第十八話 静かな清拭
「雁金、小唄。
帰って来たところ悪いけど、手伝っとくれ。おまえたちなら口は堅いだろ?
こんな姿、他の子たちには見せられないからね」
女将が申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「女将さん、一体なにがあったんですか?」
宵月の部屋へと向かう途中、列の後ろから雁金がたずねた。
女将は、あたりをうかがってから、低い声で囁く。
「宵月の常連で、岡本さまっていただろ。
ほら、春になるといつも、宵月相手に妙な癖を出される――」
「……ああ、『春酔の君』ですか? もう秋ですけど、あの御仁がまた悪癖を?」
「いや、それより悪い。
詳しくはまだ聞き出せてないけれど、座敷のもんが言うに――
岡本さまが、というよりは、あの方の連れが、酒癖が悪くてね。
酔った勢いで二人に手を上げたのに飽き足らず、
乱暴狼藉をはたらいた――ということらしいんだよ。」
「では――、まさか……」
雁金が目を見開き、言い淀む。
宵月と玉兎は、畳の上へと降ろされた。
宵月は顔を殴られており、白粉の下は赤黒く変色していた。
鼻血が顎まで滴り、まぶたが腫れている。
身体の大部分は着物で隠れていてわからないが、担架で運ばれてきたあたり、相当の重症に見えた。
玉兎の方も顔を殴られていたが、宵月と違うのは、
手首や足首に強くつかまれた痣が残っていることと、
着物が大きく着崩れている点だった。
「水揚げだ、とか囃し立てて、大の男数人で押さえつけてことに及んだそうで――
むごいことです。」
番頭が、唇を噛む。
男衆の一人が、湯を桶に入れ、手ぬぐいも添えて持ってくる。
あやはそれを受け取り、雁金と手分けして二人の清拭を始めた。
やがて、番頭と女将を残して、他の者たちは部屋を出て行った。
「まずは医者は呼ぶとして、宵月の旦那――藤沢さまにはどう伝えます?」
番頭が声を潜めて、女将にたずねる。
「藤沢さまには――、ありのままに話すしかないよ。
それで岡本さまとその連れがどうなろうと、花街のけじめってもんがあるからね。
それよりも、問題は玉兎の旦那に名乗りを上げていた、吉田さまだよ。」
「――大蔵省のお偉いさんですよね。岡本さまでは、格が天と地ほど……」
「……黙っていても、藤沢さまから伝わるだろうからね。
玉兎が――“傷物になった”と、
こちらから正直に伝えるしかないだろうね……」
「ですよねぇ……」
「本当に、とんでもないことをしてくれたもんだよ……」
やがて番頭は医者を迎える準備で下がり、
女将は清拭を手伝い始めた。
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後から聞いた話によれば、今回のことは岡本が主導したとのことだった。
玉兎の人気で宵月も座敷に呼びづらくなり、岡本は一方的に恨みを募らせていった。
遊び仲間と共謀し、最初は少し怖がらせるくらいで止めるつもりだったという。
けれども酒の勢いも相まって、玉兎を数人の男がかりで組み伏せた。
止めに入った宵月も、ひどく殴られ、餌食となった。
宵月は骨折しており、治っても元の通りには舞えないだろうと、医者は言った。
心の傷は玉兎の方が酷かった。
あの夜からしばらくは、療養する宵月の傍らで、
ただぼんやりと座っているばかりだった。
泣きわめきも、叫び出すこともなかったが、
彼女のあまりの静寂が、事の深刻さを告げていた。
そんな玉兎を、吉田は決して手放さなかった。
藤沢と申し合わせ、二人の療養中の資金をはじめ、こまごまとした世話を引き受けていた。
あやは、玉兎のもとを足しげく見舞う吉田に、
内心感心し、尊敬の念さえ抱いた。
吉田に妻はいないという。
玉兎が、その座におさまる――
それが、もっぱらの噂だった。
そして、そんな吉田を射止めた玉兎に、
あやは少なからず嫉妬したのだった。




