第二十四話 私は、ここにいる
「ちょっと見た? あの方って、男装なさっていたけど、絶対に女性よね。」
「見た見た! 凛としてお美しかったわぁ、私、あの方にお酌したい。」
控えで出番を待っている半玉たちが、ひそひそと囁き合い、肩をつつき合っている。
先ほどこの料亭に、吉田と数名の官僚に伴われた異能特務局の将校たちがやって来た。
彼らはきっちり軍服を着込み、物々しい様子であったが、その表情は柔らかい。
「女将さん、お料理は? 準備万端ね、お酒の方も――ああ、ならいいわ。」
望月は料亭の女将と最後の打ち合わせをしつつ、翠玉楼から連れてきた芸妓たちに視線を走らせる。
「美浜、清富、こそこそ覗きなんかしていないで。
もう、乱菊姐さんも言ってやってくださいよ。」
吉田から手配を任されている彼女は、寸分の失敗も許すまいと、ぴりぴりしていた。
「望月、ほら、お茶。
万事滞りなく進んで――あなたのその、吊り上がった目尻を何とかすれば、準備万端よ。」
あやが苦笑しながらぬるい茶を勧めると、望月ははっとして眉間を揉み、同じように苦笑しながら湯呑を受け取った。
「……私、そんなに怖い顔していた?」
「ええ、だいぶ。あなたはちょっと気を張りすぎよ。
ここの女将さんだって、姐さん方だって、
官僚だの将校だのの相手は知り尽くしているんだから。
あなたは、大船に乗った気でいればいいのよ。」
「ええ――、わかってはいるんだけど……そうね。」
気分を切り替えるように、湯呑を一気に飲み干すと、ほっと一息つく。
「で――、今日来た将校さんの中に、あんたのお姉さんはいたの?」
何気ない様子でたずねた望月から湯呑を受け取りながら、あやは小さく首を振った。
「いいえ、姉はいなかった。
まあ、義兄はいるかもしれないけれど……」
「……大丈夫? 無理そうなら――」
「問題ない。姉も義兄も、関わりは薄かったから。
今さら会ったって――至近距離で顔をつき合わせたところで、絶対に分かりゃしないわよ。」
平気な顔で、にやりと笑ってみせたあやに、望月はなおも心配そうに眉をしかめる。
「……ならいいけど……無理は、しないでね?」
まもなく呼び出しがかかり、芸妓たちは望月を先頭に、座敷へと向かった。
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「ああ、姐さん方は『翠玉楼』の皆さんでしたか。
ええ、我が特務局も、そちらのご主人にはご縁がありましてね。
以前ご依頼いただいたことが――確か、あの時に出たのは……」
吉田の酌を受けながら、局長の篠崎と名乗った男が笑う。
彼は「女人に触れると神威に障る」などと言って、芸妓たちの酌を断っていた。
「『翠玉楼』なら、私が行った。
あれは、もう……何年になるか――」
すぐそばで杯を傾けていた美丈夫が答える。
――あれは、やはり、姉・りよの夫、斎部清孝……。
少し離れたところで酌をしていたあやは、表情が動かぬよう、細心の注意を払った。
「ああ、清孝殿だったか。そうだそうだ、斎部夫妻に行ってもらったんだった。」
篠崎は膝を打って、上機嫌に笑う。
酒も進み、だいぶ酔いが回っているようだった。
「……置屋のご主人は、息災か?」
清孝が、彼の傍に侍り、酌をしていた望月にたずねる。
「ええ、旦那様は相変わらずですよ。
――お祓いをしてもらったお嬢様のことは、聞かないんですね……?」
「……まあな。
あの娘がどうなったか、くらいは、容易に予測が付く。」
清孝は、感情の載らない声のまま、杯を空けた。
「吉田殿!
この場に、かの有名な玉兎と小唄がいると聞き及びましたが――
『二人揃いで目にすれば、寿命が三年延びる』という、噂の唄と舞いを、披露してはくれませぬか」
半玉二人を侍らせていた男装の麗人、桃蘇阿多香が声を上げた。
「おや、伝説の二人は、特務局の皆様にまで届いておりましたかな?
二人はもう水揚げしまして――今はほら、
玉兎はそこの望月に、小唄はそちらの恋歌になっております。
望月、恋歌。一席、披露してくれ。」
望月が、一瞬だけ、不安げな視線をあやへと走らせる。
――望月、私は平気よ……
あやは、笑顔を作ると、深くうなづき返した。
――聴きなさい、斎部清孝……。
私は、あなたの義妹じゃない。
翠玉楼の売れっ子芸妓、恋歌よ。
基本的に座敷に上がらなくなった望月が、舞を見せるのは久しぶりのことだった。
あやの伸びやかな唄に乗って、彼女は蝶のように舞い踊る。
耳はあやの唄に、目は望月の舞に――
その場にいるすべての者が、釘付けとなった。
「――君は、もしかして……」
宴が終わり、見送る段になって、清孝が踵を返し、あやへと向き直った。
あやは、一瞬だけ真顔になってしまったが、すぐに立て直し、
わざとらしく、明るくころころと笑う。
「ええ、以前、翠玉楼へいらっしゃったとき、
すれ違ったのを覚えていらっしゃったなんて、光栄ですわ。
でも、口説こうなんて、だめですよ?
私はこう見えても、旦那様に操を立てていますし、
斎部さまも、奥さまに叱られてしまいますわよ?」
「いや、私は、そういうつもりでは――」
慌てた清孝に、篠崎が面白そうに振り返る。
「なになに、細君にしか食指が動かない朴念仁が、
売れっ子芸妓に一目惚れだって?!
おい、吉田殿。とんでもないことになったぞ」
「斎部殿、恋歌は勘弁してやってください。
その子に手を出すと、いくら将校さんでも、無事じゃいられませんよ」
吉田も冗談交じりに言い、清孝は「そういうことじゃない」と、
気まずそうに二人を睨みつけた。
「……斎部さま。
もし、何か気にかかることがあったとしても――
気にしなくて、よろしいのです」
あやは、清孝に微笑んでから、彼に一歩近づく。
それから、彼だけに聞こえる声量で、
「――“今”に、私は、満足しております」
と、囁いた。




