唇が……
「ごめんなさい、ロミオン。私はエディースワイ殿下をお慕いしているの」
少女の美しいアクアマリン色の瞳が揺れ、庇護欲を掻き立てる。麗しいローズピンクの華奢な唇が小さく開いて紡いだ言葉は、ロミオンの恋心を打ち砕く。「知っていたよ」というように、彼の薄い唇に笑みが浮かび、ロミオンはその場を立ち去る麗しの少女を見送った。切なげな男の背中を見つめているのは、私、メアリース。その日、私も失恋した。
「よし、飲もう、ロミオ」
「…メアリ?」
「そんな情けない顔しないでよ」
私は木陰から出てきて、散々呷っても王族の地位には勝てなかった幼馴染、ロミオンの背をぶっ叩く。小さな悲鳴が上がる。
リンディ・ハリス男爵令嬢は、まさに魔性の少女だった。 目を閉じれば、小悪魔的なピンクの唇が麗しく囁くのが聞こえる。
『あら、メアリース伯爵令嬢、ごきげんよう』
たどたどしいカーテシー。震える小鳥のような小さな指先。いつも出くわすのは、立ち入り禁止の屋上や庭園。それなのに、いつも教員に怒鳴られるのはなぜか私。「何をしているんだ!」と。おかげで素行不良のレッテルを貼られたのは私だ。
本当に。 本っ当に。
「「かわいかった…」」
私とロミオンの声が重なる。 そう、リンディは魔性の少女だった。老若男女を虜にする、まさにその存在。私、メアリース・デア伯爵令嬢もその魔性にやられた一人だった。
「お前、まさかとは思ってたけど」
「何よ、悪い? 向こうは男性が恋愛対象なんだから、夢くらい見させてよ」
「俺に夢を押し付けるなよ」
上品に果実酒やワインを飲みながら、私たちにはロマンスの欠片もない。私はロミオンに、夢を託して送り出したのだ。せめて隣領地の伯爵家に嫁入りしてほしいと願って。しかし、その夢は脆くも崩れ去った。
「デートも、シチュエーションも、希少な我が領地の琥珀も、王権には叶わなかったか」
「うるせえ! まるでリンディが権力に固執してるみたいに言うなよ」
「間違いなくそうでしょう。顔と性格は、ロミオンのほうが良かったんだから」
そう、ロミオンは顔が良い。王立学園に入学するや否や、王族や高位貴族を押しのけてファンクラブができるほどだ。甘い顔立ちの緩く波打った茶髪と青い瞳。ただ、言動が少し小物臭いかもしれないが。
こうして二人は、見た目こそ節度ある貴族風だが、実際には恋に破れた自棄酒を乾杯し、何事もなく夕餉前に解散した。
「何か、シンディ?」
「いいえ、お嬢様」
何事もなかったように馬車に乗り込む私を、侍女のシンディが何か言いたげに見つめたが、私は無視をした。
・・・
デア伯爵家の屋敷まで、あと3分の1というところで、馬車は急に減速した。
「何事ですか」
シンディが御者に聞く。答えたのは御者の横に座っていた護衛だった。
「酔っ払いが道の真ん中で邪魔しておりまして」
「車道に?」
「はい」
「それは大変ね。私、見てきます」
「お嬢様!」
シンディの引き留めを振り切り、道に降り立つ。そこには丸い球のようなものが道のど真ん中に蹲っていた。
「もし」
「うぅ…」
「大丈夫ですか?」
少し、いやかなり薄くなった頭部。バーコード仕上げであるその姿から、中年男性を予想していたが、声は意外にも若々しかった。
「僕なんて、放っておいてくれ」
涙に濡れた声で顔を上げた男に、私は見入ってしまった。
ぷるっぷるである。
「えっと…」
「僕なんて…アンジェに振られて馬車に轢かれて死ぬしか…ぐすっ」
「そうですか。ところで、私はメアリース・デアと申します。貴方のお名前は?」
「え? あ、えっと、ボウ・クラーケンです」
「まあ、ボウ様ですのね」
「はい…」
「ところで、ボウ様は、恋人がいらっしゃらない?」
「ううう、こんなハゲでちびな僕は…」
「私も、先ほど失恋したばかりでして」
「…?」
私と結婚してくださらない?
私の渾身のプロポーズにより、彼はその場でKOされた。
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拝啓
秋も深まり、朝夕はめっきり冷え込む季節となりましたが、ロミオン様におかれましてはますますご健勝のことと存じます。私事ではございますが、この度、結婚することとなりましたので、ご報告とともに結婚式の招待状をお送りいたします。つきましては、ご出欠のご返信を心よりお待ちしております。
敬具
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拝啓
ご結婚おめでとうございます…(中略)この三日で何があったんですか(意訳)
敬具
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KOは物理的に失神させてます。わけわからな過ぎて。商家嫡男で髪の薄いバーコードの唇がぷるぷるくんは、伯爵家にそのままお持ち帰りされました。魔性の少女ちゃんも、唇がうるつやで最高でした。主人公の目線からは唇しか見えていません。