50:とまどい
灰色の瞳が、ゆっくりと閉じられると同時に、怜夜の身体が柔らかな光を放つ。
その光景をじっと見つめるティア。
(ああ……私……)
光が収まると、銀色だった髪は、うっすらと青味を帯びた銀色の髪に戻る。
閉じられた瞼がスウッと開かれ、蒼玉の瞳が現れた。
(……オーケヌス殿下……)
「……ええと」
ティアは少し気まずくて、視線を落とす。
(……全部わかってるって、言ってた)
「……なんと言うか」
オーケヌスもまた、目を逸らす。
(これは……どう理解すれば良いのだ)
間近にある、互いの顔を見合わせたあと、ティアは俯き、オーケヌスは天を仰ぐ。
時間が止まったかのような一瞬の後。
コンコンッ
「オーケヌス殿下。……ティア様はお目覚めになられましたでしょうか?」
再びのノックの音と、少し、遠慮がちな声に、二人は現実に戻されてバッと離れた。
「……待っていてくれ」
オーケヌスが立ち上がり、扉へ向かう。
ガチャリと扉の閉まる音を最後に、なんの音もしなくなった部屋は、随分広く感じられた。
残されたティアは、ばたりと仰向けに倒れると、目を閉じ、先ほどの光景を思い出す。
(綺麗な銀色の髪も、私を見守ってくれていた優しい瞳も、記憶のままだった)
「声だけは、変わっていたけど……」
(それは、そうだよね。大人になってたもん)
うん。と、一人頷く。
それから、あることに気がつき、バッと体を起こすと、顔に手をやり、ナイトテーブルの引き出しを開け、手鏡を取り出して自分の顔を映す。
(……? あんなに泣いたのに、泣いた跡がない。……それに、身体も軽くなってるみたい)
不思議に思いつつも、ティアはベットから降りて、窓際へそろそろと歩いていく。
少しだけ開けてあった窓を、大きく開き、遠くを眺める。
だいぶ低い位置にある夕陽が、もうすぐ夜になることを知らせていた。
ティアの頭の中は、伶夜の残した断片的な情報でぐるぐるしていたが、それを整理するのは一旦後回しにする。
(……確かめないといけないことがたくさんある。……知るのは怖い気もするけど、知らないままではダメな気がする)
「オーケヌス殿下、時間、あるかな……」
窓枠に寄りかかり、ぽそっと呟く。
「……時間は作ろうと思えばいくらでもつくる。……君の憂いを晴らすことができるのなら」
「っひゃ」
突然頭上から降ってきた声に驚き、ティアは思わず声を上げた。
「で、殿下っ。……お、音もなく近づくのはおやめくださいっ」
抗議するティアに対し、君が鈍いだけだろう、と言って笑うと、窓の外に視線をうつす。
「……君の抱えていることの一つが知れてよかった」
「……え?」
突然なにを言い出すのかと戸惑うティアに、オーケヌスは続ける。
「……形だけといっても、私たちは『婚約者』となるのだ。少しずつでもいい。君のことを知りたい。君がどんなことに対して心を動かすのか、……君が抱えている苦しみも、分け合うことはできなかったとしても、理解したいと思っている」
(たとえ君の心の中にあるのが、『彼』だったとしても、だ)
「……オーケヌス殿下……?」
(この婚約は、『フリ』のはず。……オーケヌス殿下の仰っている言葉の、真意がわからない)
ティアは、オーケヌスの顔を見上げて、その表情を観察する。
これは、オーケヌス自身の感情から出た言葉なのか。それとも、伶夜の影響から出た言葉なのか。
「……だから、君が心を開いて話のできる存在が、自分の中にいるということがわかったのは、良かったとさえ感じている」
「それは……」
伶夜のことですか、と言おうとしたティアの唇が、オーケヌスの人差し指によって塞がれた。
「……真名を言ってはならないと、約束したのではないか?」
「……」
ティアは目を瞬き、数秒固まった後、状況を理解する。
「ち、ちょっと殿下……っ?」
慌ててその場を飛び退くと、バクバクする心臓を抑え、顔を見られないように後ろを向いた。
(殿下っ? 急に様子がおかしくないですか? 恥ずかしすぎます!)
後ろではククッと、楽しそうな笑い声が聞こえる。
「君は本当に面白い。……普段は実にうまく聖女を演じている優秀な演者だが、こういうときには簡単に仮面が剥がれる」
「か、からかわないでくださいっ……それよりですねっ」
バッと振り返り、声をあげた瞬間、オーケヌスの顔を見たティアははっとする。
オーケヌスは、窓の外を見ていた。
先ほどとは違う、少し憂いを帯びた複雑な表情で、ポツリと呟く。
「君はそのままでいい。……ミオティアルのように、全てを隠してしまう必要はない」
(いずれ、君は君の生まれた地へ帰るのだから)
「殿下……その。さっきの、ことですが」
「さっき?」
「あ、あの。入れ替わっていたとき? とでも言いましょうか」
「……ああ、『彼』も言っていただろう? 全て、『彼』の目を通して見ていた」
起きたことの全てをわかっている。と、なんでもない風に答えるオーケヌスに、ティアは疑問を投げかける。
「殿下は……動揺されないのですか? 自分の中に、本当にもう一つの魂があることが証明されてしまって」
風が吹いて、青味がかった銀色の髪が、サラサラとなびく。
オーケヌスは顔にかかった前髪を無造作にかきあげると、やや伏目がちになりながら答えた。
「そうだな……ただ、元々予感があったせいか、驚いたというよりは、やはりな。という気持ちの方が強い」
そこで一度沈黙して、複雑そうな表情をする。
……この先の話を、聞かせるか悩んだからだ。
ティアは、オーケヌスの方をじっと見つめている。
オーケヌスはそれに気付きながらも、目を合わせることができなかった。
(私の身に起きたことは……まだ、私自身も整理がついていない)
――そうだね。それに……貴方もまだ知らない真実がある。なぜ、完全に融合するはずだった僕たちの魂に、綻びが生じているのか。
伶夜の声が、オーケヌスに語りかけてきた。
オーケヌスもまた、伶夜に対して心の中で呼びかける。
(私が倒れて生死の境を彷徨った時、魂合の儀を行ったのは私も知っている。ただ、何か不自然なことが起きている気はしていた)
――僕は、全て知っているよ。でも、知るべき時ではない。もちろん、ティアも。
(何故だ? ……何か、不都合でもあるのか?)
――貴方は、とても優しいから。
そこで怜夜は言葉を切ると、それきり黙ってしまった。
(傷ついた魂を補完するための『魂合の儀』が、本当は僕側で行われたことだったなんて知ったら……)
伶夜はオーケヌスの目を通して、落ちていく夕陽を眺める。
(貴方はきっと、家族も、自分でさえも許せなくなってしまう。……それに、貴方の家族にとっては、僕の存在は、仇とも言える……だから、これでいい)
「……殿下」
不意に呼ばれ、オーケヌスはティアの方を向く。
ミオティアルと同じく、アクアマリンを思わせる瞳は、儚げな淡い水色であるにもかかわらず、強い光を帯びて見えた。
ティアは、真っ直ぐにオーケヌスの顔を見上げて言う。
「わたくし、この都のことをもっと知りたいです。そうしたら、なぜわたくしが喚ばれたのか、どうしたら帰ることができるのか……ミオティアル様に何が起きているのか。わかる気がするのです」
(……伶夜に起こったことも、知りたい)
「……そうか」
オーケヌスは一言、返事をすると、ティアの方へ手を伸ばそうとして、止まる。
「君は……いや、わかった。できるだけその時間を作ろう」
言いかけた言葉を飲み込み、伸ばした手を不自然に下ろした。
(……言えないな。これを言ってしまったら、それこそ私は酷い男だ)
「……?」
首を傾げるティアを尻目に、オーケヌスは窓を閉める。
「そろそろ夕食であろう。 ……動いて大丈夫なのか?」
「はい。もう大丈夫です。食事を終えたら、夜の儀式にも向かいます」
にこりと微笑むティアを見て、オーケヌスは慌てる。
「……今夜は休……」
「いいえ。……これは、わたくしの務めですから」
オーケヌスの言葉を遮り、ティアはきっぱりと宣言する。
コンコンッ
「ティア様! お食事の用意ができました!」
軽快なノックの音と共に、元気のいいリリアナの声に、どうぞ。と言いながら、ティアは入り口へ向かう。
「……こちらにお持ちしますか?」
少しだけ首を傾げて、リリアナが尋ねる。
「もう大丈夫ですから、食堂でいただきます。それと……」
「王子殿下のお食事もご用意できております。クレイ様よりご依頼がありましたので!」
満面の笑顔のリリアナに、ティアは圧倒されつつも、すぐに向かうことを告げる。
リリアナは嬉しそうに、タタタッと小走りに去っていった。
二人のやりとりを見ていたオーケヌスは、苦笑する。
(……クレイめ……)
嫌な笑顔を浮かべる幼馴染を思い浮かべ、頭を振った。
ティアはくるりと振り返り、ため息をつくオーケヌスのそばへやってくる。
そうしてその顔を覗き込むと、先ほどまでの少し重い空気を振り払うような笑顔をみせる。
「さっ、お食事にいたしましょう! ……気の利く従者たちが、待ちくたびれていそうですから」
そう言ってティアはオーケヌスの袖をキュッと掴み、食堂に案内するために歩き出した。
次回は木曜夜です。




