48:トラウマ
――聴こえる?
(……頭が痛い……誰……?)
ティアは、ズキン、ズキン、という頭痛で意識が朦朧とする中、声に耳を傾ける。
――さっきはよく頑張ったね。ちゃんと見ていたよ。
聞き憶えのあるような、声。
(……誰の声だっけ……?)
――約束、憶えてる? 僕たちはいつも一緒。君のことは僕が必ず護るから……
(…………え?)
真っ白な視界の中、少し遠くに、銀色の長い髪をなびかせた少年が見える。
少年が、こちらを振り返る。
灰色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見た。
「……レイ、おにいちゃん! ……っ!」
ティアは、がばっと身を起こし、くらりとした頭を右手で支える。
(頭……痛い……)
「どうした? 何かあったか?」
少し慌てたオーケヌスの声と、バッと天蓋を捲る音。
隙間から急に差し込んだ夕陽の光に、ティアは頭を支えたまま、目を閉じて微かに首を横に振る。
「……ごめん、なさい。頭、が……」
「……無理をするな、まだ横になっていた方がいい」
オーケヌスはそう言って、天蓋の開き加減を調節し、ティアのそばへやってくる。
「……リリアナを、呼んで、いただけます、か」
ティアは小さな声で、呻くように呟く。
「ああ、薬に詳しいという侍女から、目が覚めたら飲ませるようにと預かっているものがある……飲めそうか?」
「……そう、でしたか。……飲みます」
よし、と、オーケヌスはナイトテーブルの上に用意された薬飲みを手に取り、身体を起こそうとしているティアを支える。
「……も、申し訳、ありません、自分で……」
「できないことはしなくていい。……私にさせてくれ」
「ありがとう、ございます……」
弱々しく微笑んだ後、オーケヌスの持つ薬飲みから、リリアナ特製の薬を飲む。
飲みやすく工夫された、少し柑橘の風味のする薬を、ティアはゆっくりと、全て飲み切った。
オーケヌスは、空になった薬のみを片付けながら、ため息をつく。
(……こんな状態でも遠慮されるとは。全く、王族という立場は煩わしい)
薬を飲み終えたティアはもう一度横になるものの、余程辛いのかギュッと目を閉じ、眉間には深い皺が刻まれている。
ティアの頭痛の原因は、一度に多量の魔力を使ったことで起きる、反動のようなもの。それも、通常ではあり得ない量の魔力を使ったのだから、その辛さはいかばかりか。
本当なら、今こうして目覚めたことが不思議なくらいだった。
「……もう少し眠ったほうが良さそうだな」
(母上への報告は、どうするか……)
本当ならティアも連れて行くべきだろうとも思うが、彼女にきかせるのは酷な話もある。具合の悪い今のうちに自分一人で報告するのもありか、とオーケヌスは考える。
「……眠れそうか? ……私は出ていた方が良いだろうか」
「……あ」
天蓋の向こう側へ向かおうとするオーケヌスに、ティアが声をかける。
「……いえ、なんでも、ないです……」
手を伸ばしかけ、引っ込めた。
(……みんな忙しいのに、心細いなんて言えない)
「……何かあるなら、言って欲しい」
「ありがとう、ございます……でも」
「でも、ではない。……こんな時くらい、頼ってくれないか?」
「あ……え、と。」
「少しだけ、待っていてくれ。すぐに戻る」
と言い残し、天蓋を抜け、オーケヌスは一旦部屋を出ていく。
(私、迷惑ばかりかけている気がする)
ティアは自分のしたことの影響について考えてしまい、落ち込む。
勝手に部屋を出てしまったことで、王子であるオーケヌスを危険に晒してしまった。
よく考えてみれば、那月の姿を見つけるまで、誰にも会わなかったのは異常としか言えないのに、なぜそのことに思い至らなかったのか。
自分の危うさを、ここにきて認識する。
空気を入れ替えるために、と、オーケヌスが少し開けてくれた窓の外を眺め、ティアは物思いにふける。
夕暮れ時。中庭に用意された騎士達のための修練場で、修練の終わりを告げる号令がかかる。
皆これから清めを済ませた後、食堂で夕食を取るのだろう。
ティアはまだ、この都のことを、よく知らない。
城や神殿の中のことも、まして、外のことなど全く知らないのだ。
そんな状態であるのに、聖女として都の安全のための大切な儀式を任されている。
さらに今度は、この都の時期王となるであろう御方の、婚約者のふりをしなければならない。
自分が帰ることしか頭になくて、どこか、地に足がついてないような気分で。
ただ、流されるままに日々を送っているような気がしていた。
きっと、ミオティアルさんがひょっこり返ってきて、そうしたら自分はサッと帰ることができる。そんなどこか他人任せのような気持ちでいた。
でも、ここには、ここに住む人々の生活があって、今は自分もその一人。
いつか帰るのだとしても、それがいつになるのかなんて誰にもわからないことだ。
自分がここにいる限りは、自分の役割を果たさなければ、と思う。
それに、ここには那月も来ている。
……那月と一緒に、帰りたい。
(これからはきちんと、相談しないと。それから、この都のことを、もっと知ることが必要だよね)
待っているだけじゃダメだ。人任せにせずに自分から行動すれば、もしかしたら帰る方法が見つかるかもしれない。と考えを改める。
リリアナの薬が効いてきたのか、少しずつ、楽になっていく。
ティアは、そうっと身体を起こすと、クッションをあてて、寄りかかった。
身体が多少楽になったことで、気持ちに少し余裕ができ、先刻起こったことを思い起こす。
(あれは間違いなく那月だったよね? でもなんで……)
疑問はたくさんある。
(そういえば、オーケヌス殿下は、どうして私のところに来れたんだろう?)
後で聞いたら、教えてくれるだろうか。
那月も、何か不思議なことを言っていた。
――私たちは、『器』なの。ここに来る時に、魂を取り込まれてしまったでしょう?
(『器』ってなに? 魂を取り込まれたって?)
もしも那月の言う、「魂を取り込まれる」という話が、ミオティアルに提案された、「融合」の事だとしたら。
(那月は、断らなかった? それとも、断ることができなかった?)
那月が、『帰れない』と言ったのは、もう魂が融合してしまったということ? と考える。
その後、『魔女』が言っていた言葉。
――お前の愛しい聖女が戻るかも知れない可能性を一つ、潰すことになってもか?
オーケヌス殿下が、自分をを護ると、ミオティアルが帰ってこれない。とはどういうことか。
(ううん。ミオティアルさんは、待っていてって言ってた。帰る当てがあるはず)
でも本当に、自分の存在が障害になっているんだとしたら……
トゥエリラーテ姫の叫びを思い出す。
私のせいで、悲しむ人が……
オーケヌス殿下の苦しげな表情が頭をよぎる。
いやだ。そんなのはいやだ。
また、あの時と同じように、悲しいことが起きるのは。自分が経験した悲しみを、自分のせいで誰かが同じ思いをすることになったりしたら。
また、自分の目の前で、それが起きる。
(……怖い。怖い)
ティアは、肩を抱きしめ、小さく震える。
また、小さな頃のことを思い出す。
自分のせいで、いなくなってしまった、大好きな、人。
「……ごめん、なさい。……レイお兄ちゃん」
誰もいない部屋で一人、つぶやいた。
カツ、カツ、と足音が聞こえてくる。
足音はすぐそばで止まり、衣擦れの音がした。
「待たせたな。戻った。……どうした?」
労わるような声と共に、ふわりと優しい香りがして、ティアはゆるりと、頭を上げた。
その顔は真っ白で、また気を失ってしまうのではないかと思えるほどだ。
「……なんでも、ないです」
顔を隠すように、俯く。
そんな辛そうな顔で、なんでもないわけがないだろう。と、オーケヌスはベッドサイドの椅子に腰掛けた。
(随分と弱っているな)
これは、身体だけの問題ではないだろうな。とオーケヌスは感じ、もう少しだけ身体をベッドの方へ寄せる。
「……オーケヌス、殿下」
「……うん?」
ティアが遠慮がちに呼んだのが聴こえて、オーケヌスは返事をする。
「少しだけ、話をきいていただけますか……?」
そう言って、オーケヌスの顔をじっと見つめる。
(……なぜだろう)
彼の顔を見ていると、懐かしい気持ちと、この人なら大丈夫、と思える。
「わかった。きこう」
オーケヌスは頷くと、少し表情をやわらげた。
「……小さい頃に、大好きなお兄さんがいたんです」
「前に言っていた、大切な人というのは、その者のことか?」
唐突な話題だったが、オーケヌスは驚くこともなく相槌を打つ。
(先程、名を呼んでいたな)
どうやら先ほど飲んだ薬はよく効くらしく、頭痛はおさまっているように見えた。
「……はい。でも、わたくしの不注意で、その人は、事故にあってしまい……亡くなってしまいました」
声が震え、掛布の上に重ねられた両手は、ぎゅっと握られている。
「……本当なら、わたくしが死んでいた。……わたくしの、せいなのです」
「……それが、『レイ』という者か?」
ティアがハッと顔を上げる。
「……さっき、その名を呼んでいた」
天蓋の外にいたが、聞こえてしまった。すまない。とオーケヌスが謝る。
(そっか……私、呼んじゃってたのか)
少し気まずそうな顔をして、ティアは話を続けた。
「……さっき、夢にでてきて……名前は、『伶夜』といいます。本当に、優しくて、いつも一緒にいてくれて……」
(レイヤ……)
オーケヌスの胸がザワリ、とした。
「幼いわたくしを、護ると、約束してくれたのです。だからって、本当に……わたくしを……」
そこまで話すと、ティアは俯き、握った両手を見つめる。
「……もう、誰かが、わたくしを護るために傷ついたり、い、いなくなって、しまう、のは……っ」
はっ、はっ、と、ティアの呼吸が乱れ、声が途切れる。
オーケヌスは思わず立ち上がると、ベッドの端に腰掛け、ティアの手と、頭に触れ、宥める。
触れた手は冷たく冷え切って、まるで血が通っていないかのようだ。
オーケヌスは少しでも暖めようと、自らの手でティアの小さな手を包む。
頭に添えた手は、ポンポンと優しくリズムを刻み、「落ち着け、ゆっくり、深呼吸だ」と何度も繰り返し声をかける。
ティアの頬を伝って落ちた雫が、オーケヌスの手を濡らし、キラリと光った。
「もういい。わかった。……無理に話すな」
(私の傷を気にかけていたのも、あのような無理をする結果になったのも、そういうことか)
そんな風にオーケヌスが納得していると、また、胸の奥が、ザワリ、とする。
「……伶夜、お兄ちゃんに、会いたい……」
ティアがポツリ、と呟く。
(……っ!)
ドクンっと胸の鼓動が大きく響き、オーケヌスの身体が一瞬、硬直する。
不思議に思ったティアは、顔をあげる。
そして目を大きく見開いた。
銀色の髪がサラリと揺れ、灰色の瞳がこちらに微笑みかける。
「大丈夫だよ。もう、いなくならないから」
ティアの記憶より少し成長した姿の青年が、そこにいた。
次回更新は木曜です。




