19:初めての祈りの儀式
本日二話目です。
まるで鏡のように磨かれた石の床には、数え切れないほどの記号と呪文が刻まれた円形の魔法陣が描かれている。
聖女であるミオティアルの祈りの儀式が途絶えてから三週間。未だ魔力は残っているものの、うっすらと儚げな光は、いつ消えてもおかしくない様に見えた。
朝陽を取り込むために造られた窓からは、魔法陣の中心に向かって白い輝きが伸び、ティアはその輝きに向かって、そろり、そろりと歩みを進めていく。
彼女が通った跡にはキラキラと魔力の輝きが残り、彼女自身からも、微かに輝きが漏れ出ていた。
中心に辿り着くと、右手を胸に当てて瞳を閉じる。
『魂に従うのよ。大丈夫、貴女ならできるわ』
ティアの脳裏に、ミオティアルの声が響く。
(大丈夫、所作は昨日練習してきちんと憶えた。……きっと出来る)
帰るため、帰るため、と自分を奮い立たせる。
胸に当てた右手を離し、その場に跪くと、今度は両の手を組む。
(……今の私は、聖女。……私に出来る役目を果たす)
聖なる光よ 眩しき陽光よ
我の祈りを 我の願いを
女神の慈悲を その安寧を
この地に住まう全ての存在に
瞼を閉じると祈りの言葉は自然と紡がれた。
彼女の身体からは美しく輝く金と銀の二色の輝きが発せられ、その量が急激に増していく。
(すごい!身体中から何かが引き出されていく。試験の時より、ずっと速い!)
試験を受けた時よりもずっと速い流れに驚き、恐怖を感じたものの、この流れを止めてはいけない、と、必死に集中する。
二色の光が絡み合いながら魔法陣の隅々まで行き渡る頃に、ティアはゆっくりと瞼を開いた。胸の前で組まれていた両手を解きながら、陽の光へと伸ばす。
指先を揃え、手のひらを上に向けて、真っ直ぐに。
陽の光を零さないようにと、丁寧な手つきで。
そうしているうちに、今度は手のひらから魔力の光が溢れ出した。
やがて魔法陣の表面で絡み合っていた金と銀の光が混ざり合って強くなっていく。
魔力の輝きがティアの身体を完全に包み込んだ瞬間、光が祈りの間いっぱいに弾けて、天上近くからキラキラと降り注ぐと、床に描かれた魔法陣に吸い込まれていき、カッと一瞬、魔法陣そのものが眩い光を放った。
(終わり……かな……?)
そろりそろりとティアは立ち上がり、ゆったりとした動作で辺りを見渡す。隅々まで光が行き渡り、魔法陣全体が輝きを湛えていた。
身体は酷く疲れていて、眩暈もしていたが、初めての経験なのでこのくらいは仕方ないのかな、と諦める。
壁際に下がっていたオーケヌスの元に、ゆっくりと歩き出す。
オーケヌスはというと、信じられない物を見たかの様な表情を浮かべていた。
この少女は一体何者なのか。……本当に女神の使者ではないのか。魔力の量や美しさ、立ち居振る舞いにも、なんら問題はない。強いて言えば、魔力の制御がしきれていない為か漏れ出る量が多く、流れも速すぎて身体への負担も多い事が気になった。……魔力が強すぎる故か、それとも、一刻も早く儀式を行うために所作の練習を優先し、その結果であろうか。とオーケヌスは考えを巡らせる。同時に、それはとても危険を孕んでいたのではないかとも思った。
「祈りの儀式を見るのは初めてだが……美しいものなのだな……」
感嘆の溜息をもらしながら、オーケヌスは言った。
(基本的に男子禁制とか……?)
ティアはふわふわとする頭でぼんやりと考える。
「通常は儀式中に聖女以外が祈りの間に入ることはまずあり得ないからな」
集中が途切れるからだとか、魔力が混じり合うだとか、その他にも色々と理由が噂されているが、真実は定かではないという。
(今はそれよりも監視を優先したって事だよね……というか、さっきからなんだか眠い……。)
「しかし……あれだけの魔力を使えば、かなり消耗するであろう?……それに、君はまだ訓練を受けていないのではないか?無駄が多いし、魔力が余分に漏れ出ている。……何故先に訓練をしなかったのか……」
おそらく通常の倍以上の疲れを感じているはずだ。と続ける。
「ああ、それでこんなに脱力……感を……あ……」
「!」
疲れを自覚したとたんティアの足元がふらつき、倒れそうになるが、オーケヌスが素早く支える。
「も、申し訳ありません……昨日に続いてまた……」
「いい。これはこちらの落ち度だ。……全く、母上方は何を考えている……私が見届けに入らなかったら、誰も気づかなかったではないか」
オーケヌスの言葉に、ティアの頭はスッと冷える。
(あれ?私、もしかしなくても結構危険な挑戦だった?)
「君の訓練の手配をするので、昼まではゆっくり休むといい。……抗議は私がしておく」
「……そんな、抗議だなんて」
後半の若干ドスの効いた声色に、内心ティアは慌てた。
「女神テティスの力がミオティアルから君に継承された今、君が正式な聖女だ。君に何かあれば、都を護る結界を維持する事が出来なくなる。増して魔力の存在を知ったばかりで経験もない君に、魔力行使に必須である訓練をさせずに独りで儀式を行わせるなど、どう考えても見過ごすことは出来ない」
オーケヌスがあまりに真剣な眼差しで説明するので、ティアはパチパチと瞬きをした。
(……私が未熟だからっていうわけでもないのかな)
「……君は恐らく知らないのであろうが、魔力の扱いを間違える事は、命に関わる事なのだ」
「え……」
まさかの事実に、絶句する。
「とにかく、部屋まで送ろう」
そう言ってティアを抱えたまま、オーケヌスは立ち上がる。
「え、じ、自分で歩きますっ。一度ならず二度までも運んでいただくなんて、そんな畏れ多い……」
「構わぬ。この状態では歩く事はおろか、いつ意識が途切れても不思議ではない……それより無理をするな」
なんとか下ろしてもらおうと、ティアは踠こうとしたが、全くと言っていいほどに身体に力が入らない。それどころか、彼の言った通り、段々と意識が薄れてきた。
(瞼が……重い……)
「あ……あれ……?」
「そのまま眠ってもいい……それだけ無理をしたのだ。黙って運ばれておけ」
(やさしい、声……。どこかで……)
ほとんど目を閉じた状態で、ティアは思う。
(なぜだろう、良く知らないはずの人に抱えられてるのに、怖くない……)
ティアの身体に僅かに入っていた力がフッと抜けて、静かな寝息が聞こえてきた。
自分の腕の中にある、彼女の寝顔をじっと見つめた後、オーケヌスは祈りの間を後にした。




