第十五話 初座敷と軽い肩
「そうかい、小唄ちゃんって言うのかい。
でも、雁金さん、良かったねぇ。ずっと妹に抱えたい子がいるって言っていたもんねぇ。」
白髪交じりの頭髪を、まだ丁髷に結っている好々爺然とした薬屋のおやじが目を細めていった。
あやの半玉お披露目から数日、通常営業に戻り、初めて呼ばれた座敷は、
雁金の旦那で、材木問屋を営む大沢又兵衛が、馴染みの旦那衆を集めて開いた宴席だった。
「そうなんですよ。生駒と競って私が勝ったんです。
この子、本当に唄がうまくて。
ただ上手いってだけじゃないんです。又兵衛さまはお聞きになったでしょう?」
話を振られた又兵衛は、口に運びかけていた猪口を下して微笑んだ。
「ああ、小唄ちゃんの唄はねぇ、聞いているとこう、元気が出て活力が湧いてくるんだよ。
また明日から頑張って働こう――、そんな気持ちになるんだよねぇ。
もちろんすごく上手いよ。ああ、小唄ちゃん、一曲披露してくんないかい。」
視線があやに集まる。
「そうなのかい? さっきの舞もずいぶんよかったけど、唄の方が上手いなら、ぜひ聞いてみたいねぇ」
あやが酌に回っていた植木屋の若旦那が言った。
「三味線はからきしなんですけどね――」
あやがはにかむと、若旦那がニカリと笑う。
「いいんだよ。秀でた所を伸ばしていきゃあ。」
「じゃあ、小唄、準備して。」
雁金が声を張る。
雁金が三味線を鳴らし、あやが唄う。
あやの若々しく、張りと艶のある声は、十四とは思えない響きを持っていた。
座敷の男衆は、何度か耳にしている旦那の又兵衛も含めて、じっと聞き入り、酒を飲む手が止まっていた。
唄が終わると一瞬の静寂の後、又兵衛がパチパチと打ち鳴らす拍手の音だけが座敷に響く。
他の旦那衆はため息とともに飲みかけていた猪口に口を付けたり、
目元を手で覆ったりしている。
「はぁ……、こりゃあ、良いや。こう、心があったかくなるねぇ……」
「ああ、ジーンと染み入るねぇ。唄を聞いた酒まで美味くなっている気がする。」
「雁金さん、小唄ちゃんは地方にするのかい?」
又兵衛がたずねると、雁金は困ったように首をかしげる。
「舞もいいし、唄もいい――、半玉の内は何でも学んでもらって、
後は本人の好きな方にすれば――」
雁金の言葉に、あやは少し驚いて彼女に顔を向けた。
――どっちでもいいの? 私が選んでもいいの?
『小唄』と名付けたのは、雁金だった。
「おまえは唄がうまいから」
理由はたったそれだけ告げられた。
だから、あやはすっかり自分は地方として育てられるのだと思い込んでいた。
「とは言いましてもねぇ、このごろの新橋じゃ、芸妓も次々と軍人様や官僚様に落籍になることが多くて――
いくら芸を磨いても、披露できる時間はとても少ない。」
三味線を脇に置きながら、雁金は寂しそうに言った。
「ああ、とみ屋の勝乃のことかい? あれはたまげたねぇ。
何てったっけ、政府のお偉いさんがこぞって押し寄せるってんだろ?
侯爵家だか、華族様でも偉い方が正妻にするって聞かないんだって――」
話題は移ろってゆき、あやは酌に戻る。
夜はゆっくりと更けていった。
帰り際、旦那衆はまたきっと雁金と小唄を指名すると言い、もう一度あやの唄を褒めていった。
置屋に着くと、雁金はぐったりと疲れた様子で座り込む。
「姐さん、大丈夫ですか?」
あやは慌ててしゃがみ込んでのぞき込む。
奥から女将が冷たい水を持ってきて出迎えた。
「お疲れさん。ほら、水だよ。酔いが回ったんだろう。
雁金は本当はお酒、弱いからねぇ……。妹分の前でええかっこしたんだろう?」
苦笑を浮かべた女将から湯呑を受け取った雁金の顔は、確かに真っ赤だった。
「うるさいよっ、ばらさないでよ、女将さん。
だって、小唄にあんまり呑ますわけにいかないじゃないか。」
「姐さん……っ! 私、次は頑張りますよっ!
たぶん、私、お酒弱くないんです。父も母もちっとやそっとじゃ赤くならなかったから……」
湯呑を受け取りながらあやが必死の形相で言うと、
雁金はフンと鼻で笑ってふらふらと立ち上がる。
「半玉なりたてのヒヨコが何言ってんだい。
若いもんが酒なんざ進んで呑むもんじゃあないよ。
大体、赤くならないヤツの方が何倍もまずいんだよっ」
足元はだいぶ怪しいが、呂律はしっかりしていることに内心感心しながら、あやは雁金に肩を貸して部屋まで誘導する。
彼女の体重を初めて肩に感じて、その軽さにあやはハッとする。
雁金は、その気風と相反して、とても細く華奢な身体をしていた。




