第1話 少年魔王は、少年漫画に憧れる
まだあどけなさの残る少年が、深紅の長髪と漆黒のマントをなびかせ、城の廊下を歩く。
一見すると人間。
だが、その額には二本の白い角が生えており、彼が人ならざる者であることを示している。
廊下の先では、鎧をまとった魔族の男たちが何やら談笑していたが、少年に気づくと慌てて道を空けた。
「ま、魔王様! 行く道を塞いでしまい、大変失礼いたしました!」
「気にしなくてよい。我の小さな体なら、そなたたちの間をいとも簡単に通り抜けられる」
魔王と呼ばれた少年は、場を和ませようと軽口を叩いた。
だが、男たちはくすりともせずひざまずき、少年が通り過ぎるまで顔を伏せたまま見送った。
「はあ……」
少年はバルコニーに出ると、盛大にため息をついた。
ちょうど日が沈む時間であり、少年が統べる魔族の国『モンスタニア』の王都がオレンジ色に輝いていた。
絵画のような美しい光景だが、少年の心は晴れない。
「シン様、随分と大きなため息ですな。街に突風が吹くかと思いましたぞ」
背後からの声に、少年はゆっくりと振り返る。
そこには、真っ白な毛並みの巨大なクマが立っていた。
モンスタニア随一の智将、クマシロ博士だ。
「――我が本気を出せば、竜巻が起こるかもしれんぞ?」
「これは失敬。このクマシロ、シン様を侮っていたようですな」
クマシロがくつくつと笑った。
「博士……友がいないというのは、寂しいものだな」
「ななっ! このクマシロは友でないと申しますか!?」
「たわけ。お主は我の兄みたいなものだろうが」
クマシロは物心がつく前から教育係として仕え、今でも参謀としてシンを助けている。
シンにとって、肉親ともいえる存在だった。
「誰もが『魔王様』と我にひれ伏すが、共に並び立ち、心を許せる者がおらんのだ」
「……仕方ありません。シン様は、この国で最も偉いお方なのですから」
「たまたま父が王だっただけだ。自分の力で得た地位ではない」
「そんなことはありません。シン様の血の滲む努力、私はしかと見てきました」
「権力に見合う、最低限の努力であろう」
魔王に即位してから、必死に役目を果たしてきた。
職務には慣れてきたが、ふいに感じる孤独には未だに慣れなかった。
クマシロはわざとらしく明るく振舞う。
「実は、シン様に見せたいモノがあるのです」
「……また、つまらぬ発明品か?」
「残念ながら、いつもの『素晴らしい』発明品ではありません。シン様が待ちわびていたものといえば、お分かりかと」
「ま、まさか! 召喚できたのか!?」
「フフッ、ご覧あれ――」
クマシロは不敵な笑みを浮かべ、あるモノを掲げる。
「『週刊少年スパーク』の最新号です!」
それは、異世界『日本』から流れ着いた書物。
絵と文字を使って紡がれる物語、いわゆる『漫画』である。
「今日はあちらの世界の『げつようび』だからな。そろそろ頃合だと思っていたぞ!」
「まだ誰も中を見ておりません。初めてはシン様にと思いましてな」
この世界では、古より召喚魔法に失敗すると、未知の道具や書物が現れる現象が知られていた。
単なるゴミだと思われていたが、クマシロはそれらが異世界の物であることを突き止めた。
今では文化的価値が認められ、モンスタニア国内で日本の文化は密かなブームとなっている。
「博士、見ろ! あれほどいがみ合っていた者同士が共闘するとは……!」
「ちょ、シン様! ネタバレはやめてよして!」
シンは、少年向け漫画雑誌『週刊少年スパーク』の愛読者。
特にロボット漫画『英雄王ギアブレイブ』にハマっていた。
過酷な運命を背負った子供たちが、巨大ロボット『ギアブレイブ』に乗って悪と戦う――少年の心をくすぐる熱い物語である。
漫画を読み終えた頃には、シンの心は随分と軽くなっていた。
だが、クマシロから笑みが消えていることに気づく。
「博士――本題を申してみよ」
「やれやれ、お見通しでしたか。本当に見て頂きたいのは、こちらです」
クマシロは、シンに漫画よりひと回り小さな書物を渡す。
ページをめくると、文字がびっしりと並んでいた。
「これは小説か。しかし、表紙は漫画のようだな」
「おそらく、文字が苦手な者でも興味を持ちやすいようにと配慮したのでしょう。日本では『らのべ』と呼ばれているようです」
「なになに、タイトルは……」
<引きこもりの俺が異世界転移したら、なぜか伝説の勇者となってしまったので、ちょっと魔王軍を殲滅してきます>
「なんだこれは!? 表紙にあらすじが書いておるではないか!」
「いえ、これがタイトルなのです」
「恐ろしく長い……。こんなの覚えられんぞ」
「問題は、表紙より中身です」
シンは冒頭から読み進めていく。
「ほう……異世界の人間がこちらにやって来るのか。面白い設定であるな」
ページをめくるごとに、シンの表情が曇っていった。
主人公は、日本に住む平凡な少年。
学校に馴染めず引きこもりになったが、突如こちらの世界に召喚されて圧倒的な魔力を授かり、勇者として魔王軍と戦う――これが物語の骨子である。
シンは、その展開に違和感を覚えずにはいられなかった。
「なんと薄いストーリー……他の書物のような深い味わいがまったく感じられないぞ!」
「はい。努力もなしに強大な力や周囲から絶大な信頼を得る、論理的に破綻しております」
「なぜ勇者とやらは、理由もなく魔族を滅ぼそうとするのだ?」
「皆目見当もつきません。得た力を誇示したいだけのように思えます」
「一体、この物語は何を伝えたいのだろう……」
シンは腕を組み、首をかしげた。
「このような『らのべ』は、他にもいくつか召喚されています。いずれ、少年漫画の数を上回るでしょう」
「な、なんたること……我の愛する漫画たちが……」
少年漫画と違い、この『らのべ』からは努力の過程、仲間との絆、愛するがゆえの葛藤など、シンの心を震わせてきたものが抜け落ちていた。
「――シン様、私はこれを予言書と考えています」
「何……予言だと?」
クマシロは強くうなずく。
「近い将来、この世界に恐ろしい勇者がやってくる。それを我々に警告しているのです」
「なるほど……ありうる話だな」
「シン様の掲げる野望にとって、大きな障害になるかもしれません」
10年前、シンは戦争で両親を亡くした。
その日のことを、今でも鮮明に思い出すことができる。
人目もはばからず、ただひたすらに泣き続けた。
声がかすれ、涙も枯れ果てた時、ひとつの野望が胸に宿っていた。
それは、この世界が誕生してから現在まで、誰一人成し遂げられていない偉業。
――この世界を征服する。
あの日灯った炎は、今も消えていない。
シンはバルコニーから王都を見下ろす。
日は完全に沈み、地上には天空に瞬く星のような無数の明かりが灯っていた。
「博士、覚えておるか? 昔、お忍びで城下へ遊びに行ったことを」
「もちろんですとも。シン様は、すぐに街の子供たちと打ち解けていましたな」
「よく彼らと冒険ごっこをしたものだ。あの日々が懐かしい……」
「仲良くなった女の子に『嫁になってくれ』と告白したこともあったような――」
「お、おい! その話はやめぬか!」
シンの顔が沈んだ太陽のように赤く染まったので、クマシロは声を上げて笑った。
シンは眼下に広がる一つ一つの光に想いを馳せる。
そこには、かつての友、想い人も暮らしているだろう。
数え切れないほどの魔族が、家族と幸せな時を過ごしている。
(『彼らに』、我のような悲しい思いは決してさせない)
シンは顔を上げ、水平線の向こうに広がる国々を思う。
西には人間、北にはエルフ、南にはドワーフ――様々な種族が住まう国がある。
彼らとは、何千年も前からこの世界の覇権を争ってきた。
種族が異なる、たったそれだけの理由で。
(『彼らにも』、我のような悲しい思いは決してさせない)
誰しも平和を望んでいるはずなのに、大人たちは争いを止めない。
このバカげた争いに、必ず終止符を打つ。
「魔王軍参謀、クマシロに命ずる」
「はっ! 何なりと」
シンは深紅の長髪と漆黒のマントをひるがえし、強い口調で告げる。
「勇者に対抗すべく新しい魔動具の開発、並びに各地から精鋭を選抜せよ! モンスタニアの総力を上げ、策を練るのだ!!」
「御意!」
クマシロは素早く一礼し、城の中へと消えていった。
一人残されたシンは、天に向かって拳を掲げる。
「待っておれ、勇者たちよ。我が『愛・勇気・友情』の力で受けて立つ!」
皆の心を、少年漫画から学んだ熱き想いで埋め尽くす。
それが、シンの目指す――世界征服である。