第2話 フラれて転移
ここは、日本のとある地方都市の大学。
夕刻、本日最後の講義が終わった教室に、一人の青年がいた。
短く刈り込んだ髪に大きめのシャツを羽織っており、いかにも大学生らしい風貌である。
青年は何度か大きく深呼吸をし、手を差し出す。
「一目見た時から、あなたを好きになりました! 俺と付き合ってくれませんか?」
少年の目の前には、パーカーを着たボブカットの少女が立っていた。
青年は少女の顔を直視できず、床をじっと見つめて答えを待つ。
(頼む! 今回で彼女いない歴を終わりに……)
だが、しばらく待っても手を握り返す感触はない。
青年が恐る恐る顔を上げると、少女は困ったような表情を浮かべていた。
「ごめんなさい。あなたのこと、よく知らないので」
青年の心に少女の言葉がナイフのように突き刺さるが、努めて明るい声で返す。
「じゃあ、これから知ってもらえば問題ないよね! 友達から始めるのでも全然構わな――」
「いえ、結構です」
可能性の欠片も残さない、明確な拒絶。
青年の心に、さらに深くナイフが刺さっていく。
凡人なら致命傷だが、青年は幸か不幸かタフだった。
(まだだ……! 何か手があるはずだ!)
青年は、大学の講義の何倍も必死に頭を働かせた。
少女は目を細め、少年をにらむように見る。
「そもそも、ほとんど話したこともないのに、私のどこを好きになったんですか?」
「えっと、その……」
青年は言葉につまった。
惚れっぽい性格ではあったが、無差別に告白しているわけではない。
理由はシンプルだ。
――髪型がとても素敵だったから。
だが、本心を語れば即ゲームオーバーになることぐらい、青年は分かっていた。
青年が答えに窮していると、
「すいません。これからバイトがあるので、これで失礼します」
少女はわずかに頭を下げ、小走りで教室を出ていった。
青年は一人残された教室で、天井を見上げる。
「くそっ、これで10連敗か……」
青年の名は山田という。
山田の好きになる女性には、とある共通点がある。
それは、美しいボブカットであること。
彼がその髪型に魅入られるようになったのは、小学生の時だ。
その頃、山田は食べ物の好き嫌いが激しく、よく給食を残していた。
担任の先生は、『お残しは絶対許すまじ』という完食絶対主義を掲げており、山田との相性は最悪。
山田は午後の授業が始まるまで食べるフリをし続け、時間切れを狙うしかなかった。
だが、担任が変わった時、転機が訪れる。
「北島といいます。これから、みんなで楽しい思い出を作っていこうね」
新しい担任は、ボブカットがよく似合う若い女性だった。
クラスメイトは「綺麗」「カワイイ」などと、もてはやしていたが、山田は興味が湧かなかった。
先生という存在は、山田に完食を強いる敵。
見た目が良かろうが悪かろうが、敵であることには変わりなかった。
給食の時間、山田がいつものように苦手なものを食べるフリをしていると、北島は優しく微笑んだ。
「無理しなくていいからね。でも、頑張ってて偉いぞ」
山田は驚愕し、箸を落とした。
敵から優しくされるとは、思いもしなかった。
(いや……最初は褒めておいて、後から落とす作戦に違いない)
だが、北島は一度も怒ることはなく、次の日もその次の日も山田を励まし続けた。
先生は敵ではない――そう気づいた時から、山田は変わっていった。
苦手だったものが、少しずつ食べられるようになり、その年の暮れには、完食するのが当たり前になった。
「山田くん、すごーい! 今日も全部食べられたね」
ボブカットを揺らしながら拍手をする北島を見て、山田は心が温かくなるのを感じた。
いつしか山田は給食が好きになり、朝ご飯も晩ご飯も給食になればいいと思うほどになった。
だが、
「みんな、本当にありがとう。先生、次の学校でも頑張るからね」
翌年、北島は遠方の学校へ転任していった。
その後、初めて訪れた給食の時間に、山田は間違いに気づいた。
自分は給食が好きだったのではない。
本当に好きなのは、北島だったのだと。
それから、山田は北島と同じボブカットの女性を見かけると、目で追うようになった。
(先生がこんな所にいるわけない。けど……)
山田の頭はまるで方位磁石のように、ボブカットの女性という方角に向けて、くるくると回り続けた。
しばらくして、山田はこの不思議な現象に名前をつけた。
『一目見た時から、あなたを好きになりました!』
これは――『恋』なのだと。
大学を後にした山田は、下宿先に向かっていた。
街中で仲睦まじく歩くカップルを見る度、心の中で舌打ちする。
(周りに見せつけやがって……地獄に落ちろ!)
スマホを取り出し、ディスプレイを鏡代わりに自分の姿を確かめる。
髪型は朝セットした時から大きく崩れておらず、シャツにもシワは見当たらない。
(これまでフラれてきたのは見た目のせい……そう思っていたのに)
大学生になってから、容姿にも気を遣うようになった。
野暮ったかった髪型は、サイドと後ろを刈り上げ、さっぱりしたシルエットに変えた。
服装も、見様見真似で流行りのスタイルを取り入れた。
彼女を持つ友人たちと比べて、何の遜色もないはずだ。
(一体、俺のどこに問題が――)
その時、近くで甲高い女性の声がし、山田の思考を遮る。
「危ないっ!」
スマホを下ろすと、目の前の信号は赤。
山田は道路の真ん中に、ぽつんとたたずんでいた。
「へ?」
山田は間抜けな声を上げた。
視界の端に、勢いよく自分に向かってくるトラックが見える。
それは小型ではあるが、山田の何倍も大きく、彼の命を奪う力を十分に備えていた。
慌てて逃げようとするが、足は鎖に絡まれたように動いてくれない。
<歩きスマホの大学生が事故死!>
山田の脳裏に、明日のニュースが思い浮かんだ。
大人たちは「これだから最近の大学生は」とあきれ、友人たちは「バカな奴だ」とあざけるに違いない。
そう愉悦に浸る連中も、歩きスマホをした経験があるにもかかわらず。
それなのに、どうして――、
(俺だけ、不幸な目に合わなければいけないんだ!)
これまでフラれっぱなしだが、人生はまだ始まったばかり。
いつか素敵なボブカットの女の子と結ばれる日が来る、そう信じていた。
こんな理不尽な最期を迎えるなんて、あってはならない。
誰か――神様仏様、天使でも悪魔でもいい。
(俺をここから救い出してくれっ!)
トラックのクラクションが耳にとどろく。
山田は、驚愕した表情の運転手と目が合う。
ぶつかる――そう思った瞬間、山田は真っ白な光に包まれる。
(何だ、これは!?)
トラックのヘッドライトではない。
これまで感じたことのない強烈な光。
目を強く閉じても、まぶたをつらぬくほどだ。
(お、俺は……一体どうなって……)
山田は地面も空も見えず、自分が立っているのかすら分からない。
不思議な浮遊感を感じたまま、山田は意識が遠のいていった。
******
「ここは……?」
山田は気がつくと、狭く薄暗い路地裏に立っていた。
日はまだ沈んでいない。
意識を失ってから、それほど時間は経っていないようだ。
慌てて体の具合を確かめる。
(よかった……どこも怪我はしていないみたいだ)
ほっと胸をなでおろしたのも束の間、浮かんでくる疑問。
どうして病院ではなく、こんな場所で目が覚めたのだろう。
左右に見えるのは、石や木で作られた中世ヨーロッパのような建物。
山田の知る限り、自分の住む街にこんな場所はない。
(なんだかテーマパークみたいだな……)
山田はスマホを持っていることを思い出し、現在地を調べようとしたが、
<インターネットに接続されていません>
とディスプレイに表示された。
「おいおい、どんな田舎なんだ……」
山田はため息をつき、スマホをポケットに突っ込んだ。
積まれた木箱や麻袋を避けながら、路地裏を進む。
突き当りは明るくなっており、たくさんの人々が往来しているのが見えた。
(通りにでれば、何か分かるだろう)
暗い路地裏から大通り出た山田は、太陽の光に思わず目を細めた。
明るさに慣れた瞬間、山田は目を見開く。
「なんだこれ……コスプレイベント?」
行き交う人々は、誰しもファンタジー風の衣装を着ていた。
とがった付け耳をしたり、額に角を付けたりと、魔物をイメージしているのだろうか。
オオカミやトカゲといった、獣人の着ぐるみをまとう者もいる。
(でも……アニメやゲームにあんなキャラクターなんていたっけ?)
山田が首をかしげていると、右手からガラガラと何かが近づいてくる音がした。
茶色の動物が上下に首を揺らしながら、大きな車を引いている。
(馬車か……こんなものまで走らせるなんて、本格的すぎるだろ)
感心しながら眺めていると、自分の誤りに気づく。
荷車を引いているのは馬ではない。
あれは――、
「ド、ドラゴン!?」
茶色のつるりとした鱗にナイフのような鋭い爪、ゲームに出てくる架空の獣そのものだ。
ドラゴンは「ハッ、ハッ」と息づかいをしながら、山田の前を通り過ぎていった。
「今の……どう見ても着ぐるみじゃないよな……」
先ほどまでコスプレと思っていた魔物や獣人も、注意深く見ると本物にしか見えない。
こんな場所は日本――いや、世界中探しても存在しない。
山田は、ようやく自分の置かれた状況を理解した。
「お、俺……異世界転移しちゃった!?」