44:葛藤
「……アイリス」
ティアは、先ほどまで忙しく動き回っていた侍女の名を呼ぶ。
「いかがされましたか?」
アイリスはティアの元へやってくると、少し眉をひそめた。
(お顔の色があまりすぐれないようですね)
「……何か温かいお飲み物を支度致しましょうか」
「いえ……その、わたくし、大丈夫、でしょうか」
言いながら、ティアは下を向いてしまう。
しゅんと下がってしまったその小さな肩は、自信無さげに震え、積み上がっていく責任に潰されてしまいそうに見えた。
「ティア様……」
アイリスは、なんと声をかけていいのか悩む。
ティアは俯いたままとぼとぼと、ベッドへ向かう。
その端に、ぽすん、と座った。
先日ようやく出来上がったカバーを掛け直したばかりのベッドが、ギシ、と音を立てる。
あまり豪華なデザインを好まないティアの好みを汲んで、落ち着いた色合いの布地に統一され、煌びやかな刺繍は全面ではなく端の方に控えめに施されている。
未だ着慣れないドレスの袖を触りながら、ポツリと呟く。
「……私は偉くなんてないのに」
今夜もまた、夕食が終わると、祈りの間へと儀式に向かうための準備が始まる。
都で最も尊いとされる、薄紫色の布地をふんだんに使用した儀式衣に袖を通せば、緻密な刺繍がキラキラと輝き、ずっしりとした重みがティアにのしかかってくる。
今の自分は、『ミオティアルの代役』だ。
ミオティアルが無事に戻れば、人知れず自分は入れ替わることになる。
自分のこれからの行動が、戻った後のミオティアルに影響するかもしれないと思うと、不安でしかなかった。
(責任、重大だなぁ……)
ティアの心情などお構いなしに、役割はこなさなければならない。
「……わたくし、このまま聖女の役をしていて良いのでしょうか」
「……ティア様は、紛れもなく聖女でいらっしゃいます」
ポツリと呟くのに対し、アイリスがすかさず答えると、ティアは苦笑いを浮かべる。
「……そうで、しょうか」
ミオティアルと約束はしたものの、トゥエリラーテ姫の乱入事件は、ティアに衝撃を与えた。
姫の激情を目にした。王子に庇われた。
(私の存在が、家族を壊してしまわないだろうか)
初めは、とにかく早く帰りたい一心だったティアだが、明確な悪意に晒されたことにより、自分置かれた立場が、いかに不安定であるかを思い知らされた。
オーケヌスが、自分を守るために婚約のフリまですると言うのだ。それほど危険なのだろう。
ミオティアルの存在を差し置いて婚約者の立場におさまることは、反対をする者も少なくないだろうと思うし、正直かなり不安ではある。
だが、不安定な立場のまま守るより、確固たる建前を用意することをオーケヌスが選んだのだ。
ミオティアルが戻ることを信じて。
改めて考えてみると、自分の話をよく信じる気になったなと思うが。
それに、騎士のセルレティスや、あの不思議な声の主のことも気になる。
もし本当にセルレティスが那月であるなら、なぜこんなことになっているのか話がしたいし、一緒に元の世界に帰りたい。
不思議な声についても、どこかで聞いた声のような気がしているのだ。
――これから先、ミオティアルが戻るまで、演じ切ることができるのか。
本当に、ミオティアルは戻るのか。
もし、もしミオティアルが戻って来れなかったら、その時私は――
不安なことや、責任が積み重なっていく。
(どうしたらいい? もう今更、後にはひけないのに)
「自信が、ありません……」
「ティア様……?」
アイリスは慌てて目の前までやってくると、サッとその場に跪く。
前掛けから真っ白なハンカチを取り出すと、失礼致します。と、ティアの頬をおさえた。
「あ……あれ……っ? ごめんなさい……っ」
「大丈夫、大丈夫ですよ。……ティア様は、本当によく頑張っていらっしゃいます」
我慢しようとすればするほど溢れてくる涙を止めることができなくて、顔が歪む。
「あい、りす……うぅ……っ」
止まらない感情に、ティアの頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……いいのですよ。ここはティア様のお部屋です。誰にも咎められることはありませんから……今は、我慢しないでください……」
アイリスはゆっくりと立ち上がると、少しだけ迷った後、ティアの隣に腰を下ろした。
そうして、両の腕を広げ、泣きじゃくるティアを優しく包み込むと、そのまま黙って、不安に震える身体を撫で続けた。
今回少し短めなので、
今週は土曜日の朝にもう一話、更新します。




