6:誘惑(那月)
本日2話目です。
苦しい、息がしづらい、暗い、冷たい。
もがく手足も上手く動かせない。
助けを求めようにも、声が出せない。
これは一体どういう状況なのか。
……ああそうだ。母校の資料室で調べ物をしていた私は、とある本の一文を読んだ。何故かはわからないが、声に出して読んだのだ。
その瞬間、本から何か黒いものが吹き出し、私は飲み込まれた。
あれは何だったのか。状況だけ考えれば、あの一文が引き金になっている。でも、そんな事が現実にあり得るのか。
――助けが必要?
……苦しい。……戻らなくちゃ。
(あの子が心配する)
――戻っても苦しいだけなのに?
……苦しいだけ、かもしれないけど。
(私には、やる事がある)
――こっちに来れば、あなたの想いが叶うかも知れないわよ?
……私の……想い……
(とっくに諦めたはず)
――いいえ、諦めていないはずよ。だから、あの本を開いた。
(ちがう。もう彼はいない)
『みつけた。……探したのよ』
何か声が、する。
声のした方に顔を向けると、金色の光が見えた。
上手く動かない身体に気合いを入れ直し、その光に手を伸ばすと、光の方が私の元へやってきた。
『助けてあげる。全てから』
「全てから?」
『そう。だから……こちらへ来て』
いつ間にか息苦しさは消え、足元には不思議な模様が描かれた石畳。
ふわりふわりと漂う金色の光は、私を誘うように何処かへ向かい、私はその後をついて行く。
『貴女、真名は何というの?』
「……那月」
唐突にそう尋ねられ、ほぼ反射的に答えてしまう。
『そう。……良い名ね……ふふっ』
金色の光が、笑ったように感じた。
『ナツキ、貴女が助かる方法は、ただ一つよ。瀕死の私を救う事。それだけ。貴女になら、それができるわ』
「私、そんな力は持っていないわ」
『大丈夫よ。貴女にならできる。寧ろ、貴女にしかできない事だもの。私が教えてあげるから、言う通りにしてくれたらそれでいいの。……さぁ、こちらへ』
金色の光はそう言うと、少し先で止まる。
よく分からない展開に怖さも感じたが、何故か、足は勝手に進む。
目の前まで進むと、金色の光は、輝きを増していき、次第に大きくなっていく。やがてそれは人の形をとると、美しく長い金髪で、体のラインがくっきりとわかる、タイトなつくりの黒く艶やかなドレスを纏った美女の姿になった。
「さぁ、私の手をとって。そして、私の眼を見て。……視線はそのままよ……そう。偉いわね」
彼女の言うままに、手をとり、彼女の眼を、見つめる。黒く、吸い込まれそうな瞳の奥に、もっと深い、暗い黒が見えた気がした。良くない予感がしたが、頭の中はすでに痺れたようになっていて、目を逸らすことが出来ない。……もっと奥まで見たいと、瞬きも忘れて見つめていた。
「……素敵よ。貴女の瞳。……私と同じ目をしてる」
片手を私の頬に添えて、彼女が妖しく笑う。
私は頭の痺れが強くなっていく中、なんとか言葉を絞り出す。
「あなたは……一体……誰……?」
「そうね。名乗っていなかったわ。私の名は……」
そう言ってフワリと私の耳元に口を寄せる。
甘い香りと共に、彼女の名が頭の芯に響く。
彼女の存在感が、増す。
「ナツキ、貴女を頂戴。それで、貴女はもう、抱えた苦しみから解放される」
「……解放……される?」
(だめ。言うことを聞いては)
私の中に僅かに残った正常な思考が、警鐘を鳴らす。
「そう。そして私も、瀕死の状態から脱することが出来る。お互い良いことばかりよ。……私達は、元々一つの存在なのだから。これで、完全な存在になれるわ」
「完全な、存在……?」
(目を醒まして。これ以上は、戻れなくなる)
「ナツキ、私の真名を呼んで」
怖い……。でも、声の出ぬまま、口は勝手に動いていた。
「………………」
ドクンッ
一瞬、目の前の彼女が、ブレて、黒い影と交わり、消えた。
ドクンッ
私の中に、何かが入り込む。
ドクンッ、ドクンッッ
入り込んだ何かが、私の中で広がり、
ヴォンッ
大きな音を立て、私を中心に黒と金の何かが弾けた。
でももう、怖いとは感じなくなっていて。
……あたたかい。
そう思った途端、私の視界は黒く塗り潰され、意識が途絶えた。




