第二十話 決まるということ
あやが通されたのは、置屋の三間続きの奥の間――
来客時には応接室として使われる場所だ。
「やあ。今日は稽古がないと聞いたからさ、呼び出して悪いね」
ニコニコとあやに声をかけたのは、雁金の旦那で、材木問屋の大沢又兵衛だった。
その場には、望月の旦那の吉田と、座敷で何度か顔を合わせた呉服屋の三浦四郎兵衛、
そして、あやの姐である雁金の姿があった。
あやが末席に腰を下ろすと、廊下の障子を開けて、翠玉楼の主人も入って来た。
「ご無沙汰してます。」
主人はぺこりと頭を下げると、又兵衛の対面に腰を下ろす。
旦那衆は笑いながら礼を返した。
「小唄、今日皆さんにお集まりいただいたのはね、
あなたの旦那様に、こちらの三浦様が手を上げてくださって――」
女将も愛想よく笑いながら、四郎兵衛に手を向ける。
「もちろん、大沢さまの旧知でもあるのだけれど、
吉田さまもね、ご推薦くださって――」
女将の言葉に、四郎兵衛や又兵衛よりも一回り二回り若い吉田が、あやの方を見て、にこりと笑う。
「小唄ちゃんは、望月の親友だしね。僕からも、三浦殿を推薦させていただく。
彼は穏やかで紳士だ。僕が保証する。——君さえよければ、ぜひ承諾してほしい。」
――吉田さままで出てこられたなら……、もう、破談にはならないのかしら。
あやは一瞬だけ探るように吉田を見て、それから主人と四郎兵衛へと視線を移した。
皆はそれぞれ、あやと目が合うとやさしげに笑って、深くうなづく。
――今回は、信じて良いのかしら……
あやは一度目をつむり、呼吸を整えてから――心を決めた。
「わたくしでよろしければ……どうぞ、よろしくお願いいたします。」
あやは綺麗に三つ指をついて、深々と三浦に頭を下げる。
一同は――、殊に旦那衆はホッとしたように胸をなでおろし、表情を緩めた。
「ああ、小唄ちゃん。良かった。ありがとう。」
四郎兵衛が近づいてきて、あやの手を取る。
「こちらこそ、何度も破談になったわたくしを――
ありがとうございます。」
四郎兵衛の手を握り返し、あやは彼の顔を覗き込んだ。
一部始終を見守っていた吉田は、パンと手を叩いた。
「ところで、水揚げはどうするかい?
準備があるから早々にとはいかないかもしれないが、
望月もあんなことがあった後だしね。早めにした方がいいと思うんだ。
まあ、床入りまでするかは、小唄ちゃん次第でいいと思うんだけど――」
「衣装でしたら、わしが一肌脱ぎますよ。呉服屋ですからね。
小唄ちゃんに飛び切りの着物も帯も用意してあげますよ。」
景気よく言った四郎兵衛に、又兵衛と雁金がクスクスと笑った。
「まあ、本職に言わせるから品があるけど――ねぇ?」
「雁金や、言ってくれるなよ。
旦那となったからにゃあ、甲斐性を見せたいってのが男心よ。」
「ええ、ええ。又兵衛さまが私に送ってくださった桐ダンス、今も大切にしておりますよ?」
「おう、材木問屋が見栄張った一品だ。大切にしてくれぃ」
二人の夫婦漫才のような掛け合いに、あやもつられて笑った。
夜の座敷に備えて、奥の間を一足早く退出した雁金とあやは、
しばらく無言のまま、部屋へ続く廊下を歩いた。
「――おまえの水揚げが決まって、ホッとしているんだよ……」
自室の前で雁金がぽつりと言う。
「……そう、なんですか」
何と答えていいかとっさに出てこなかったあやは、あいまいに笑った。
「ああ、私だって、いつまでおまえの面倒を見られるかわからないからね……。
ところで、床入りはどうするんだ。もう、考えているのかい?」
「――まだ、よくわからなくて……。だって、芸妓は身体は売らないのでしょう?」
あやは、ここぞとばかりに本音で問うた。
雁金は一歩、室内に歩を進めてから答える。
「建前は――ね。だけど、考えてごらんよ。この、生まれの良い娘ばかり集めている『翠玉楼』って性質を……。
芸妓が芸だけ売って生きていける――そんな綺麗な置屋じゃないんだよ」
彼女に続いて、あやも室内へと入り、襖を閉めた。
雁金が、そこで振り返る。
「こんな身の上でも、初めては、女にとって大切なものだと私は思うからね。
致し方ない相手に、あるいは望まない相手に無理やり――
そんなふうに奪われてしまうなら、自分をかってくださった旦那様にもらってもらった方が、
気持ちが良いって――私は思うんだ。」
「姐さん……」
あやが眉を下げると、雁金は困ったように苦笑した。
「まあ、一番はお前の気持ちだけどね。私の意見は、参考程度にしてくれていいよ。」
言うだけ言うと、雁金は鏡台の前の座布団に腰を下ろし、大きくため息をついた。
もちろん、座敷では決して疲れた様子など見せない。
けれど最近は、自室に帰ると、ため息をついてぼんやりと遠くを見つめていることが増えていた。
先ほどまで頼もしかった姿は、座り込むとなんだかとても小さくて、あやは言いようのない不安と焦燥感に駆られた。




