66:居ないところで
エントランスホールのドアがカチャリ、と閉まる。
ややあって。
「……ご覧になりましてっ?」
「ええ! もちろん!」
「あの、美しく凛とした佇まいのティア様の……!」
「なんてお可愛らしい反応!」
主がいなくなった途端に、その場にいた侍女たちが弾けるようにきゃあきゃあと騒ぎ出した。
(本来であれば、わたくしもついていきたかったのですが……)
アイリスは、フッとため息をつく。
――今日は、王子殿下の御意向で、侍女も護衛もつけないらしい。
曰く、「今日は休養のための外出だ。誰かいては休まらないだろう」
曰く、「彼女のことは私が全力で護るので問題ない」
……とのこと。
(……それだけの実力があるのは認めますが)
アイリスとしては、ティアの抱える葛藤を知っているだけに、なんとも複雑な感情になる。
(ティア様には、今以上の責務を負っていただきたくない……)
「お姉様……わたくし、本当はティア様をご案内させていただく予定だったのです……」
そう呟いたのは、侍女見習いでありながら調薬師の資格を持つリリアナ。
昨日の夜までは、「案内をするのです!」と意気込んで支度をしていただけに、その落胆はいかばかりか。
「……まだ正式ではないとはいえ、婚約者となる王子殿下に断られてしまえば、仕方がありませんよ」
「わかっています。わかってはいますが……うー」
そう言いつつ、全く納得していない表情を浮かべている妹を、よしよしとなだめながら、アイリスは言う。
「ティア様のことです。きっと、戻ってきたら質問攻めになりますよ。さぁ、衣装部屋の片付けからです」
皆が色々と出したままになっているはずですからと、アイリスはリリアナの背を押した。
(……さて、わたくしは)
リリアナと同じく予定が変わってしまったアイリスは、ティアに頼まれていたあることを思い出す。
都について様々なことを学びたいと、文化や歴史、地理など、参考になる資料がないかと聞かれたのだが……。
自分が学んだ時の書籍だけでは少し心許なかったので、誰かに相談する必要があると考えていた。
図書室や史料室に行けば色々と学べるであろうが、先日のことも真相がわからない今、あまり気軽に外出するのも不安だ。
それに何より、ティアが外出となれば、間違いなく王子殿下が付き添うことになる。
忙しい身ではあるが、今の殿下の様子を見ていれば、お願いすればきっと無理にでも時間を作るだろう。
(王子殿下に頼まないあたりが、ティア様らしい)
アイリスは一人、フッと慈愛の笑みを浮かべる。
ティアはいつも周囲に気を遣っている。それは恐らく、彼女が育ってきた環境によるものなのだろうが、アイリスはそれをとても好ましいと思う。
だから、こんな風にお願い事をされるのは稀で、嬉しくも感じていた。
(……書籍や史料が持ち出し可能か、確認することにしましょう)
「……アイリス」
横手から、何かを押し殺したような、少し低い声がした。
アイリスはサッと辺りの様子を窺ってから、声の主、ティアの専属護衛アクティスに返事をした。
「アクティス様……声と顔に出過ぎです。少し冷静になられては?」
言いながら、はぁ、と頭を振る。
「……私はいたって冷静だ」
「どこがです? 鏡ならあちらにありますよ」
そう言ってエントランス手前の壁にかけられた、大きな姿見に視線を送る。
その付近では、まだ興奮している侍女たちの話し声がしていた。
「……お二人とも、とてもお美しく、お似合いでしたわ!」
「本当に! 対になったコーディネートも、素敵で……」
「……今日のお召し物は、王子殿下がティア様のために誂えたドレスだと」
「まぁ! そうだったんですの!」
「……お互いの色味が取り入れられていましたね」
「あぁ……なんて素敵なのっ……」
その様子を見たアクティスは、小さく舌打ちをする。
(やはり……)
アイリスは何度目かのため息を吐くと、パンパンっと手を打つ。
「皆様、片付けが残っていますよ」
「はっ、はいっ!」
お喋りに夢中になっていた侍女たちは、蜘蛛の子を散らすように散っていく。
アイリスはそれを見届けると、アクティスの方に向き直り、ニコリと微笑む。
「……冷静、ですか?」
言外に、「舌打ちが聞こえましたよ」という意味を込めた。
険しかった表情が、今度は悔しそうに歪んでいく。
「……殿下が、何を考えていらっしゃるのかわからない」
俯いて、ポツリとつぶやく。
(そう、ですね)
「ミオティアル様の、身代わりではないと言っていた」
「ええ。それはわたくしも存じております。……この婚約も、ティア様を守るためだと」
「そんなことは僕も知っている!」
「……アクティス様」
自分でも驚いたのか、アクティスは、すまない、と俯いた。
アイリスは、青灰の瞳を細めて、アクティスを観察する。
(……これは、重症ですね)
本人は気付いていないようだが、言葉が乱れている。
アクティスは恐らく、婚約の「フリ」という部分が気に入らないのだろう。それは、アイリスとて同じだ。
ティアは、嘘をついたり誰かを騙したりすることに対して、酷く罪悪感を抱く性格なのか、婚約を偽装することはあまり気が進まない様子だった。
……自分たちには告げられない何かを背負っていることも、気がかりだ。
誤魔化す時のティアのクセを、アイリスやアクティスは知っているが、そこは見ないふりをしている。
優しい彼女が、これ以上追い詰められることがあってはならない。というのがアイリスの正直な思いだった。
しかし、現時点でこれが最善の策だと本人が結論づけたのだから、従者の自分たちではどうしようもないのだということも理解している。
「……言っていた」
「え?」
俯いたままのアクティスが、声を絞り出す。
「ティアが、言っていたんだ。……殿下は、ミオティアル様を、諦めていないと」
(それなのに、なんだあの態度は。あれじゃまるで……)
握り締めたアクティスの両手が震えていることに、アイリスは気づく。
「……アクティス様。そのように感情的になるものではありません。ティア様も、全てご承知の上。わたくしたちにできるのは、これから降りかかってくる重責に潰されてしまわないように、お支えすることです」
ティアは、基本的に穏やかで、人見知りながらも打ち解ければよく笑顔を見せるし、話もする。だが、自分と周囲の間に、一線を引いているようにアイリスは感じていた。
だから、アクティスが考えているであろう心配は、あまりしなくていいと思っている。
「……もし、ミオティアル様が、戻られたら」
「……」
アクティスの呟きに対して、アイリスが口を開きかけた、その時。
「お姉様! ティア様のお衣装のことで相談が……」
廊下へ続く扉が開き、リリアナの声が響く。
「わかりました。今行きます」
そう返事をしてから、俯いたままのアクティスに聞こえるように、呟いた。
「……少し、頭を冷やしていらした方がいいと思いますよ。そんな顔で皆の前に出たら、貴方様のイメージが崩れます」
誰もいなくなったエントランスホールに、俯いたままのアクティスを残し、アイリスはその場を後にした。
次回更新は木曜夜です。




