37:期間のわからない期間限定
(えええええっ!?)
「え、ええとっ! い、今、聞き間違えてしまったようなのでもう一度お聞かせください」
思わず早口になるティア。オーケヌスの後ろで二人の様子を見ているクレイは、必死に笑いを堪えていた。
(先に説明しないのか、このお方は……っ)
オーケヌスはというと、いたって冷静だ。
「なんと聞き間違えたのかわからないが……。君を、私の婚約者としたい、と言ったのだ」
「ち、ちょっとお待ちくださいっ!」
(聞き間違いじゃなかったっ!)
ティアは思わず立ち上がり、声を上げる。少し離れた出入り口のドア近くでは、護衛をしているアクティスが眉をひそめていた。
(いやいやいや。おかしいって! 私、帰りたいって、言ったはずだよね!?)
(婚約なんてしたら帰れないし、ミオティアルさんもきっと戻ってくるって話したよね?)
(そもそも婚約とか! 婚約とかっ!!)
何から突っ込んでいいのかわからなくなって、口をパクパクとさせながら、へなへなと再び椅子に座る。
「……何か問題なのか……?」
それが最善の策ではないかと思ったのだが、などとオーケヌスは呟く。
「……最善の、策……?」
ティアはパチパチと目を瞬く。
「……くっ。……くくくっ」
堪えきれず、とうとうクレイが笑い出した。
「で、殿下っ……説明が足りなさすぎますってっ……あー、可笑しい……っ」
何故か難しい顔をするオーケヌスに、ティアはぽかんとした表情になる。
「……婚約……最善の策……説明……」
ぶつぶつと呟きながら、必死で考える。
(……あれ? なんか私、致命的な勘違いでもしている?)
「……もしかして……フリ、なのでしょうか?」
「……まぁ、そういうことになるが……正しくいうならば、君は、対外的にはミオティアルのフリをして、私の婚約者となるのだ」
ティアは言われている意味が理解できず、ぱちぱちと瞬きをする。
「……もう既にティアとして知られていますよね?」
(しかも、女神が遣わした聖女という設定になってるはず)
「それは、城の中でのことだ。……民衆には、まだミオティアルが失踪したことも知られていない。体調が悪く、祈りの儀以外の勤めを休んでいることになっている」
ティアは目の前に置かれたカップに視線を落とす。
本来の自分には分不相応な、高価な茶器。初めて手に取ったとき、震える手を鎮めるために自分を偽り演技する必要があったほどだ。
自分とミオティアルを、お茶に置き換えて考える。
高価な茶器と、高価なお茶。
――もしもこの中身を、安価なお茶にしたら?
見ているだけなら、もちろんわからない。
高級な味を知らない者は、茶器に誤魔化されて中身のすり替えに気が付かないかもしれない。
だが、もしもその味を知るものが、一口飲んだら。
(……ミオティアルさんが戻ってくるのが遅くなればなるほど、ばれる可能性が高くなるのに)
そんな、自分でも予想できることを、王子殿下がわからないはずがない。とティアは表情を強張らせる。
「……君は、演じることが得意だと」
(……あぁ、なるほど)
ティアは意を決して顔を上げ、ぎこちなく微笑む。
「わたくしは……身代わりを務めればいいと……」
「そうではない!」
ティアの言葉を制するように、オーケヌスは語気を強める。
その声に驚き、ティアの肩がビクリとした。
(……どう言えばいいか)
オーケヌスはグッと目を閉じて、少しイライラしたようにテーブルを指先でトントンっと叩く。
「……クレイ、人払いを」
「はっ」
指示されたクレイは、オーケヌスに近づくと、腰を屈めて耳元で何かを囁く。
オーケヌスはわかりやすく嫌な顔をした後、「うるさい」と言った。
クレイは姿勢を戻し、くるりと後ろを向いて、扉の方へ向かうと、待機していたアクティスに声をかけ、部屋の外へ出るように促す。
「……私は賛成致しかねます」
アクティスが、少し低い声で発言した。
その声に、オーケヌスの眉がピクリと上がる。
ティアの顔に視線を移し、『彼は知っているのか』と口を動かした。
ティアはハッとして、急ぎ指示をする。
(……私の抱える秘密をちゃんと守ってくれるつもりなんだ)
「大丈夫ですよ、アクティス。……誰も入ってこれないように、扉の外で待機していてください」
「……承知致しました」
アクティスは、何かを飲み込んだような表情をしてから、返事をした。
クレイに背中を押されるようにして、アクティスは何度振り返りながらも渋々部屋を出ていく。
扉がパタリと閉まると、ティアはオーケヌスに向き直った。
「アクティスと、何かあったのか?」
問いかけるオーケヌスの蒼い目が、心なしか揺らいで見える。
「……何か、とは……?」
ティアは何を聞かれているのかわからず、こてりと首を傾げた。
「……いや。……そういえば、魔法の訓練は順調なのか?」
「あ、はい。アクティスの教え方がとてもいいのか、色々とできるようになりました。後は、ミオティアル様がされていたという、癒しの術なのですが……聖なる魔力を持っていないので実技が教えられないと言われました」
急な話のすり替えに戸惑いつつも、ティアは答える。
オーケヌスはそうだな。と頷いて、そちらはまた手配すると約束をした。
「先ほどの話に戻るが」
「……はい」
オーケヌスは姿勢を正す。
「私の魂が、君を一人にしてはいけないと言っている。という説明をしたのを覚えているか?」
「あ……そういえば……」
初めの頃にそんなことを言われた気がする、とティアはぼんやり思い出す。
「……落ち着かないのだ」
そう言ってオーケヌスは苦笑いを浮かべる。
「……ふとした瞬間に、君の安否が気になり出して、守らなければならないという感覚に襲われる」
オーケヌスは俯き、テーブルの上で組まれた両手には力が入っている。
「……それも、『魂』の仕業でしょうか?」
「……おそらく。その『魂』が、私に語りかけてきたりすることもある……まるで自分の中に、もう一つの魂があるかのように……」
「あの……それは……」
「誰にも話しておらぬ」
(えっ? それ私が聞いていい話なの?)
ティアは驚き唖然とする。
「……これで対等だ」
「そういう、ことですか……」
真面目な人なんだなぁ、とティアは思う。
「……婚約の話は、君をこの先守り切るために最善だと判断したからだ。……決して、ミオティアルの身代わりなどではない……信じてくれ」
オーケヌスは顔を上げ、サファイアブルーの瞳でティアをひたり、と見据える。
「民は、ミオティアルの一端しか知らぬし、それどころか、聖女の名は一般には知られていない。なぜなら、その名を気安く呼ぶことは禁じられているからだ」
「……そうなのですか」
安心していいのか、そうでないのか、ティアにはわからない。ミオティアルのことを知っている者が居ないとは限らないのだ。
「……君は何も心配しなくていい。根回しも始めている。君は城でティアとして過ごしても、外へ出れば、高貴な身分であるリュリュイエの聖女だ。容姿がミオティアルと瓜二つであることを利用すれば、民は勝手に勘違いする」
嘘をつくことにはならないけど、騙しているような気がして、ティアはなんとなく居心地の悪い顔をする。
「……それはつまり、『王子と聖女が婚約した』という形を作るだけだということですか」
「そうだ。それに私の婚約者となれば、下手な手出しはできぬし、私は大手を振って君を守るために動くことができるようになる」
ティアは、うーん、と唸って考える。
(期間限定……でも、ミオティアルさんがいつ戻るかわからないから、無期限とも言える)
「……ミオティアル様が、戻られたら」
「彼女が戻ったら、君はあるべきところへ帰れるのであろう?」
「……その予定、ではあります。……ですが」
(……私がここで頷いてしまったら、ミオティアルさんの意思は?)
一人で決めてしまっていいのか、わからない。
ティアは膝の上に乗せた両手を、きゅっと握り締める。
オーケヌスは、そんなティアの心を読んだかのように言葉を続けた。
「私とミオティアルは、どのみち婚約する予定であったのだ。ミオティアルが戻ったのなら、女神からの使者である君は、役目を終えた。と、堂々と帰ればいい」
そこまで話すとオーケヌスは、組まれた両手を解き、目の前のカップに右手を伸ばす。
「空になったカップへ次に注がれる茶が何であっても、飲み干した本人が何も語らなければ、わからないだろう」
そう言って残ったお茶を飲み干すと、少し、ぎこちない笑みを浮かべてティアに問う。
「……婚約の話、承知してもらえるであろうか?」
次回は木曜日です。




