第6話 シンとマナ
それから、シンがお忍びで出かけた時は必ずマナたちと遊ぶようになった。
魔術や頭脳に秀でたシンに対し、剣術や体術に秀でたマナ。
二人は会う度に勝負したが、
「これで、私の通算100勝だな。そろそろ私の方が上だと認めろよ」
「我に99回も負けてるくせに、偉そうにするでないわ」
負けた方が自分の得意分野でリベンジを挑むので、結果は常に五分五分だった。
他の子供たちと一緒に冒険ごっこをすることも多かった。
数百年前の遺跡が残された公園、迷路のように入り組んだ地下水路――シンにとって、マナたちとの冒険は煌びやかな王城や新市街で遊ぶより、何倍も心が躍るものだった。
その日、シンたちは旧市街の打ち捨てられた廃墟で冒険をしていた。
窓が割られ、壁紙がすっかりはがれてしまった屋敷を歩きながら、マナは舌打ちする。
「ちぇっ、お化けでも出てくりゃいいのによ」
「たわけ。こんな真昼間から出るわけなかろう」
シンはあきれていると、屋敷の庭に誰かがいることに気づく。
それは、黒いフードを被った背の高い男と小太りの男で、周囲を警戒していた。
マナは目を輝かせる。
「おいおい、なんかヤバイ取引でもやってんじゃねーか!」
「しっ! マナ、口を閉じるのだ……!」
耳を澄ますと、男たちの声が聞こえる。
「――ほら、これが魔王軍の侵攻計画だ」
小太りの男が背の高い男に資料を手渡した。
背の高い男は資料をめくりながら、何度もうなずく。
「フフッ、これさえあれば我ら『ヒュムノア』の勝利は確実。貴重な情報に礼を言うぞ」
「……礼などいらん。ほしいのは金だ」
「せっかちな奴だな。ほら」
背の高い男が投げた小さな袋を、小太りの男は慌てて受け取った。
浮かれた表情だったマナの目つきが変わる。
「ヒュムノアって……私たちと戦争してる国のことだよな」
「ああ……人間の治める国だ。あの者共、スパイに違いない」
シンが振り向くと、一緒についてきた少年たちが不安げな表情を浮かべていた。
シンはできるだけ落ち着いた口調で言う。
「お主たちは、奴らに気づかれる前にここを離れろ。このことを城の兵士に教えるのだ」
「わ、分かった! シンとマナはどうするの?」
「兵たちが来るまで、見張っておく」
少年たちはこくりとうなずき、足音を立てないように裏口から屋敷を出ていった。
シンはマナと向き合う。
「さて、我らも少し離れた所から監視を――」
「シン! 危ないっ!!」
突然、シンはマナに突き飛ばされた。
先ほどまでシンがいた場所の壁が粉々に砕かれていた。
埃の中から背の高い男が立ち上がる。
「近所のガキか。見られたからには生かしておけぬ」
「ちっ! 子供だからって舐めるなよ!」
マナは愛用の木剣を構え、男に突進した。
男の脇を素早く通り抜けた時、男の体にマナの剣撃がいくつも刻まれる。
「ぐっ……!」
「どうだっ! 私の剣の味は!!」
マナは素早く切り返し、再び男に剣を振るう。
だが、今度は一撃も入らない。
そればかりか、マナの木剣は根本から切断される。
「わ、私の剣が!?」
「本物の剣の味も知らぬガキが……偉そうな口をほざくな」
男の手には、妖しく光る真剣が握られていた。
シンたちが持つ木剣など、本物の剣の前では役に立たない。
男がマナに襲いかかろうとした時、シンが二人の間に割り込む。
「マナ、下がっておれ!」
「シ、シン!?」
「ガキ二人ぐらい、まとめてぶった斬ってやろう!」
男が剣を大きく振りかぶった。
シンはその切っ先を恐れもせずに見据え、ただ計算する。
剣が先か、それとも自分が魔法の詠唱を終えるのが先か。
(今度は我が……マナを助ける番だ!)
シンは目を見開く。
「数多の刃より、我らを守り抜け! <炎の障壁>!!」
「な、何だとっ!?」
シンと男の間に地面から凄まじい速さで炎が現れ、剣をはじく。
炎は天井まで到達し、壁となった。
シンはマナの手を強く握る。
「マナ! 今のうちに逃げるのだ!」
「ガキ共っ! 待てっ!!」
シンはマナと手をつないだまま、屋敷の廊下を駆ける。
屋敷の窓から二人が脱出すると、外には真っ白な毛並みの巨大なクマが立っていた。
「――シン様、あとは私にお任せを」
「博士! ナイスタイミングだ!」
「皆の者、スパイ共を引っ捕らえろ!」
クマシロが命じると、兵士たちが屋敷の中へと踏み込んでいった。
シンは大きく息を吐き、その場にへたり込む。
マナがぼそっとつぶやく。
「シン……いい加減に手を離せよ」
「ん?」
シンはマナの手を握ったままであることに気づき、手を離した。
「すまぬ。痛かったか?」
「べ、別に……」
いつもと比べて歯切れの悪いマナの様子に、シンは首をかしげた。
見上げると、王都の空は青からオレンジ色に変わろうとしていた。
マナも同じように空を見ながら、シンに尋ねる。
「どうして私なんかを助けたんだよ。死んだらどうするつもりだったんだ」
「我には野望があるからな。こんな所で死ぬわけなかろう」
「……シンは私を見捨てて逃げるべきだった。平民と貴族の命、どちらが重いのか、お前なら分かるだろう」
「まったく……そなたは頭が悪いのう」
「何っ!?」
シンはニッと歯を見せて笑う。
「我はマナを共に並び立つ者だと思っておる。身分などクソ喰らえだ」
「お前……本当は私より頭が悪いのかもな」
「かもしれぬ」
二人の笑い声が宙に舞い上がり、夕焼けに溶けた。
「のう、マナよ。こういう対等な関係のことを世間一般では『友』と呼ぶのか?」
「な、何言ってんだよ! 私とお前が友達のわけねえだろ!」
「なるほど……男女で友という関係は存在しないと聞いたことがある。たしか男女の場合は――」
シンは腕を組んで考え込んだ。
「思い出した……『嫁』だ! 周りの者はよくそう呼んでおる」
「へ」
「よし……今日から我の嫁になってくれぬか? これからもお互い切磋琢磨し、なくてはならない存在として――」
「こ、この大バカ野郎ー!!」
次の瞬間、にぶい音が旧市街に響き渡った。
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「――あの時、我らのやり取りをこっそり聞いていた博士は、笑いが止まらんかったらしいぞ」
「フフッ……ほんの数年前のことなのに、なんだか遠い昔の出来事のように感じますね」
「我が『人を好きになる』ことを知ったのは、少し先のことだった。お主に殴られた理由が分かり、顔から炎の魔法が出るかと思ったものよ」
シンは路地から見える狭い空を見上げながら、ククッと笑った。
そして、マナを真っすぐに見つめる。
「だがな。そなたに言ったことを撤回するつもりはない。もちろん――今もな」
「……頭が悪いのは相変わらずですね」
マナは心底あきれたように深くため息をついた。
スパイとの戦いの後、クマシロから『二度と無茶はしないように』とこっぴどく叱られたが、マナに会うことを止められはせず、シンは幾度となく会いに行った。
その度に、シンの想いは募っていった。
「――我の勘違いでなければ、そなたも我のことを想っていたのだろ?」
「あの頃、たしかに私はあなたに惹かれていました」
あの頃、とシンは心の中で復唱する。
過去形で紡がれた言葉に、針が刺さったような痛みを胸に感じた。
「では、どうして我と会うのを止めたのだ?」
「……あなたが何者かを知ってしまったからです」
マナは目をわずかに細めた。
「先王が崩御した時、私は新しく即位した魔王を一目見ようと、戴冠式に参加しました。私は新王を見て、心臓が止まるかと思った。憧れていた男の子が、そこにいたのですから」
「黙っていたことは、すまぬと思っておる」
マナは首を横に振る。
「貴族の息子だと、嘘をついたことを責めているわけではありません。同じ立場なら、私も同様のことをしたでしょう。ですが、私は怖くなってしまった」
「……何をだ?」
「あなたの気持ちが、いつか変わってしまうことにです」
マナは寂しそうな目で言った。
「王の妃は、様々な思惑があって決まるものです。貴族や豪商、軍、他国――あらゆる者たちへの配慮が必要になるでしょう。それぐらい学のない私でも分かる。シン様の母君もそうだったのでは?」
「……たしかに、母上は諸侯の令嬢であった」
「仮にシン様が独断で決めるとしても、わざわざ私のような平凡な女を選ぶ必要はない。王の権力があれば、聡明で容姿の優れた女性の中から、好きに選ぶことができるでしょう」
「我は、そのようなことはせん」
「『今』はそう思っているかもしれません。私は『いつか』の話をしているのです」
シンは何か反論しなければと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。
「――この話はもう終わりにしましょう。今我々がなすべきは、過去を振り返ることではない」
マナは目を閉じ、壁にもたれた。
シンの手にある、クマシロにもらった『らのべ』。
そこに描かれた男は、何の努力もなしにヒロインたちから好かれていく。
ただ、主人公であるという理由で。
(我も、同じなのだろうか……)
魔王だからという理由で、これまで様々な者たちが近づいてきた。
きっとこの先も、それは変わらない。
(マナの言ったことは正しい。だが――)
人を好きになる――それは、周囲の思惑や容姿端麗だからといった理由で生まれるものだろうか。
(否、断じて違う! 我がマナを想う気持ちは、もっと――)
その時、シンの心に一筋の光が差す。
シンは立ち上がり、マナを見つめる。
「――マナ、行くぞ」
「一体どこへ?」
「決まっておる。勇者の所だ」
「今、戦うのは危険過ぎます! 何か策を練らなければ――」
「策はある。とっておきのがな」
「え?」
きょとんとするマナに向かって、シンは手を差し出す。
「今からそなたに見せよう。我の変わらぬ想いが、あの勇者を打ち破る所を」