73:公私の境界線
『彼女のことは私が全力で護るので問題ない』
――ザンッ!
『今日のお召し物は、王子殿下がティア様のために誂えたドレスだと』
――ザンッ!
ティアとオーケヌス、今朝のやりとりが脳裏に焼き付いて離れない。
(……あれで、『フリ』だと? 笑わせるな!)
王子の囁きに、頬を朱に染めたティアの横顔がチラつく。
「――くっ」
(あんな顔をさせておいて……)
時刻は土の刻少し前。所々に設置された魔力の灯りの中、誰もいない修練場に荒々しい斬撃の音が響く。
アクティスは、流れ落ちる汗も拭わず、一心不乱に剣を振るい続けていた。
「はぁ……はぁ……」
(……僕なら…………僕なら?)
そう考えたところで、アクティスの思考が停止する。
――ヒュンッ!!
(――っ!?)
突然、右側から聞こえた鋭い風の唸りと共に、キラリと一筋の白銀が飛来する。
アクティスは瞬時に、振るいかけた剣の軌道を変えて横に薙いだ。
――きいいんっ!
劈くような音が響き渡ると同時に、アクティスは大きく後ろに飛んだ。
(――まだ気配がする)
辺りに漂う不穏な空気に、警戒の色を強める。
(――来たっ)
後ろに現れた気配に、振り返る間も惜しんでその場から離れると、アクティスは剣を構え直し、急ぎ口の中で呪を紡ぐ。
風よ集え
この手に宿れ
我が振るう刃に
速さと力を与えよ
柄を握り締めた両の手に鮮やかな翠光が集まり、収束した光が長剣の先端まで駆け抜けると、剣身が淡い翠色の輝きを纏った。
(……どこだ)
現れては消える気配に、アクティスは集中する。
――シュッ
(!)
突然左側に現れた気配と同時に、風を切る音。
今度は下がらず、振るわれた剣を受け止め、弾く。
月明かりに、金糸が舞う。
(――姉上っ?!)
ガギッ!
(――重いっ!)
ギンッ! キギンッ!
まるで剣舞のような動きからは想像できない程、一撃が重い。
アクティスは風の魔法を纏わせているというのに、反撃のきっかけを掴むどころか、受け流すので精一杯だ。
(……くそっ! ……遊ばれているっ!)
ガギイッ!
何度目かの打ち合いの後、これまでで一番重い一撃がきた。
「――腕を上げたじゃないか。アクティス」
「……何をっ」
アクティスと剣を合わせたまま、セルレティスは金色の髪をシャラリと靡かせ、漆黒の瞳を細める。
「だが……まだ、遠い」
「……なっ」
ザンッ! ドスッ!
何が起きたのかわからなかった。
大して力を入れた風でもなく、無造作に押し返された。それから一瞬のうちに間を詰められた後、手にした長剣の柄頭で胸当ての部分を突かれる。
アクティスは後ろに飛ばされ、受け身を取ることさえできずに地面に転がった。
「ぐはっ……っ」
突かれた胸部と、思い切り打ちつけた背中の痛みに、呼吸が途切れる。
(く、そ……っ)
あまりの痛みに身体がくの字に折れ、苦しさのあまりに額を地面に擦り付ける。
アクティスを挑発するかのように、土の匂いが鼻先をかすめた。
ザッ、ザッ……
セルレティスが、月の光を背にして、ゆったりと歩いてくる。
「……無様だな」
アクティスを見下ろす、一対の黒。
そこに込められているのは、嘲笑か、落胆か。
「今のままでは、剣を捧げることなど出来ぬ」
抑揚のない、静かな――しかし鋭さの込められた声。
「今のお前の剣からは……焦燥と、妬みしか感じられぬ」
「な、ん……っ!」
口の中を切ったのか、喋りにくい。
身を起こそうと手をつき、頭を上げる。
セルレティスは目の前まで来ると、月の光を宿したような長剣を、アクティスの眼前に突きつける。
恐ろしく冷え切った眼差しに、心臓を突き刺されたような心地になった。
「……公私を分けられぬ者は、護衛として失格だ」
「そんな、こと……は……っ」
「無いとは言わせぬ。……己が一番、わかっているはずだ」
反論しかけたアクティスを制するように、セルレティスは畳み掛ける。
「……っ。姉上は……」
「私は生涯、あの御方に剣を捧げると誓っている。……この命ある限り」
そう言って、月明かりに悠然と佇む、巨大なリュリュイエ城を見上げた。
それからアクティスの方に視線を戻すと、見上げる青紫の瞳をひたと覗き込む。
「お前は未熟だ……だが、捧げたい相手ができたのだろう?」
「……」
アクティスの頬を、甘い香りが撫でていく。
「身命を賭して、守り……望むのはそれだけか?」
頭を打ったそれとは違う、くらりとしたものが、アクティスの頭の中に揺らめく。
(……のぞ、み……?)
――聞いては駄目。その瞳も、見てはいけない
どこからか声が届いた。
「……僕、は」
(なん……だ? 思考が……)
――目を覚まして。あの子を、守って
(だ、れ……だ)
――目を閉じて。早く!
妙にはっきりと届いた声に、アクティスは反射的に目を閉じる。
その瞬間、嘘のように頭の中が冴え渡っていく。
「うる、さい」
アクティスは再び目を開け、絞り出すように声をだす。
地についたままの右手で周囲を探り、傍に放り出されたままの剣を掴む。
「……ほう。抗うか」
セルレティスは意外そうに目を細め、少し剣を引く。
先程突かれた胸部がまだ痛むが、アクティスは立ち上がると、赤く滲んだ口の端を拭い、再び剣を構え直した。
「……自覚が無いのは、一番面倒だ」
「……?」
呆れたような声のあと、セルレティスは剣を納め、くるりと背中を向ける。
「……覚えておけ。今のお前の剣では、誰かが命を落とすことになる……」
ポツリと言葉を落とし、振り返りもせずに去っていく。
「どういう……ことだよ……僕は、ただ、ティアを……」
構えた剣を下ろし、呆然と佇む。
――ティアを、どうしたいの?
もう一人の自分が、問いかける。
アクティスは、剣を握った右手をギリ、と握りしめると、空を見上げる。
(……)
先ほどまで煌々と輝いていた月が雲に隠れて、アクティスの顔が陰る。そこに浮かぶ表情は、誰にも見えることはなかった。
次回更新は火曜日昼です。




