第十七話 人気の頂で
土産写真は、玉兎と小唄をある意味別の世界へ連れて行った。
少し前まで、花魁や芸妓という存在は、高級であればあるほど口端にはのぼれど、実際の姿を見ることができるのはごく一部だった。
以前は浮世絵が、その姿を伝えるほぼ唯一の手段だったが、絵師の腕前により、良くも悪くも大きく左右された。
その点、写真は嘘が少ない。
ことに、玉兎の――どんな人の視線も引き寄せる不思議な魅力は、写真と相性が良かった。
東京土産として、日本全国のみならず、海の向こうのアメリカやヨーロッパまで、人から人へと渡って行った。
やがて翠玉楼には、日本全国から玉兎と小唄に宛てて、文が届くようになった。
「博多だって、小唄は行ったことある?」
玉兎は、封書に記された差出人の住所を見ながら、あやにたずねる。
「……あるわけないじゃない。
あー、でも、宮川紡績の頭取のご出身は、あちらだったかしら――
玉兎、その文、全部返事するの?」
あやは玉兎の手の中にある束を見ながら、胡乱な目をした。
「当り前じゃない。まあ、下の子たちに手伝ってもらうけどね」
玉兎は束の中から小唄宛てのものをより分け、その都度あやへと渡しながら答える。
彼女は、最初のうちは自分でこまめに返事を書いていたが、
その量がある程度を超えたあたりから、下働きの子たちに代筆させるようになった。
住所を見て、東京近郊や地方でも大都市であれば自ら筆をとり、
聞いたこともないような地方の田舎や、東京でも貧しい下町の住所であれば、代筆に回した。
ことに、金持ちや官僚、出世株の軍人には力を入れており、手紙のやり取りから座敷に呼んでくれる者が何人もいた。
一方、あやはと言えば、玉兎と比べればささやかなものだった。
一応は返事をしていたが、文通のようになってしまうのが面倒に思え、
よほどの相手でない限りは、はがきに好きな唄の一節をしたため、綺麗な千代紙の切れ端を品良く貼って送った。
藤の咲く頃から、二人は忙しくなりはじめ、盆過ぎには休む暇もないほどになった。
いつしか玉兎のもとには、政治の中心にいる者が集まるようになり、彼女の旦那にと名乗りを上げる者や、水揚げしたいと頼み込む者、さらには一足飛びに身請けしたいと申し出る者まで現れ始める。
玉兎と小唄を揃いで呼びたいという客も増え、
二人の姐である宵月と雁金も忙しく、彼女たちの――ひいては翠玉楼自体の人気も、
うなぎ上りに高まっていった。
「もうさあ、気軽にお前たちを呼べないねぇ。
人気なのは、旦那として鼻が高いけれど――
もっと羽振りの良い旦那が、名乗りを上げてるんじゃないんかね?」
久しぶりに一人で花街へ出向き、雁金と小唄を座敷に呼んだ雁金の旦那・大沢又兵衛が、どこか寂しげに言う。
彼女たちの人気が出てから、邪魔をせぬようにと遠慮していた又兵衛だったが、
女将から珍しく二人の手が空いたと聞き、顔を出してくれたのだ。
「嫌ですよ、私は又兵衛さま一筋です。
恩には厚い女ですから、二心なんて疑わないでください」
雁金は酌をしながら、苦笑した。
又兵衛は珍しく少し悪い酔い方をしていて、雁金に絡んでくる。
「でもさぁ……小唄ちゃんなんか、そろそろ水揚げの話が出てるんじゃない?
もう女将さんは、旦那の宛てなんか考えているのかなぁ……」
「まあ、お話はありますけれど、女将も私も、そもそも小唄自身も、まだ芸を磨く段だと、お断りしている次第です。
ねぇ、小唄?」
「はい、まだまだ私は半人前ですから」
話を振られたあやも、きっぱりとうなづく。
「そうは言ってもねぇ、私ゃ心配だよ。
雁金さんの可愛い妹分が、変な男に苦労させられるのは、見たくないねぇ……」
又兵衛は白髪交じりの伸びた眉を悲しげに下げ、猪口の日本酒を一気にあおった。
珍しく深酒した又兵衛を送り出したのは、もう深夜に差しかかる頃だった。
帰り道、急ぎ足で翠玉楼の門をくぐった時、ふと雁金が振り返る。
「ああは言ったけどね、実は女将さんと、そろそろあんたに旦那を付けた方がいいって話をしてたんだよ」
「え……」
あやは突然の話に、ぴたりとその場に立ち止まった。
「実はね、いろいろと断りづらい話が舞い込みそうな気配があってね――。
『玉兎がだめなら、小唄でいい』なんて、そんな勝手なことを言って、旦那になろうって輩が、ちらほら出始めてるんだよ」
「なっ……なんですか、それっ。
玉兎の代わりって……失礼じゃ――」
――そんな風に私を軽んじている人がいるなんて……
血の気がすーっと引くような気がして、あやはめまいを覚える。
「私だって、そんな男に妹分を預けられないよ。
だけどね、この人気のまま半玉でいたら、いずれ断れない話がやってくる。
だから、少し考えてみてほしい」
雁金はこの上なく真剣な目であやを見つめ、
そっとその頬を撫でてから、再び玄関の方へと歩み出した。
「あぁ、あんたたちは、無事だったんだね。
はぁぁ、よかったぁ……」
玄関の引き戸を開けると、深夜だというのに、女将が飛び出してきた。
「そんな慌てて――、何かあったのですか?」
雁金がいぶかしげにたずねると、背後がにわかに騒がしくなり、番頭を先頭に、数人の男衆が門をくぐってこちらへとやって来る。
見れば、芸妓が担架に、半玉が番頭に背負われて、運び込まれていた。
二人とも、結い上げられた髷は崩れ、着物も乱れている。
その二人は、宵月と玉兎だった。




