39:求められる役割
「ティア様、それはわたくし達が致します!」
オーケヌスが帰った後、客間に戻ったティアは、少しぎこちない動きでカチャカチャと茶器を片付け始める。
「いえ。大丈夫です。大丈夫……あっ」
ティアの手から滑り落ちたお皿が、床の上でガチャンっと音を立てる。
「ご、ごめんなさいっ! どうしましょうっ」
「ティア様! お怪我はありませんかっ?!」
「ここはわたくし達にお任せください」
割れてしまったお皿を拾おうとしたティアを、リリアナとアイリスがすぐさま止める。
「……ごめんなさい。忙しいのに仕事を増やしてしまって……」
余計なことをしなければよかった。と、項垂れるティア。
「……邪魔しないように、向こうの部屋に行きます……」
「急なお話でしたから、さぞ驚きのことでしょう。……あとはお任せください」
アイリスは、ティアがオーケヌスと二人で話をしていた時に、クレイから今日の話について少し説明を受けていた。
聞いた直後、急すぎる話に驚くと同時に、主のことが心配になった。
(……ティア様は、本当によく頑張っていらっしゃる……これ以上の責務を負わせ、壊れてしまわないかしら……)
アイリスは、大丈夫ですよと安心させるように微笑み、ティアを隣の部屋へ促す。
「……考えたいこともおありでしょうから、少しゆっくりなさってください」
何か御用がありましたら、お呼びくださいね。と言い残し、扉を閉めた。
残されたティアは、ざわざわとした心を鎮めることができずに、部屋をうろうろとする。
(……それでも、何かしていないと、落ち着かない)
掃除でも……と一瞬考えたものの、また何か壊したらいけないと、諦める。
その代わりにティアは本棚から、本を一冊取り出し、窓辺の椅子へと座った。少し大きめで、ゆったりと座れる作りになっている。
皆に後始末を任せてしまうのは心苦しいと思いつつ、本を開く。
(……ダメだ。全然頭に入ってこない)
先ほどのオーケヌスとのやりとりが頭から離れず、全く集中できない。
ティアは本を閉じると、そのまま膝の上で抱え、背もたれに寄りかかる。
リラックスできるように少し後ろに傾く仕様になっていて、ギッと音がした。
ぼんやりと、空気を入れ替えるために開けられていた窓から外を眺める。
風が吹き、庭の木々の葉がゆらゆらと揺れている。
(……オーケヌス殿下との婚約が、私を守るための最善だと)
よくよく考えてみれば、決定事項を通達しに来ただけだったのかも、とティアは気づく。
既に根回しをし始めていると言っていたし、あの様子では、承知するまで帰らなかったのではとさえ思う。
……それでも、確認をとるという形をとったのは、オーケヌスなりの配慮だったのではないだろうか。
『……ふとした瞬間に、君の安否が気になり出して、守らなければならないという感覚に襲われる』
オーケヌスの言葉が気になった。
ここでは、『魂』という概念が存在する。
『……困ったら、貴女の魂に従うの』
ミオティアルもそう言っていたことを、思い出す。
ティアは目を閉じ、右手をそっと胸にあて、ゆっくりと呼吸する。
閉じた瞼の裏側に伝わる陽の光を感じる。
(私は……私の、役割は……何?)
まず一つ、都を護っている結界を維持すること。これは間違いなくしなければならない。
次に、癒しの力で都の人々の怪我や不安をとりのぞくというお勤めができるようにならなくては、と思う。聖女は体調不良で休んでいる、ということになっているのなら、皆に慕われているという彼女の心配をしている人々も多いはずだ。
それから、王子の婚約者として立ち回る……これも本来は、ミオティアルにとって、重要な仕事なんだろう。オーケヌス殿下は、時期王だと聞いた。政治や権力の駆け引きは難しくて感情だけでは理解しきれないが……王子と聖女の組み合わせが、とても説得力のあるものだということは、ティアにもわかる。
それらの役割をこなすことで、結果的にミオティアルの戻る場所を守ることにも繋がるはず。
――全部終われば、帰れる。そう、自分に言い聞かせる。
しかしここでティアは、ある事実に気がついてしまった。
(あれ? これって、ミオティアルさんがちゃんと戻ってくると想定してのことだよね?)
万が一戻ってこなかったらどうなるんだろう。さっき婚約のフリを承諾してしまったけど、良かったのだろうか。などとオロオロしはじめる。
「……そうだ! 今からでも撤回……!」
「……何を?」
「っっ! ……い、いえ! なんでも……なんでもない、です!」
急に後ろからかかった声にびっくりしたティアは、立ち上がった身体ごとバッと振り向き、しどろもどろになって答える。
いつの間にか部屋に入ってきていたアクティスが、にっこりと笑みを浮かべ、少しずつティアの方へと近づいてくる。
「え、ええと」
「……ティア?」
――殿下に何を言われた?
喉元まで出かかった言葉をアクティスはグッと飲み
込む。
(……僕が聞いて良い話じゃない)
ティアは、先ほどの婚約話がどうなったか聞きたいのかと思い、少し困った顔で答えた。
「……えーと、その。承諾、しました」
開け放たれていた窓から少し強めの風が入り込み、二人の間をざぁっと吹きぬけた。
風に靡いた髪を、左手で抑えるティア。
「……」
硬直してしまったアクティスに、ティアは人差し指を顎のあたりに当て、上目で考え事をするようにゆっくりと話し出す。
「ええと……正しくは、婚約者の『フリ』ですね。オーケヌス殿下も、色々と考えてくださった結果のようでした。今の状況とか、これから起こるであろうこととか……」
そこで一度言葉を切って、一呼吸入れる。
(ミオティアルさんが無事なのは私とオーケヌス殿下しか知らないことだから……)
「……オーケヌス殿下は、ミオティアル様のことを諦めていません」
そう言ってティアはにっこり笑うと、アクティスの顔をじっと見つめる。
「ですから、わたくしの役割は、聖女としての責務を全うし、ミオティアル様がお帰りになるまで、その場所を守り抜くこと……」
(そう、これでいい)
「……フリ……?」
(やはり身代わりじゃないか)
アクティスが、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「ティアは……それでいいの?」
絞り出すような声で、アクティスは問う。
それに対してティアは明るい声で答える。
「良いも何も。……もう、下準備はしているようでしたから、決定事項ですよね? それに、私にもメリットはあります」
「メリット……」
「はい。婚約者となることで……守ってもらいやすくなること、立場の安定や、多方面への牽制……でしょうか」
指をピッピッピッと立てながら説明しつつ、自分にも言い聞かせているように、アクティスには見えた。
(ティアの言っていることが全てとは限らない)
何か誤魔化しているのではないか。とアクティスはティアの表情、一挙手一投足を観察する。
「あー……でも、護衛が増えたり代わったりするのは面倒かも……」
何気ないティアの呟きに、アクティスが反応する。
「……?」
「せっかくアクティスさ……アクティスと仲良くなれたのに、護衛が代えられたりしたら……イヤかなって」
「……」
今過ごしているみんなとは、とっても話しやすいから。と説明するティアの言葉は、いろいろな考えが巡っていたアクティスの耳には届いていないようだった。
次回は木曜更新です。




