第十四話 血と心は捨てられない
ゴマがいなくなったからと言って、あやの日常は変わらなかった。
月日は容赦なく流れ、冬の気配も深まったある日、あやは女将に呼び出された。
呼び出されたのは、あやだけではなかった。
下働きのマチと、先月入ったばかりの、十六のシヅと十五のムメも呼ばれていた。
座敷で待っていたのは、女将と、
妹分を持っていない、あるいはもう一人抱えても差し支えないという芸妓だった。
その中には、生駒、藤ケ瀬、宵月に加えて、つい先月、小鶴を見送った雁金も含まれている。
「今日おまえたちに集まってもらったのは、この子たち四名を、近々半玉としてお披露目しようと思ってね。
シヅとムメはまだ置屋に来て日が浅いが、新橋芸者の需要は高まるばかり
――悠長なことも言ってられない。
実地でこの子たちを鍛えていく必要があると思ったのよ。」
女将がもっともらしいことを言う。
でも、あやは、近所の置屋のいくつかが、
十二にもならない子を半玉としてお座敷に送り込んでいるとも耳にしていて、
『翠玉楼』がまずまず倫理を守っていることに信頼を置いていた。
「あたしたちを一堂に集めたってことは、
女将さんは、誰が誰の妹か、まだ決めていないのね?」
口を挟んだのは、一番年長で、妖艶な舞に定評のある宵月だった。
「そうだね。まあ、私としても意見がないわけじゃないけれど、
最終的には、当人同士の意思が大切だと思うの。」
「なら、私たちからも、姐さん方にお願いしてもいいってことですよね!」
元気よく手を上げたのは、マチだった。
彼女は自信と喜びを顔じゅうに貼り付けて、しきりに雁金の様子をうかがっている。
当の雁金は、少しうっとおしそうに視線をそらしていた。
「いいけれど、無理強いはできないよ。」
女将も胡乱な眼差しをマチに向けた。
彼女が雁金の妹分の座を狙っていることは、女将の耳にも届いていた。
「はい、私はおケシちゃんがいいわ。
ねえ、私の妹分にならない?」
真っ先に手を上げたのは、生駒だった。
「私も――ケシを妹分に欲しい。」
続いて手を上げたのは、なんと雁金だった。
場のすべての視線が、あやへと注がれる。
あやは目を見開いて、呆然と二人の姐さんを見比べた。
「ちょ……、ちょっと待ってくださいっ。雁金姐さん、どうかわたしを妹に――」
慌てて割って入ったのはマチだった。
けれども、雁金は、マチをきつくひと睨みした。
「私は知っているよ。
おまえが私に就きたいのは、元の身分のせいだってね。
花街に売られたなら、そんなの関係ないだろうに。」
「そんな……でも、私は、本当に姐さんに就きたいと――」
追いすがるマチに、雁金は容赦なく現実を突きつける。
「おあいにく様だけど、私は武家は武家でも、
あんたが思っているような旗本様じゃあないんだよ。
しがない小藩の剣術指南役の娘さ。おまえの好きな石高で言ったら、最後はせいぜい百五十石と言ったとこだろう。」
雁金は宵月の方へ振り向いて、にやりと笑った。
「おまえの姐さんになら、宵月姐さんが名乗り上げてるよ。
正真正銘のお姫様さ。
淡海国四万石、菊川藩の御落胤だ。」
「嫌だねぇ。しがない妾腹だよ。
でも、じゃじゃ馬ならしは嫌いじゃないし、
おマチちゃんは大好きだよ。」
宵月はあだっぽく笑うと、スッと立ち上がり、マチの方へと歩み寄った。
そのそばに座ると、着物の袖の内へと、すっぽりマチを抱きこんだ。
「ふふふ、妾腹と言ったって、父様は江戸城に上がって、上様にお目通り願える身分だよ?
申し分ないだろう? ねぇ、おマチちゃん、私の妹に、なるよねぇ。
それに私は、おまえを飛び切りの芸妓に育てる自信があるよ?」
マチの耳元で囁く宵月の声音は色っぽく、なぜかマチは頬を赤らめてしまう。
「よし、じゃあ、マチは宵月のところで決まりだね。
さて、ケシはどうする?」
もうマチを離そうとしない宵月に、女将は少し引き気味になりながらも、
声を張り上げて、場を仕切り直した。
急に振られたあやは、ビクリと身を震わせて、背筋を伸ばす。
右に生駒、左に雁金。
生駒は柔らかい笑みを浮かべて、小さく手を振り、
雁金は武人めいた背筋の伸びた姿で、凛とした様子のまま、あやを見つめている。
――生駒姐さんに就いたなら、きっと楽しい半玉生活になるだろう。
けれども……
あやの脳裏に、いつぞやのやり取りが思い浮かぶ。
あれはまだ春。姉のりよが陸軍将校として翠玉楼を訪れたときのことだ。
生駒は彼女を抱きしめて、全てを捨ててまっすぐ生き直せばいい、と言った。
そんな様子を見た雁金は、甘やかすなと切って捨てた。
けれども、あの時、あやは確かに思ったのだ。
武家としての名と家は捨てた。
けれども、血と心は捨てられない、と。
「――生駒姐さん、すみません。私、姐さんのことは大好きなのですけれど……」
言葉は考える間もなく口から滑り出していた。
生駒に向かって微笑んでから、
あやは雁金の方へ向き直り、表情を引き締めて背筋を伸ばした。
「雁金姐さん、私はあなたの下で自分を磨きたく存じます。」
三つ指をついて、これまでの稽古の成果をすべて込め、
あやは美しく頭を下げた。
雁金は、その髷を見つめながら、初めてふっと笑みを漏らした。
「ああ、本当に惜しいなぁ……。
でもまあ、雁金になら、致し方ない。
辛くてどうしようもなくなったら、いつでも私のとこにおいでなさい。
女将さん、私は今回は降りますよ。」
生駒が眉を下げ、気が抜けた声で吐き出す。
「じゃあ、ケシは雁金の所ね。」
女将は心底安堵したような声で言った。




