第二十一話 白粉の下で、ままあること
水揚げが決まってからというもの、あやのまわりはにわかに忙しくなった。
ひとつ前に水揚げした望月の時は、事が事だったため、どこか急き立てられるような慌ただしさがあった。
それに比べると、あやの時は、ひとつひとつを確かめるように、じっくりと支度が整えられていく。
旦那となる四郎兵衛が、金も口も出すのは当然としても、
なぜか、望月の旦那である吉田が、ことあるごとに口を挟んでくるのが目についた。
あやは少し不思議に思ったが、
そういえば、旦那が決まる場でも吉田は口を挟んでいた。
それに、望月自身も、自分の旦那があやの水揚げに関わることを、特に咎める様子はなかった。
もちろん四郎兵衛も文句は言わず、素直に従う。
——ならば、きっと自分の知らないところで、何かしらの筋が通っているのだろう。
あやは、そう思うことにして、黙っていた。
そして、もう一つ――。
忙しさにかまけて、あやは気が付かなかった。
姐さんの雁金が、体調を崩していたことに――
水揚げが数日後に迫ったある朝、起きてこない雁金をあやが起こしに行った。
「――姐さん。まだお休みですか? 珍しいですね。具合が悪いなら女将さんに――」
障子を開けながら、雁金の方を振り返って、あやはぎょっとした。
朝の陽射しの中で、彼女の素顔を見るのは、いつ以来だっただろう。
いつもは白粉に隠れて気が付かなかったが、
彼女の顔色は鉛のようで、目の周りには黒々と隈が落ちていた。
「姐さんっ! 姐さんっっ!」
あやは慌てて雁金に駆け寄り、その胸元に取りすがって揺さぶった。
けれど、雁金は苦しげにうめぐだけで、目を開けようとしなかった。
「どうしよう――女将さん、女将さん……!」
あやは慌てて階下の女将を呼びに行った。
女将は主人の許可を取って、医者を呼んだ。
いつもは落ち着いている小唄が取り乱したとあって、
雁金の部屋には、たちまち芸妓や半玉が集まってきた。
布団の周りは、彼女を心配する芸妓仲間であふれ返る。
その華やかな渦の真ん中で、医者はしばし雁金の身体を診た。
それから、淡々と口を開いた。
「この者は――、ずいぶんと身体の不調を訴えていたのではないですかな?」
「え……、ええ……。ここ一、二年は、身体がだるいと申して、
時折、精のつくという漢方を煎じておりましたが――」
女将がおずおず言うと、医者は大きくうなづき返した。
「――昨夜も、それを服用したのではないですか?
原因は、恐らくそれでしょうなぁ……。
内臓が弱っていたところへ、良かれと思って服用した煎じ薬が、最後の一押しになったのでしょう」
「そんな――、お医者様。
姐さんは助かるのでしょう……?」
あやは思わず中腰に乗り出して、医者に迫る。
医者は、静かに目を伏せて、首を横に振った。
「――お嬢さん、残念だけれど、
今日こうならなくても、近いうちに、必ず同じことになっていただろうね。」
「そんな……」
力なく腰を落としたあやの肩を、隣にいた望月が抱く。
嗚咽をこらえる望月に対して、あやは、
すべての感情も表情も抜け落ちたまま、呆然と虚空を見つめていた。
「持って三、四日というところですな。
残念ですが……この稼業では、ままあることです。寿命と思って、差し支えありますまい。
会わせてやりたい人がいるなら、今のうちに。」
医者は、薬も何も置かずに帰って行った。
その日、あやは雁金の看病に尽くし、もちろん座敷も休んだ。
すでに座敷に上がらなくなっていた望月も、
憔悴しきったあやを、黙って支えてくれた。
夜には、雁金の旦那である大沢又兵衛が、
一人の若者を連れてやってきた。
政市と呼ばれたその若者は、又兵衛のもとで番頭を務めていると言い、
雁金とは、かねてより恋仲だったという。
雁金の年季が明けたら、落籍して夫婦になる――
あやはまったく知らなかったが、そんな約束をしていたのだという。
政市は、事の次第はすっかり聞かされていたようで、
真っ赤に泣きはらした目で、雁金の手を握った。
彼が訪れてからというもの、
あやは雁金を取り巻く世界から、はじき出されたような気がして、
少し離れた場所で、小さくなっていた。
「……望月……、私が忙しさにかまけないで、
もっと、姐さんを気にかけていたら……、こんなことには、ならなかったかしら。」
隣でやっぱり膝を抱えていた望月に、あやはつぶやく。
「ううん、そんな事ないと思う。姐さんは、急にこうなったんじゃない。
ずっと、具合の悪いのを隠して、芸に励んでいたのだわ……。
あんたのせいじゃないし、誰のせいでもない。」
望月は、こてん、とあやの肩に頭を預け、彼女もまた、眠る雁金を見つめた。
その日の夜明け前、
雁金は目を覚まさないまま、政市に手を取られて、息を引き取った。




