第77話 ギシン
島津との戦は決着し、長門国……柊家の勝利に終わった。
どこか苦みを残した勝利だったが、いつまでも感傷に浸ってはいられない。
源さんは島津3兄妹と協議を行い、島津とはほとんど和議に近い条件を結んだようだ。
細かいことはわからないが、島津が攻め滅ぼした各国は自治権を取り戻し、島津もまた元の薩摩国のみ所領安堵となり。
多額の賠償金こそ受け取ったものの、柊家は領地を増やすことはしなかったらしい。
「だが、これで九州の全ての国と同盟を結んだようなもんだ。東からの圧力には強くなったぜ」
とは源さんの弁。
ともかく、これで柊家はひとまずの安寧を取り戻したのであった。
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柊城に凱旋した俺達は、熱烈な歓迎を受け、城下をも巻き込んだ大宴会がはじまる。
しかし酒は飲まないし、騒ぐ気分でもなかった俺は、ナズナや顔見知りたちに挨拶したあと、ひとり、練武場へと向かった。
練武場には人ひとりおらず、閑散としている。
「……」
俺は端っこに正座をして、瞑想と言う名の考え事を始める。
――商人ギシン。
一体何者で、何の目的があって春久を“ああ”したのか。
「……ん?」
練武場の入り口でごそごそと草鞋を脱ぐ音がする。
誰か来たのだろうか。
がらりと入り口を開いて現れたのは、征夷大将軍、足利義月と、帝ちゃんであった。
「りゅーすけ! おかえり!」
「おう。ただいま」
帝ちゃんが無邪気に駆け寄って来たので抱き留める。
「聞いたぞ竜輔。なかなかの活躍ぶりだったそうだな」
「そうでもないさ。がんばったのはむしろラティかな」
あのプレッシャーの中でよく当てたものである。
「ふっ……そうか」
「てか、帝ちゃんたちは宴会に行かないのか?」
「んー。義月が、あんまりひとまえに出ちゃいけないって」
「あ、ああ。そっか」
すっかり忘れていたが、こいつら一応お忍びでやって来ているんだった。
「で? 何を悩んでいる?」
義月が俺の正面に座り込み、尋ねてくる。
帝ちゃんは俺の体をよじ登り、肩車の位置を確保した。
「ちょっとな。聞いたか? 春久の話」
「ああ……何でも異形の化け物と化したとか」
「そのきっかけになったらしい大陸産の丸薬を持ってたっていう商人、ギシンとかいうやつが気になってな……」
「ふむ、商人ギシンか。わかった。こちらでも調べ――待て、ギシンだと?」
「! ぎしん!」
義月と、頭上の帝ちゃんが驚きの声を上げる。
「知っているのか?」
「いや、まさか……だとしたら何が目的で……」
義月はぶつぶつと呟きながら立ち上がる。
「おい?」
「帝ちゃん」
「あい」
義月が俺の肩に乗っていた帝ちゃんを抱き上げた。
そしてそのまま、練武場の入り口へと向かう。
「おーい……」
義月は呼びかけに足を止め、頭だけで振り返る。
「……竜輔。その件はこの義月が預かる」
「預かるったって……まあ別に俺がどうこう言うこっちゃないけどよ」
「ああ。だからもう、気にすることはない」
義月は振り向いていた頭を戻し、練武場の引戸に手を掛けた。
「その商人がこのジパングで暗躍することは、二度とないからな」
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薩摩。
島津4兄妹の居城近くに、島津春久の眠る墓所はあった。
島津夏久、秋久、冬久の3人は、葬儀が終わって数日経過したこの日にも、墓に参り、故人を悼んだ。
「……春ニィ」
秋久は、鬼神と化し、その後土塊へと返った春久だったモノを回収するように指示していた。
「春兄さん……」
何ができるでもない冬久は、柊 源之丞に用意してもらった巨大な箱に、土を詰め込む作業を必死に手伝った。
「兄者……」
その箱を、薩摩まで担いで戻ったのは夏久だ。
しかしこの墓、3人以外の誰も寄りつこうとしなかった。
その理由は明白で、墓からは禍々しい気配が立ち昇っており、近づいただけで寒気を催すからだ。
鬼神と化した春久の無念・怨念は、死してなお周囲に影響を及ぼすほどの凶悪な邪念であった。
「む。人が居たか」
3人が手を合わせていると、背後から人の声がかかる。
「……誰だ?」
振り返った秋久は、相手の顔に見覚えがなかった。
その人物は背の高い若い女で、長く癖のない黒髪を背中まで伸ばしている。
場違いなことに、重厚な武者装束を身に纏い、腰には古めかしい大太刀を帯刀していた。
そしてより特徴的な問題として、女は肩に幼い少女を担いでいる。
少女は何故か、白襦袢に緋袴という巫女のような服装をしており、手には幣(※)まで持っている。どこかぽけーっとした印象の少女であった。
※ 幣とは、巫女さんが持っている白いヒラヒラがついた棒のことである。
「こ、これは……! 義月様ではありませぬか!」
「義月様……って、将軍様!?」
「!?!?」
唯一顔を合わせたことのある夏久の言葉に、秋久と冬久は驚愕する。
決して、このようなところで出会うような人物ではない。
慌てて跪こうとする3兄妹を手で制し、義月は言う。
「どうか、このみか――この子に、祝詞を奏上させて欲しい」
「そ、そりゃ、勿論、願ってもないことですが……」
「うむ。では始める」
秋久や他の2人の困惑をよそに、義月は少女――帝を墓の前へと下ろした。
『!?』
その瞬間、3人は驚愕した。
まだ祝詞を唱えてもいないのに、少女が墓の前に立っただけで、空気の重さが和らいだのだ。
少女の雰囲気も緩いものから引き締まったものへと変わる。
そして何より、その瞳は眩いばかりの黄金色に輝いていた。
少女は幣を一振りし、朗々として祝詞を詠み上げる。
「高天原に坐し坐して 天と地に御働きを現し給う龍王は
(たかあまはらに ましまして
てんとちに みはたらきを あらわしたまう りゅうおうは)
萬物をご支配あらせ給う王神なれば
(よろずのものを ごしはいあらせたまう おうじんなれば)
一二三の 三種の御寶を己がすがたと変じ給いて
(ひふみの みくさの みたからを
おのがすがたと へんじたまいて)
自在自由に 天界地界人界を治め給う
(じざいじゆうに てんかい ちかい じんかいを おさめたまう)
龍王神なるを尊み敬いて
(りゅうおうじんなるを とうとみうやまいて)
一切衆生の罪穢れの衣を 脱ぎさらしめ給いて
(いっさいしゅじょうの つみけがれのころもを
ぬぎさらしめたまいて)
萬物の病災をも 立所に祓い清め給い
(よろずのものの やまいわざわいをも
たちどころに はらいきよめたまい)
六根の内に念じ申す 大願を成就なさしめ給へと
(むねのうちに ねんじもうす
だいがんを じょうじゅなさしめたまへと)
恐み恐み白す
(かしこみ かしこみ もおす)」
祝詞が終わる頃には。
三人は、自然と地に膝をつき、頭を下げ、涙を流していた。
気づけば春久の墓に渦巻いていた邪念は消え失せて、清浄なる気が周囲を包み込むように広がっている。
「貴女が……帝か……!」
夏久の言葉。
ジパングの民が、自然と敬い跪いてしまう。
ジパングの守護神にして、ジパング全ての母なる存在。
「はるひさのことは、とてもかなしいね」
帝は金の瞳で墓所を眺め渡しながら言った。
「だけどもう、これで“げんせ”を さまようようなことは ないよ。もう、だいじょうぶ」
「春ニィぃぃ……!」
帝の微笑みに、秋久をはじめ、3人は再び涙した。
これでようやく、春久は心安らかに眠れるのだと。
「……ありがとう……ございます……!」
「ううん……これはわたしのせいでも あるから」
お礼を述べる冬久に対し、帝は悲しげに俯いた。
「帝ちゃん。“奴”は?」
「うん。ちかくに いるよ」
「そうか」
義月は帝を担ぎ直す。
「戦のことは――この時代だ。咎め立てはすまい。だがこれからは、柊をはじめ、各国との同盟を大切にしてもらいたい」
『はっ!』
義月は3人に背を向け、その場を後にする。
「……これから、ジパング全土で団結が必要となるやもしれぬからな……」
「……」
誰にともない義月の呟きは、風に紛れて消えていった。
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「おや?」
とある海岸。
切り立った岸壁の上で、商人ギシンは海を眺めているところだった。
背後に人の立つ気配にギシンが振り向けば、そこにいたのは。
「これはこれは――征夷大将軍、足利義月様と、帝ではありませんか」
ギシンは細い目をさらに細め、にっこりと笑みを作って見せる。
「このしがない商人に、何か御用ですかな?」
「猿芝居はそこまでだ。商人ギシン――いや」
義月は険しい表情で、ギシンを睨みつける。
「戯神――ロキッ!」
「……あれえ? バレてました?」
男の輪郭が、歪む。
黒い髪は銀色に変じ、顔立ちはまだ幼げを残す少年のものに。
――バサッ。
そして背に広がるのは、一対の黒い翼。
十天神 第10位階『戯神』ロキ。
「バレてました? とは笑わせる。何がギシンだ。隠す気はあるのか」
「ははは。何事も楽しむのが僕の主義ですから。ヒントありのかくれんぼゲームですよ」
「巫山戯たことを……」
「ふふっ。そりゃ、巫山戯ますよ。僕は『戯神』ですからね。ま、本当はもう少し、この島国で遊ぶつもりだったんですけど」
「……戯れが過ぎるな。貴様、まさか約定を知らぬとは言わせぬぞ」
「約定……?」
ロキはわざとらしく顎に手を当ててから、おどけた仕草で手を叩いて、あたかも今、思い出したかのように声を出した。
「ああ! あの、黒き神はジパングに手出し無用とかいう、ふっるーい約束のことですか? ははははは! 嫌だな! 僕が十天神になる前の約束事なんて知ったこっちゃありませんよ!」
ロキはひとしきり笑うと、帝ちゃんに視線を向けた。
「ねえ。貴女もそう思いませんか?
十天神の第2位階――『龍神』ミカド、さん?」
帝――『龍神』ミカドは、常にはない不愉快そうな顔で、ロキを睨みつけた。
「なぜ こんなことをしたの」
「何故? ふふふ。さあ、何故でしょう。そんなことより、貴女は何代目の龍神なんですか? 大変ですよねえ。お仲間はみーんな異界へ逃げ去ってしまったのに、たった一柱でこの島国を何千年も守り続けているんでしょう? いや、同情しますよ」
「……いうきが ないなら、もういいよ」
「はは。もう少しお喋りを楽しみませんか? 僕も興味があるんですよ。龍神とその一族について」
「義月」
「うむ」
義月は帝ちゃんを肩から下ろし、腰の大太刀――3種の神具がひとつ、『クサナギ』に手を掛けた。
「おやおや。気の短いことで……」
「薙ぎ払えッ! 『クサナギ』ッ!!」
シャーンッ!!
義月は、ロキと5メートル以上は離れた位置で、『クサナギ』を抜き放った。
「……」
そして無言のまま『クサナギ』を鞘に納める。
「龍神王の牙――神具『クサナギ』ですか……いや、想像以上だ。参ったな」
ピシッ。
ロキの衣の胴部が、斜めに裂ける。
そしてロキの上半身と下半身に、“ズレ”が生じた。
ドサッ。
ロキの上半身が地面に崩れ落ちる。
「……人形」
義月の呟き。
ロキの上半身と下半身の切断面はすべて、びっしりとした木目がある。
「いや、避けるつもりだったんですよ。ほんとほんと。さすが龍神の加護を受けし護国の士ですね。いやあ。本体で来なくて本当によかっ――」
バキッ!
言葉の途中で、義月は転がるロキ人形の頭を踏みつぶした。
「……次はない」
義月は踵を返し、帝を肩に担ぐ。
「ロキだけの ほんのおあそびだったら いいのにね」
「……そうだな」
そう、会話を交わす帝と義月だったが。
2人共、心のどこかで予感を覚えていた。
いつか近い将来、他の十天神とも見えることになるかもしれない、と。
※祝詞は実在する龍神祝詞より一部抜粋し、一部変更したもの。