63:苦悩
63:苦悩
「今日は、私ひとりで行く。其方らは控えていてくれ」
婚約者となる予定の、聖女ティアとの散策へ向かう支度中。主であるオーケヌスが、鏡越しにクレイの顔を見て言う。
(……!)
あまりの驚きにクレイは思わず手を止め、その瞳の動きを注視する。
次期王とされているオーケヌスは、都にとって何よりも大切な身だ。単独行動などあり得ないし、何より今日は婚約者となる予定の聖女ティアとの散策。
不安定な立場である彼女を心配し、これまでは人目に触れないように神殿の居住スペースと結界の間以外のところに出すことなど無かった。
これまで聖女ティアに対しての過保護ぶりを目にしてきただけに、「なぜ?」という思いが膨らむ。
最近の出来事から考えれば、護衛はいくらつけてもいいくらいだとクレイは考えていた程だ。
(お二人だけが巻き込まれた、月の魔女の襲撃があったばかりだ。……二人きりでの行動など、危険でしかない)
全くもって判断基準のわからない主を前にして、クレイの脳裏に、先日フィニアスからもたらされた主の秘密と、女王陛下からの勅命がチラつく。
「……殿下」
言葉に詰まるクレイを助けるかのように、後方から声がした。
クレイがバッと振り返ると、書類を手にした声の主――イオニスがゆったりと歩いてくる。
「それは流石に危険ではありませんか? 私は賛成できません」
誰よりもオーケヌスに近い存在である、イオニスとクレイは、共に同じ勅命を受けている。
あの話の後から、主との距離感を測りかねているクレイから考えれば、イオニスがいつもと変わらない態度でいるのは、どうにも不思議でならなかった。
(ここはイオニスに任せるのがいいだろうか……)
しかし、年齢も経験もイオニスの方が自分より上だ。加えて彼は元々主の教育係。上手く説得してくれるかもしれない、とクレイはその場の発言権をイオニスに譲ることにした。
イオニスは、チラと横目でクレイを見た。いつも自信に満ちている彼の碧い瞳には、疑惑と不安が浮かんでいるように見えた。
(……やはりまだ彼は受け止めきれていないようですね)
クレイは普段、感情を保つ事に長けているが、それが揺らいでいることをイオニスは気づいていた。
このままでは命令の遂行に関わると考え、この場は自分が収めるべきだと判断する。
「襲撃から間もない事もありますし、何より殿下と聖女様、お二人だけがあの謎の空間に巻き込まれているのです。相手の目的がわからない以上、護衛を排するのは悪手かと」
手にした書類を机に置いて、オーケヌスの前へ回り込むと、さっとその場に跪いた。
それから頭を上げ、オーケヌスの顔を見上げる。
「どうかお考え直しください。私もクレイも、殿下の実力は存じております。……しかし、自分の身を守ることと、誰かを護りながら行動することは、違うのです」
「……ゆっくり、させてやりたい」
イオニスの正論に対し、オーケヌスは一言呟き俯いた。
「殿下の言動が元で、聖女様の敵を増やす事になってもいいのですか?」
(――!)
クレイはイオニスの直接的な発言に驚く。しかし厳しい言葉とは反対に、その横顔には懇願が込められているように見えた。
「……なん、だと?」
ゆっくりと顔を上げたオーケヌスの瞳が細められ、鋭い光を帯びる。
しかしイオニスは怯む事なく主を仰ぎ見ると、重い口を開く。
「……敵は、月の魔女だけとは限りません」
絞り出すような声。
(あぁ、そうだ。彼の言っていることは、嘘ではない。……我々は勅命を受けた時点で……)
「せめて護衛として、クレイだけはお連れください」
いつものように仰々しくぞろぞろと連れていかなければ、聖女様もお気になさらないでしょう。そうイオニスは説明する。
オーケヌスの眉間に、皺が寄った。
(……もう一押し、か?)
そう感じたクレイは、一歩イオニスに近づく。
イオニスがクレイを振り返り、その瞳がゆっくりと瞬く。
「視界に入らないように、お二人を護衛出来ますね?」
『お二人』の部分をいくらか強調するように、イオニスはクレイに問う。
(……そうか)
「……お任せ下さい」
クレイは、極力自然に見えるように、声のトーンを落として、深く頷いた。
(……護衛も勿論必要だが、それと同時に、殿下の言動の変化について報告することも求められている)
イオニスは跪いた姿勢のまま、もう一度呼びかける。
「……殿下」
しばしの沈黙の後。
「……クレイだけだ」
苦味を帯びたような主の声が、支度部屋を支配した。
あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。
次回更新は火曜、昼です。




