71:引き継がれる文字
「紋章とは、簡単に言うと古代文字だ」
「……古代文字、ですか」
(……どう見てもこれは漢字……でも、何故?)
首を小さく傾けて、ティアは思考を巡らせる。
「そうだ。古代文字の歴史は……」
オーケヌスは、リュリュイエの都の成り立ちを語る。
今からおよそ千年と少し前。神々は、アルシエという、こことは別の世界に暮らしていた。
アルシエでも、今のリュリュイエと同じように、神々は人間にとって崇拝の対象であった。
しかし文化が発展し、力をつけた人間たちが、神を軽視し始めた。魔力を扱い、呪を紡ぐことも、神の力があってこそだということも忘れ、遂には神に対して弓を引くものすら現れたという。
アルシエを見放すことを決めた神々は、選ばれた人間だけを連れて、新たな世界を創ることにした。
そうしてできたのがここ、リュリュイエの都。
「その時に、アルシエから持ち出された文化の一つが、古代文字だ。……一文字で、多様な意味を持つらしい」
まさかこんなところにと、オーケヌスは唸る。
(千年前……?)
ティアは何か引っかかるものを感じ、記憶を探る。
――今から千年程前の出来事と言われているのだけど、ある地方の民族のいくつかの家が、ごっそりと行方不明になったという記述が見つかったらしいの――
卒業式の日、那月が言っていたことを思い出す。
「千年前……新たな世界……ごっそりと行方不明……持ち出された文字……!」
確かめるように、呟く。
まさかの事実に、ティアの鼓動が早まる。
「……どうした? 何か気づいたのか?」
オーケヌスが問いかけるも、ティアの頭の中はそれどころではなかった。
(千年前の日本から、人々が連れて行かれたのなら、漢字があっても不思議じゃない)
つまり那月は、そのことを調べていたのではないか。
机の上に置かれた、聖女のバングルを見つめる。
慣れ親しんだ文字が、並んでいた。
(何か手がかりが、掴めるかもしれない)
ティアはオーケヌスの方に向き直る。
「……殿下。わたくし、おそらく古代文字を読むことができます」
「!」
オーケヌスの瞳が驚きに見開かれる。
「これは、わたくしがあちらの世界で日常的に使っていた文字……漢字、と同じものだと思われます」
「つまり君は、この文字を当たり前に使ってきたということか」
「はい。それから、このバングルの裏の文字ですが……」
ティアが確かめるような瞳を送ると、オーケヌスはああ、と一つ頷いた。
「……ミオティアルの書いたものだろうな」
代々の聖女に受け継がれ、時の流れを感じる表側と違い、裏側の文字は彫られて間もない色をしている。
「古代文字は、誰もが読めるものではないのですよね?」
「そうだな。私とて、自信はない。文字というよりは、紋章記号として伝わっているせいか、わかるのは意味だけだ」
(ミオティアル様が、内密に研究をしているとしたら……)
ティアは右手を口元に当て、傍に置かれたバングルにもう一度視線を移す。
火、光、風、と書かれている。
聖属性を除いた六属性のうち、半数。
(これは、左手のバングル……そうすると、右手は……)
今度は右手に残っているバングルに、視線を移す。
その様子を見ていたオーケヌスが、声をかけた。
「……右も外すのか?」
「そう……ですね……って、いえ! 今は大丈夫です!」
後で外した時に確認しますと、ぶんぶんと手と顔を振る。
(いや、さっきのはもう無理ですから)
そんなティアの内心の動揺を読み取ったのか、オーケヌスはククッと笑う。
「……確認次第、記録をしてくれればそれで良い」
「は、はいっ……」
それから、とオーケヌスは続ける。
「ミオティアルの研究資料を集めておく。もし古代文字が使われていたら、君の力を借りることになると思うが……」
不自然に言葉を切ったオーケヌスに、ティアが首を傾げると、すぐ隣のオーケヌスの顔を、覗き込むような形になった。
オーケヌスは少しだけ決まり悪そうに視線を逸らす。
「……すまない。君にばかり負担を……」
もしもミオティアルが、研究成果を全て古代文字で記載していたとしたら、自分にできることはないに等しいという事実と、それでも王族として関わるべきだという思いがオーケヌスの中で交錯する。
結界の維持、聖女としての癒し、王子の婚約者、ミオティアルの研究。さらにこれからは、少しずつ外へも出なければならない。
(……情けないな)
オーケヌスは暫く黙ったあと、ふるり、と頭を振る。
眉間に皺を寄せてしまったオーケヌスに対し、ティアはにこりと笑みを浮かべる。
「いいえ。これは、わたくし自身のためでもあります。ですから、そのようなお顔をされないでください」
それに、もし壁に突き当たったら、もう一人相談できる相手がいると、ティアは考えていた。
(……でもそれは、本当に困った時)
伶夜は、真名を呼んではいけないと言っていた。
おそらく、彼なりにオーケヌスの存在を尊重しているのだろうとティアは思う。
(あるいは、殿下に呼びかけてもらう、とか……いやいや、そんなことはとても……)
ティアはオーケヌスの方をチラリと窺う。
窓越しに、傾きかけた陽の光が差し込み、オーケヌスの顔に影を落とした。
その横顔から、ポツリと言葉が溢れる。
「……私も古代文字を学び直すか」
「えっ?」
驚くティアにも気づかないほど、オーケヌスは思考の海に沈んでいた。
少し落とした視線の先にある、柔らかな光を湛えたバングルがオーケヌスの視界に入るとともに、磨かれた石机には、難しい表情をした自身の顔が映り込んでいた。
――効率は重視する?
不意にオーケヌスの耳に、伶夜の声が届く。
(……どういうことだ?)
――僕がどこから来たのか、忘れた?
愉しげな響きをもった声に、何かが、チクリと刺さる。
――貴方が覚悟を決めてくれれば良いだけだよ?
何かを含ませたような物言いに、オーケヌスは眉を顰める。
机に映り込んだ蒼色が、灰色に揺らめいた気がして、ゾワリとしたものが、オーケヌスの中を駆け巡った。
(覚悟とは、なんだ)
――まぁ、僕もティアが呼ぶまでは、大人しくしているつもりだけれど
(……『つもり』が変わることもあるということか)
――貴方の意思を尊重するよ。でも、ティアのためにならないのなら……
「殿下? ……お疲れですか……?」
ティアの呼びかけが、二人の対話に割って入る。
「いや、問題ない。今日はこのくらいにしておこう。明日までに、資料を揃えておく」
「あ、はい。わかりました」
オーケヌスはスッと立ち上がり、出ていた資料をまとめる。それから自然な手つきでティアの手を取ると、外したバングルを付け直す。
何故かその時、ティアに触れたオーケヌスの手が、嫌に冷たく感じられた。
いつもありがとうございます。
次回更新は火曜昼です。




