3:リュリュイエの聖女
ミオティアルは、都を護る聖女だ。その存在は絶対的で、次の継承が起きるまでは何者も代わることは出来ない。
彼女の生活は規則的だ。
朝、陽が登るとともに、結界の間で祈りを捧げ、
夜、陽が落ちて月が登るとまた、祈りを捧げる。
朝の祈りの時間が終わり、水の刻には朝食。
水の刻半になると、癒しを求めてやってくる患者に癒しの魔術を施し、光の刻で昼食をとる。
光の刻半になると、古代から続く伝統や儀式等についての研究を、風の刻まで続ける。
風の刻になる頃には、客人がある時には対応をし、風の刻半に夕食をとり、湯浴みをする。
土の刻になり、月が登ると、夜の祈りを捧げた後、その日一日の記録を残し、土の刻半に就寝する。
ミオティアルは、祈ることが好きだし、聖女である自分が皆の平穏を保つのも当たり前のことだと思っている。それが自分の使命だと感じていた。
聖女であるミオティアルが祈り、都全体を包む結界を維持する事で、外界から完全に切り離されていた。
もし彼女に何かあれば、護りの結界の力は徐々に弱まり、一ヶ月程度で魔力は底をつきて、結界は消えてしまうだろう。
都の平穏が、自身の平穏に繋がっていることもわかっていて、何より、自分の祈りが必要とされているということがとても嬉しかった。
ただ一つだけ、ずっと心に燻っている想いがあった。
ミオティアルは、生まれながらに聖なる属性と強い魔力を持ち、必要な修練と試験を受け、継承の儀式を経て正式な聖女となった。だが、元々はもう一人の聖女候補がいたのだ。
彼女もまたミオティアルと同じように聖なる属性をもっており、それに加えて誰よりも強い魔力を持つだろうとも期待されていた。しかし、幼い頃に不幸な事件に巻き込まれた事で、聖なる属性と共にその立場も失うことになってしまった。
本来ならば二人並び立ち、切磋琢磨し、十三歳になる頃には、聖女になるための継承の儀式を、共に受けるはずだったのだ。
結果、どちらが正式な聖女に選ばれたとしても、同じ聖なる属性を持つものとして、共に助け合う生涯の友となれるはずだった。
だからミオティアルは、あの事件からしばらく塞ぎ込んで部屋からも出ず人と会おうともせずにいたセルレティスに、ひたすら寄り添って過ごした。初めは目も合わせてもらえず、拒絶されているようであったが、そのうちに部屋に入れてくれるようになり、それから時間をかけて、信頼を積み上げ、二人だけの約束も交わした。
節目となる十三歳を迎え、ミオティアルは聖女となるための試験にクリアし、セルレティスもまた、二人で交わした約束を守るため、騎士として王女の護衛につくことになった。
ミオティアルは今でも夢に見る。
幼い彼女――セルレティスが事実を知り泣き叫び、激情のあまりに魔力を暴発させ倒れる様を。
彼女と自分の描いていた未来が変わってしまった、あの瞬間を。
誰よりも、或いはミオティアルよりも、聖女となり都を護る事を強く夢見ていた、未来への道を閉ざされた彼女の絶望の叫びを。
だから、変化のない規則正しい毎日が続いても、自身の自由な時間が中々取れなくても、夢を掴み取る前に諦めざるを得なかった彼女の悲しみと比べたら、それは些細な事だ。
それよりも、哀しみを抱えたままの彼女の分まで祈ろう。
そして、いつか二人で交わした約束を果たすために、今はそれぞれの場所で努力を重ねよう。
……もう一度、二人で手を取り合うために。
そう、思っていた。
(ここは……? 私はどうなったの……?)
意識ははっきりしているのに、身体は動かない。目は開くものの、焦点は合わず、視界はぼんやりしている。祈りの間ではない事がわかるくらいで、ここが一体どこなのかミオティアルには見当もつかなかった。
辺りを探る事を諦め、再び目を閉じる。声を発する事は出来なさそうだったが、頭の中ではある言葉が流れてゆく。
海の揺らぎよ そよぐ風よ
我が身に迫る危機を払い除け給え
幾千の刻と幾千の祈りに従いて
我が半身よ 今こそ目を醒ませ
願うは汝の半身
魂の引き合うままに 導きに従え
ミオティアルの家に古くから伝わる呪文。己の魂の危機を感じた時に、こことは違う場所にある、半身を呼び寄せる術だ。声は出なくとも、心で唱える事が出来ると教えられていた。
まさか、自分が使う事になるなどという事は思いもしなかったため、たった今まで記憶の隅に置かれていた。……魂が危機を感じたのだろうか、それはするりと心の中にあらわれた。
動けぬまま、ミオティアルは祈る。
都のためにも、彼女のためにも、まだ死ねない。
本当に自分の半身という存在があるのなら、それに賭けてみよう。
ミオティアルは、自身の身体がフワリと軽くなっていくのを感じて、さらに強く願う。すると、一つの名前が頭の中に浮かんだ。
――我が半身よ。ここへ!