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第8話 物語のはじまり

 気がつくと、山田は住み慣れた街に立っていた。

 辺りに見えるのは、つい先ほどまでいた剣と魔法の世界とはあまりに違う光景。

 背の高いビル、牛丼のチェーン店、コンビニ――そして目の前には、


「赤信号……?」


 瞬間、目と鼻の先を小型のトラックが猛スピードで通り過ぎる。


「うわっ!?」


 山田は驚き、持っていた鞄を地面に落とす。

 あと一歩でも前に進んでいたら、確実にかれていた。

 トラックが少し先で停車すると、運転手が窓から顔を出す。


「バカ野郎! どこに目をつけてんだ!!」


 運転手は山田に舌打ちした後、そのまま走り去った。


「た、助かったのか……」


 山田は心臓が激しく脈打っているのを感じた。

 どうやら、今は異世界に転移した直後のようだ。

 この世界に戻ってすぐトラックにかれていたらシャレにならなかったが、事故も無事回避できたのは幸運だった。


(こっちの世界と異世界では、時間の流れが異なるのか? それとも転移で時間がずれたのか……)


 山田が疑問に思っていると、後続の車からクラクションを鳴らされる。


「すいませんっ!」


 考えるのは後だ。

 山田は慌てて、落とした鞄を拾い上げようとする。

 だが、手元がおぼつかず、中身をぶちまけてしまった。

 地面に散らばった大学ノートや教科書が風にめくられるのを見て、山田は心が折れそうになる。


(本当、俺ってツイてないねえな……)


 山田はその場にかがむと、背後から声をかけられる。


「――大丈夫? 手伝うよ」


 どこか、聞き覚えがある女性の声。

 たしか、あちらの世界へ転移する直前――、


『危ないっ!』


 トラックが迫ってきていることを教えてくれた声だ。

 もしあの声がなければ、赤信号に気づかず歩き続け、事故にっていたかもしれない。

 山田は振り返り、頭を下げる。


「ありがとうございま――」


 声の主を見た瞬間、山田は声を失う。

 そこにいたのは、同年代の一人の少女だ。

 私服を着ていることから、きっと大学生だろう。

 髪型は、顎のラインで美しく切りそろえられたボブカット。

 その顔立ちは、憧れていたかつての恩師、北島に瓜二うりふたつだった。


「どうかした?」

「い、いえ! 何でもないです!」


 少女の言葉に山田は我に返った。

 山田は見惚みほれてしまったことを隠すように、急いで荷物を拾う。

 鞄に荷物をつめ込むと、山田と少女はそろって歩道に戻った。


「今度から、ちゃんと前を向いて歩くように」

「はい、本当に助かりました」

「それじゃあ、私はこれで」

「あ、あのっ!」


 去っていく少女を、山田は呼び止めた。

 少女は振り返ると、首をかしげて山田を見る。


「はい?」

「えっと……その……」


 山田は少女を一目見た時から、胸の高鳴りを抑えきれなくなっていた。

 心の中で思い描いていた理想の女性。

 それが現実に現れたのだから、恋に落ちてしまうのは当然だ。

 こんなチャンスは、もう二度と訪れないだろう。


(もし、まだチート能力が残ってるなら……彼女いない歴をここで終わらせてやる!)


 山田は魔法を詠唱しようとする。

 その時だった。


『時に手を取り合い、時にぶつかり合い、その果てに人は人を心から好きになり、恋を超越する最強の力が生まれるのだ』


 異世界の魔王の言葉が思い浮かんだ。

 それは剣となり、山田の心に突き刺さる。


(何やってんだよ、俺……! これじゃあ、これまでとまったく同じじゃねえか)


 気づいた時には手遅れで、叶わなかった初めての恋。

 それから彼女の影を、ただひたすらに追いかけてきた。

 だが、どこまで行っても影は影。

 それは本物ではない。


 山田をフッた少女が言った。


『そもそも、ほとんど話したこともないのに、私のどこを好きになったんですか?』


 その言葉の意味が、ようやく分かった。

 相手を何一つ知らないくせに、よく『好きだ』なんて言えたものだ。

 そうだ。

 自分は人生でただの一度も――、


(本当に人を好きになったことなんて、なかったんだな……)


 少女が慌てた様子で山田に駆け寄ってくる。


「ちょっと、急にどうしたの!?」

「どうしたって……何がですか?」

「だって君――泣いてるじゃん」

「え……」


 ほほに手を当てると、指先に温かいしずくが触れた。

 山田は、自分が無意識に泣いていることに驚く。

 涙はとめどなく溢れ、ぬぐってもぬぐっても止まることはない。

 その時、涙でぼやけた視界に、薄い水色のハンカチが映る。

 春の空のような清々《すがすが》しい色だった。


「これ、使って」

「で、でも……」

「いいからいいから」


 少女はニコリと笑い、山田の手に無理矢理ハンカチを握らせる。

 ふわりとした手触りが、不思議と山田の気持ちを落ち着かせた。


「今度こそ、じゃあね」

「ちょっ! このハンカチは!?」

「君にあげる」


 そう言って、少女は一度も振り向くことなく去っていった。

 その背中はもう、北島の姿とはまったく違うものに映った。

 山田はハンカチを手に持ったまま、青空を見上げる。


「12敗目は、もう少し先になりそうだな……」


 そうつぶやくと、山田は少女と反対方向に歩き出した。


 こんな自分でも、人を好きになれるだろうか。

 こんな自分でも、人に好きになってもらえるだろうか。

 今は難しいかもしれない。

 けど、いつかきっと――。

 

 ほほをつたう雨は止み、口元には晴れやかな笑みが浮かぶ。


 これが、勇者山田の物語の始まりである。

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