42:癒しの魔法
オーケヌスからの、婚約の『フリ』をするという話を承諾した、翌日。
ティアの部屋に数冊の本が届けられた。
聖属性魔法の教師が決まるまでの予習用の教本と、他にもマナーや様々な都の儀式について学ぶための本だ。
「……主が自らの手でお渡ししたかったようなのですが……諸々の準備で忙しくしておりまして」
リリアナに本を渡しながら、クレイは説明する。
「いえ、構いません。本を届けるためだけに、時間を取らせるなんて、申し訳なさ過ぎます」
自分のことは後回しでいいのにとティアが答えるのに対し、クレイは笑いをこらえる。
(……これは、殿下が何の準備に追われているのか、全く理解していない様子だな……)
オーケヌスが追われている準備というのは、婚約に向けた根回しや準備のことで……むしろティアのことは最優先事項になっている。
ついでにとクレイが、何か必要なものや、要望がないかとティアに尋ねたところ、「今いる侍女や護衛を代えるのだけはやめてほしい」とお願いされた。
(侍女はわかるが、護衛もか……殿下はどういう反応をするだろうか)
報告しながらちょっと揶揄ってみるか、と考えながら、クレイは部屋を後にした。
現在ティアは、朝晩の儀式の他に、淑女としてのマナーを学んでいるが、これからはそこに、王妃としての心構え、都の様々な儀式などを追加で学ぶ必要がある。
オーケヌスとの婚約がいくら形だけとはいえ……むしろ、形だけだからこそ、きちんとしなければならない。
そもそも、ほとんどの者が、『フリ』だということを知らないのだ。
それでも、空き時間が少しでもできると落ち着かないため、何かやること……と思っていたティアは、早速、聖属性魔法の本を読むことにした。
私室に本を持ち込み、ゆったり座れる長椅子に腰を下ろす。
アクティスは近頃、ティアが私室で過ごす時には中まで入ってくることはなく、扉の前で待機しているようになった。
(……早く聖女としての仕事をできるようにならないと)
ミオティアルとの約束を守らなければ、とティアは意気込むと、膝の上に乗せた教本を開き、読み始めた。
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
癒しの魔法とは
・怪我の治癒
・傷口の浄化
・呪いの浄化
・炎症、痛みの除去
自らの魔力を利用して、患者の身体の状態を探ることで問題のある箇所を捜す…………
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
魔法を発動させるための呪については、何となくヒントだけはあるものの、それぞれ違うと書かれている。
しばらく読み進め、ティアは、うーんと考え込む。
(怪我の治癒は、傷が治っていくイメージで良いのかな。あと、細菌が入ってるといけないから、浄化も必要だね。そうすると病気は、身体をスキャンして、悪くなっているところを元に戻す感じになるのかな……?)
イメージ。イメージが大事。と、読んでいた本を広げたまま、目を閉じ背もたれに寄りかかる。
(……これはもしかして、あの時みたいに自分の魂に呼びかけろってことなの……?)
実際に怪我人がいるわけではないので、そこにいると仮定して、手のひらに魔力をほんのり込める。
(まず、水の精霊に呼びかけて、怪我をしている箇所の汚れを洗浄)
清らかなる水を この手に
我が魔力を糧とし
かの者を蝕みし 汚れを取り払え
あの時と同じように、ティアの口から自然と呪が紡がれ、身体を巡る魔力が、手のひらに向かって集まっていく。
(次に、洗いきれていない細菌をスキャンで見つけ、ついでに潰してしまおう)
風よ その先見をもって
悪しき物 汚れし物を見つけ出せ
水よ 風と共に悪しき物を取り去れ
閉じたまぶたの裏側に、黒い何かがたくさん視えた。ティアが消え去れと強く念じると、それは全て散っていった。
(すごい……! あとは魔力を糧として、傷が治っていくイメージをすれば……)
女神よ 傷つきし者を
聖なる力とその慈悲をもって癒し給え
そこまで唱えたところで、ティアの身体からギュンッと魔力が引き出され、弾けるように輝きを放った後、キラキラとあちらこちらへ飛んでいく。
(えっ? えっ??)
ティアは何が起きたのか分からず、思わず立ち上がると、きょろきょろと辺りを見回す。
膝の上の教本が床にバサリと落ちた。
バンッ
「ティア!? ……どうしたっ!?」
扉が開き、慌てたアクティスが部屋に飛び込んでくる。
(やらかした……)
決まり悪そうにティアは作り笑いを浮かべたあと、しょんぼりと項垂れる。
「……ごめんなさい。本を読みながらイメージを……」
ティアの様子を見たアクティスは、「……イメージだけじゃなくて詠唱したよね、これは」と苦笑いを浮かべながら近づき、床に落ちた教本を拾い上げる。
それから、まだキラキラとしているティアの手元をのぞいた。
「……癒しの術かい?」
「はい。……流石に、自分に傷をつけるわけにはいかないので、そこに怪我人が居ると想定して……つい、呪を紡いでしまったというか……」
まさか本当に発動してしまうなんて。とティアは説明をした。
「……なるほど……ん?」
アクティスはふと何かに気がつき、左手にはめられたグローブを外す。
「え……治ってる……まさか……!」
そんなはずは、いや、でも確かめる必要が。と、一人ブツブツと呟く。
「あっ……?」
ティアは、手のひらに残っていた魔力の光が、手を離れ、窓の外に飛んでいったことに気がつく。
光の向かう先を目で追う。
(……お城へ続く廊下へ……あれ?)
オーケヌスとクレイが早足で神殿側へ向かっているのが見える。光は迷うことなくオーケヌスの元へ飛んでいき、その胸元に吸い込まれるようにして消えた。
(……?)
ティアの頭の中に疑問符が浮かび、そのまま様子を見ていると、早足だったオーケヌスの足が突然止まり、きょろきょろと辺りを見回している。
クレイが近寄り、何かやり取りをしたあと、オーケヌスは首を振った様な動きをして、再び早足で歩き出した。
「ティア……これは、ちょっと凄いことにになるかもしれないよ」
「えっ?」
後ろから声がして、振り返ると、アクティスが自分の手を見ながら、「すごい、すごい」と、しきりに呟いている。
「ティア!…… さっきの癒しの魔法、範囲指定をした?」
「えっ? えっ??」
興奮気味にずずずいっと顔を寄せてくるアクティスに、ティアは若干引き気味に後ろへ一歩下がる。
(……範囲、指定……)
そういえば、特にしていないことに気づく。
「あ……き、傷ついた人が治れば良いなと思っただけで……範囲指定とかは特に……」
そう答えたティアに、アクティスは目をまん丸に見開いて、
「凄いよ!……これは、もしかしたら、ティアの魔力で届く限りの範囲中に、癒しの魔法が降り注いだかもしれない!」
そう言ってティアの両肩をガシッと掴んだ。
(ええええっ!?)
ティアは驚き、叫びそうになったところで、両手で口を覆って何とか我慢した。
「ティア様! オーケヌス殿下がお見えです!」
アイリスの少し慌てた声に、ティアは返事をする。
「す、すぐに向かいますっ!」
次回は火曜昼です。




