45:邂逅と危機
(……? あれ……?)
ティアはむくりと起き上がって、辺りを見回す。
天蓋は閉められ、ナイトテーブルに置かれたランプが、眠りの妨げにならない程度の仄かな光を放っていた。
(私、あのまま寝てしまった……?)
アイリスに迷惑をかけてしまった、と反省する。
(今……何時だろう)
夜の祈りの儀式の前に、夕食を取ることになっているので、それほど時間は経っていないはず……と、ティアはそっとベッドから降り、天蓋を捲る。
部屋の中には誰もおらず、ティアは首を傾げた。
朝起きる時にはいつも、ナイトテーブルに備え付けられたチャイムの魔道具を鳴らすことになっているが、先ほど泣きじゃくってしまったので、人を呼ぶ前に鏡で顔を確認したかった。
引き出しを開け、手鏡を取り出し、チラリと顔を見る。
(……うん。泣いた後の顔になってる……)
この顔をなんとかしなくては、とベッドから降りると、ドレッサーに箱が一つ、置かれているのを見つけた。
椅子に座り、箱を開ける。すると、中からひんやりとした空気が溢れてきた。
(……あ。タオルが冷やされてる)
よく冷えたタオルを取り出し、目元にあてる。
泣いて熱くなった瞼が、ひんやりとして心地いい。
アイリス、ありがとう。と心の中で言いながら、箱にタオルを戻すと、ドレスに皺がないか確認して、部屋を出るために扉をそっと開けた。
(あれ……?)
いつもは扉の外に誰かしら護衛の騎士が立っているのだが、今日は誰もいない。
おかしいなと思いつつ、ティアは廊下に出た。
(やっぱり、誰もいない)
ティアに与えられた、神殿三階の一区画、その一番奥にあるのがティアのための私室だ。
私室を出て、真っ直ぐに伸びる廊下の右手側には、食堂、調理室や配膳室、客間、使用人達の部屋など、多くの部屋がある。反対側の壁には、大きめの窓がいくつもあり、中庭を見下ろすことができる。
いつもは護衛の騎士や、仕事中の侍女など、誰かしらに廊下で会うのだが、人の影どころか、気配すら感じられない。
まるで、ここだけ時が止まっているかのようだ。
窓の外を見ると外はまだ明るく、夕食もまだのようだ。風の刻頃だろうか。
誰もいない中庭に、風に揺れる木々。その隙間に、ティアは見知った影を見つけた。
(!)
見慣れた黒髪が、シャラリと揺れて、木の陰に入ったのが見えた。
ティアは思わず駆け出す。
部屋を出て、廊下を駆け抜け、昇降具を起動させて一階まで降りる。
中庭に出るための扉を探し、外へ飛び出した。
(――那月だ。今度こそ、那月だ)
木々の間を抜けて、那月が見えた方へ向かう。
途中で靴が邪魔になり、脱ぎ捨てて、はぁはぁと息を切らしながら、那月を探す。
――いた!
「那月っ!」
後ろ姿に、呼びかけた。
黒く艶やかなストレートヘアが、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……!」
見慣れた焦茶色の瞳がティアの姿を捉え、大きく見開かれた。
(那月! 那月だっ!)
ティアの目から、涙が溢れる。
ザッ……ザッ……
漆黒のタイトなドレスと、黒い軽鎧を身につけた那月は、ティアの元へゆっくりと歩み寄る。
「……どうやってここに?」
そういうと、ティアの目の前で立ち止まった。
ティアは、背の高い那月の顔を見上げ、少し迷ってから、答えた。
「……那月が、資料室に、いると思って……会いに、行ったの……そうしたら……」
ハッと、那月の顔色が変わった。
「あなたも、『器』なの……?」
「……『うつわ』?」
ティアは、なんのことかわからなくて目をぱちぱちと瞬く。
それよりも!と、涙を拭い、ティアは声を上げる。
「ねぇ、那月。私、約束したの。役目を終えたら、元の世界に帰れるって。だから、那月も一緒に帰ろう!」
「…………」
「……那月?」
返事をしない那月を不思議に思い、ティアはじっとその顔を見つめた。
「……だめよ。もう私達は、帰れないのよ」
「……え?」
「……私たちは、『器』なの。ここに来る時に、魂を取り込まれてしまったでしょう?」
(……え?)
思いがけない那月の言葉に、ティアの胸がざわりとする。
(魂を取り込まれて……? 私が断ったのは……那月は……まさか……?)
ミオティアルと出会ったあの時のことが、ティアの頭の中で思い出される。
融合することを、私は断った。
……帰りたかったから。
じゃあ、那月は?
「……あなたは……」
那月の黒い瞳が細められ、その手がティアの白銀の髪に伸びる。
白くしなやかな指先が、触れそうになった瞬間。
――だめだよ!
「何をしているっ!?」
二つの重なり合った声と共に、ぐんっと強い力に引かれ、そのまま抱きかかえられて、後ろへ飛んだ。
那月が遠ざかっていく。
「……やだっ! 那月っ!」
腕の中で、ティアはもがく。
「よく見ろ! 本当にあれは君の知っている人間なのかっ!?」
苛立ちと焦りが混ざった声が、ティアの頭に響く。
(……え?)
ゆっくりと瞬きをして、那月が居るはずの方をもう一度見る。
そこには、黒と金の長い髪をざわざわと靡かせ、禍々しい魔力を纏った女が、手を前に突き出しているのが見えた。
黒かったはずの瞳は、まるで月のような金色に変わっていて、その手には、髪の色と同じく黒と金が渦を巻いたような光が灯っている。
――その姿は、まるで御伽噺の魔女のよう。
ティアは驚き、自分を抱える腕の持ち主を見上げた。
(オーケヌス殿下!?)
「……っ!」
ティアを抱えた腕とは反対の――右手を前に出して、呪を紡いでいるのに気づく。
その顔には焦りが浮かんでいた。
ティアは耳を澄まして、オーケヌスの声を聴く。
この呪は確か――聖なる護りの呪だ。
(もしかして、あれ、危ない?)
私にも何かできるかも知れないと、ティアはその呪に合わせて自分の魔力をのせることを思いつく。
聖なる加護を授けし女神に願う
我を護りし彼の者に
我が魔力
我が魂をのせて
更なる加護を授け給え
那月だった女の手のひらから、魔力が放たれる。
もう一度ティアはオーケヌスを見上げる。
二人の呼吸が合ったのがわかった。
頷き合い、呪を放つ。
目の前に、真っ黒な魔力が迫る。
(間に合ってっ!)
――祝福の盾!
きいいいんっ!!!
二人を包むように、光り輝く大きな盾が出現した瞬間、黒い魔力が目の前で弾け飛んだ。
次回は火曜日昼の更新です。




