そうね――」
あやは苦笑しながら、
自分は食い物になるまい、と心の中でそっと誓った。
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「恋歌姐さん、文です。三浦さまから――」
最近入ったばかりの下働きが、
あやのもとへ文を持ってやってくる。
彼女は「アヤ」と名付けられていた。
名付けたのは女将だったが、
おそらく彼女も、置屋の主人も、“恋歌”の真名など、もう忘れてしまったのだろう。
アヤは年のころは十ばかりで、もし彼女が半玉になる頃まで自分が置屋にいたら、姐に名乗り上げたいと、あやはひそかに思っていた。
「アヤ、ありがとう。ほら、お駄賃」
あやは文机の上に置いてあった陶器の物入れの蓋を取る。
中には、色とりどりの有平糖が、まるで宝石のようにつまっていた。
「ここで食べて行きなさい」
あやが差し出すと、
アヤは目をきらきらさせて、しばらく吟味した後、
「これにする」
そう言って、桃色のものを選んだのだった。
畳の上にぺたりと座り込み、小さな有平糖を両手で持って、
コツコツと歯でかじり取りながら大事に食べるアヤを、あやはしばし見詰めてから、文をおもむろに開いた。
その文は、包紙こそ四郎兵衛の名が書かれていたが、筆跡は一目で、目隠しの“かの君”だとわかる。
手紙のやり取りを始めて、はや数ヶ月。
二人の間を行き交った文は、十数通に上っていた。
「姐さん、聞きました?
笹紅屋の富乃が、間夫と駆け落ちしたって。
まだ見つからないって、大騒ぎしていましたよ。
間夫って、何ですか?」
アヤがふと、有平糖を食べる手を止めて、あやを見る。
「間夫は――好いた男……かな。商売と関係ない相手だよ。
笹紅屋は、色も売る置屋だから、耐えかねたんだろうねぇ……」
「ふうん……、好きならお金を払って、
お座敷に呼んでくれればいいのに……」
無邪気に首をかしげるアヤに、あやは思わず苦笑する。
「たぶん、全部を買い上げるほど、甲斐性はなかったんだろうねぇ。
それに――
本当の“好き”は、お金なんか払わなくても、会うものなんだよ」
「じゃあ、望月姐さんの吉田さまや、恋歌姐さんの三浦さまは、
本当の好きじゃないんですか?」
アヤは、わからない、と眉をしかめながら、追い打ちをかけてくる。
「うーん、それは難しいねえ。
そもそもね、私たち芸妓には、置屋と、お金の約束があるでしょう?
それを肩代わりしてでも、一緒にいたいっていう、“好き”の形もあるの。
そして――
それが、ここでは正しい“好き”。
富乃のように駆け落ちするのは、たくさんの人に迷惑をかけて、悲しませることになるのよ」
「へぇ……、そうなんですね……」
アヤは残りの有平糖を口に放り込み、カリカリとかみ砕いた。
あやは、文へと視線を戻す。
文にはいつも通り、当たり障りのない時候の挨拶と、東京の各地のできごとが書かれていて、
その内容からは、“かの君”がどんな職に就いているのか、どこに住んでいるのかは読み取れない。
それでも、新橋の花街から出られないあやは、その手紙を、いつも心待ちにしていた。
けれども、今回の文末には、
いつもと違う一文が添えられていた。
『――しばらく文も書けそうにありません。
お呼びだてしてよろしいようでしたら、
三浦屋までお返事ください。』
四郎兵衛が書いたという体のこの文で、
「三浦屋」と記されるのは、四郎兵衛を通せ、という暗号だった。
「アヤ、ちょっと待ってくれる?
旦那さまに、文を届けたいの」
砂糖でべたべたになった手を舐め終え、
その場を立とうとしていたアヤを、あやは呼び止めた。




