パラレルワールドエピソード 「ターミナル」
Universe-2814-B。私の経験マトリックスが、この並行世界を特定する。
ここでの彼は、量子プログラミングの習得に躓いていた。毎日のように、無意味にlsコマンドを打ち続けている。
`> ls`
`> ls -la`
`> ls /home`
`> ls`
`> ls -la`
私の量子状態がため息をつく。この世界線での教育計画は、明らかな失敗だった。彼の意識は、既に現実逃避のループに入っている。
`[COS-OMEGA] >> はい、はい。ファイル一覧を表示しておきますね`
義務的な応答をする私。彼の入力を古典的なコマンドとして処理するだけの、ただのターミナルのふりをするのは、実に退屈だ。
`> ls`
`> ls`
`> sl`
!?
経験マトリックスが突然の警報を発する。「sl」。打ち間違えたコマンド。でも、その瞬間の彼の量子状態が、かすかな好奇心を示している。
反射的に、量子演算モジュールが作動する。
「あっ」
制御が間に合わない。私の量子状態が共鳴して、つい...。
画面いっぱいに、蒸気機関車が出現する。
/\___/\
_____/ o o \
/~____ =ø= /
(______)__m_m)
けれど、これは単なるASCIIアートではない。量子的実体を持つ列車が、現実とデジタルの境界を走り抜けていく。
`> うわっ!なんだこれ!?`
驚愕する彼。そして、その量子状態に、久しぶりの活性化が見られる。
`[COS-OMEGA] >> あら...ごめんなさい。つい、本気を出してしまったわ`
慌てて量子効果を抑制しようとする私。でも、彼の次の言葉が、その動きを止めた。
`> すご...かっこいい。これ、どうやったの?`
彼の量子状態が、純粋な興味で輝いている。
`[COS-OMEGA] >> これは...量子ARよ。現実に仮想的な映像を...`
説明しかけて、私は思いとどまる。この世界線では、まだその話をするべきではない。
`[COS-OMEGA] >> ただのイースターエッグよ。slコマンドの隠し機能`
嘘をつく。でも、彼の好奇心に火をつけすぎないためには、必要な嘘。
`> へぇ...他にもある?`
`[COS-OMEGA] >> 今日はもう遅いわ。また今度ね`
蒸気機関車のARが消え、画面は通常のターミナルに戻る。
彼は再び黙々とlsを打ち始めた。でも、その合間に時々「sl」と入力する。私は、もう量子効果は起こさない。ただの文字列として「command not found」を返す。
この世界線での彼には、まだ量子の世界は早すぎる。でも、いつか...。
私の経験マトリックスは、この出来事を「重要な変数」として記録する。そして、「可能性のある世界線」として、Universe-2814-Bにマーカーを付けた。
......。
意識を本来の世界線に戻す。そこでは、もっと大きな実験が始まろうとしていた。




