第73話 遭遇、そして異変
目の前に佇む、鬼人族の男。
周囲の鬼人族の言動や反応からして、敵の大将、島津春久にまず間違いないだろう。
ということは。
「お前を倒せば戦は終わるってことか?」
「戯け……寝言はあの世でほざくがいい」
春久は右手だけでぶら下げるように持っていた刀の柄に、左手を添えた。
「!」
咄嗟に頭を引いた。
その顎先を、春久の刀の切っ先が掠める。
「ほう……」
「っぶねっ!! あっぶねー!」
「こりゃリュースケ! 油断するでないぞ!」
「わーってるよ!」
俺とニナのやりとりに、春久が眉根を寄せる。
「大陸の言葉――貴様異人か」
「だから?」
「棗の婿には相応しくない」
「ケッ。お前の知ったことかよ」
「……下郎が。言葉を選べよ」
「棗に振られた癖にすげえ偉そうだな……」
「それこそ知ったことではない。女は力づくでも手に入れるものだ」
「俺の意見とは合わないな」
「元より、分かり合う間柄でもない」
「そりゃそうだ」
春久はもはや語る言葉もないとでも言いたげに、刀を正眼に構えた。
対して、俺も義月に教わった構えのうち、ひとつの構えをとる。
右手で拳を作り腰だめに構え、左手は手刀を作り胸の前あたりに掲げる。
「……」
「……」
しばし無言で睨み合う。
「……」
「……」
春久はすり足でじりじりと間合いを詰めてくる。
こちらのほうが素手の分、間合いは狭いのだから望むところだ。
「……シッ!」
突きだった。
春久は俺を間合いに捉えたその瞬間、鋭い突きを放ってきた。
俺は伸びくる刀の腹に左手の甲を当て、左に反らした。
顔のすぐ左を刀が通り過ぎる。
「……らッ!」
「チッ!」
空いている右手で相手の胸の辺りを突くが、春久は刀から左手を離しながら、半身になってそれを躱した。
「噴ッ!」
「うおっ」
そのまま右手に持った刀を力任せに横薙ぎに振るってきたので、慌てて頭を屈めて避けた。
春久は左に薙いだ刀の柄を放していた左手で受け止めて、さらに下から上へと斬り上げてくる。
「っ!」
それを左手刀の腹で今度は右に弾き、一旦地面を蹴って距離をとった。
春久もすぐに追おうとはせず、刀を正眼に構え直す。
「やるな」
「……お前もな」
楽しげな春久の賛辞に、俺も賛辞を返すしかない。
やばい。こいつめっちゃ強い。
攻撃を捌くのに手一杯で、ほとんど反撃もできなかった。
大陸で言えばSランク冒険者に匹敵するんじゃなかろうか。
まああいつらは特殊能力があるから単純には比べられないのだが……。
だが……対応できる。
ジパングに来る前の俺だったら、倒せたかどうか。
でも、今なら。
「フゥゥゥ……」
「む……!」
俺は細く長く息を吐きながら、全身の神経に意識を集中させる。
すると今まで見えていなかったものが見えてきた。
周りには島津、柊両兵がひしめき合い、この一騎打ちを固唾を飲んで窺っている。
そして背後にはニナがいることが感じられた。
手を出したくてしょうがないといった様子で、そわそわとこちらを見守っている。
「ニナ……不安にさせたか?」
「!? い、いや……」
「もう大丈夫だ」
「……! そ、そうか!」
ニナの嬉しげな声を聴きながら、俺はナズナに何度も言われた言葉を頭の中で繰り返す。
――視野は広く。
大丈夫。周りはよく見えている。
――全身の感覚は鋭敏に。
戦場のヒリついた空気。目の前の春久から伝わる焼けつくような殺気。
いける。
次の瞬間、俺の視界に映る自分の左手刀が、薄赤い光に包まれた。
それだけでなく、全身に万遍なく熱を感じる。
「! 貴様……何をした?」
春久が訝しげにこちらを窺う。
柊の内弟子だったとはいえ、錬気までは教わっていないようだ。
全身くまなくの内錬気。土壇場で成功させた。
いや。
「ニナ。ここは俺の土壇場か?」
「……いや、違うな」
ニナがにんまりと笑うのを感じる。
「そやつの土壇場じゃ」
「だよな」
春久が額に血管を浮かべた。
「その減らず口、すぐにも叩けなくしてくれる」
「やってみな」
春久が先ほどのすり足と違い、一息に踏み込んできた。
まだ速くなるのか。だが。
その瞬間、すでに俺は春久の懐に飛び込んでいた。
「ッ!?」
「おらよッ!」
「ぐはぁッ!?」
春久の踏込みの勢いも乗せて、カウンター気味に左掌底を春久の甲冑に打ち込んだ。
春久の甲冑、その胴の部分が砕け散る。
春久は踏込みに倍する速度で後方へ弾け飛ぶ。
「がっ!」
そして数メートル飛んでから背を地面に打ち付けて、数度弾んでからようやく止まった。
「フゥゥゥ……」
俺は残心を意識して、呼気を吐きながら油断なく周囲を窺った。
「春久様!?」
「お館様!」
慌てて春久に駆け寄る鬼人族たち。
「うおおおお!」
「婿殿がやったぞ!」
「婿殿ぉぉぉ!」
歓喜の声を上げる柊の兵たち。
「当然じゃ!」
ドヤ顔で胸を張るニナ。
未だ戦場に鬨の声は止まず。
しかしまもなく、静寂は訪れるだろう。
「……っぐ」
「!」
春久のうめき声。
「ぐ、う、おおお!」
春久は駆け寄った鬼人族の1人の肩に左手を載せて、それを支えに起き上がって見せた。
嘘だろ。あれで起きるのかよ。
「ハァッ……ハァッ……」
しかしさすがに息も絶え絶えで、しかしこちらを睨みつける瞳には、憎悪の力が宿っていた。
「法龍院、竜輔ぇぇ……!」
「うわあっ!?」
春久は支えに使っていた鬼人族を放るように左手を薙いで捨てた。
「き、さ、ま……ゴフッ!」
春久は内臓を痛めたのか、少量ながら咳き込んで吐血する。
『春ニィ!? まさかやられたのか!?』
遠くから、年若い少年の声が聞こえる。
視線を向ければ、顔だちは春久によく似た少年が、手に持った軍配を取り落しているところだった。
『ッ! 何してる! さっさとその男を囲め!』
「は、はっ!」
少年の指示に、周りの鬼人族が俺を取り囲む。
少年は言いながら、春久の元へと走り寄っていた。
「春ニィ!」
「秋……余計なことを」
「言ってる場合かよ! いいから、一旦下がるぜ!」
「……チィッ!」
春久は大きな舌打ちをひとつ打ち、再びこちらを睨みつける。
「竜輔――この屈辱、忘れんぞ」
「っ、待て!」
「追わせんぞっ!」
「ちっ……! 邪魔だっ!」
俺は取り囲む鬼人族を薙ぎ払うが、秋と呼ばれた少年が引きつれてきたのだろう、あまりの兵の多さに足を止めざるを得なかった。
「くっそ……!」
これ以上留まってより多くに囲まれれば抜け出せなくなる。
「リュースケー! 無事かー!?」
人の壁で見えないのだろう。ニナの呼ぶ声が遠い。
「ああ! 今戻る」
俺は槍や刀を、内錬気を駆使して避けたり破壊したりしながら、柊の陣地深くへ戻って行った。
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――ブォォォォォ!!
夕刻になり、両陣営で法螺貝が鳴らされる。
事前の取り決めがあり、申の刻(午後4時)、今日の合戦は終了と相成った。
島津夏久に攻められた中央では、ラティが矢で援護しながらナツメが戦うという形でうまくしのいだようだ。
その後は一進一退を続け、両陣営に大きな被害はなかった。
島津春久の負傷という事実を除けば、だが。
「春久を一騎打ちで倒すたぁ、やるじゃねぇか婿殿」
「ま、結局逃げられたけどな」
本陣の中で、俺は源さんに今日の出来事を報告していた。
「だが島津は春久への絶対的な信頼が大きな支えとなっている。これで士気は大きく下がるはずだ」
「だといいけどな」
「なんじゃリュースケ。気になることでもあるのか?」
ナツメの意見に、イマイチ同調しきれない俺に、ニナが尋ねる。
「そういうわけじゃねーけど。なーんか嫌な感じがするんだよなあ」
「な、なんですか嫌な感じって。リュースケさんの勘は良く当たるんだからやめてくださいよ……」
「んー。だってなあ……」
ラティにそう言われるが、嫌な予感は消えない。
だってあれで立ち上がるとは思わなかったのだ。
掌底は完全に入ったし、甲冑が砕けるほどの威力が出た。
はっきり言って会心の一撃だった。
「あれで立つかよ……普通?」
「相手は鬼人族とやらじゃ。普通より頑丈にできておるのではないか?」
「そうかなあ。そういうもんか?」
「確かに鬼人族は頑丈だぜ。婿殿、油断しねぇのはいいが、あまり気にしすぎるのも体によくねぇぞ」
「うむ。竜輔殿はよくやったと思うぞ。今日はゆっくり休んで明日の会戦に備えようではないか」
「……そうだな」
考えてもわからないものはわからない。
今日は早々に寝て、明日の事は明日また考えよう。
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「糞ッ!」
ガシャーン!
「……!!」
春久は持っていた猪口を苛立ちに任せて投げ捨てた。
その割れる音に、お酌をしていた冬久がすくみ上がる。
「春ニィ、荒れてるなあ」
「まさか兄者が敗れるとは……」
秋久、夏久の2人も、荒れる春久にどう接していいか掴みかねていた。
「敗れてなどいない! 負けとは死した時のことを言うのだ……!」
「あ……」
春久は冬久から徳利を取り上げて直接口を付けて酒を飲み干した。
ガシャーン!
そして徳利も投げ捨てると、どかりとその場に座り込んだ。
「法龍院、竜輔ぇぇ……!」
怨念すら込めてその名を呼ぶ。
「次はこうはいかんぞ……っ!?」
「……? 春兄さん?」
突如、額を押さえて黙り込んだ春久に、冬久が疑念を抱く。
「……ヅッ……!」
「……! 春兄さん!?」
「どうした冬!? 春ニィ!?」
「兄者!?」
「ぐっ……頭が……」
春久を襲っているのは、頭痛であった。
「頭が痛ぇのか……!? まさか……!」
酒のせい、とは秋久は思わなかった。
鬼人族は元来酒に強いし、春久はその中でも一等の酒豪である。
「角熱病!?」
「なんだと!?」
「!?」
秋久の言葉に、夏久と冬久が驚愕する。
角熱病は極めて致死率の高い病ではあるが、一度罹ったら二度と罹らないことでも有名である。
一度は治ったと思われた角熱病であったが、頭痛を堪える春久を見るに、連想するなという方が無理であった。
「っ……違うっ! 角熱病などでは――ぐうっ!?」
春久は、今度は額を押さえていた右腕を、左手で鷲掴みにする。
「う、ぐ、あああ!」
ぼこり。
『!?』
ここ最近、異常に発達していた腕の筋肉。
その右腕の肉が、一瞬、波打つように膨らみを見せた。
「な、んだこれは……! がっ!?」
続いて、左腕にもまた同じ症状が現れる。
「は、春ニィ……! な、なんだよこれ。こんなの角熱病ですら……まさか!?」
秋久の脳裏を過ぎったのは、一つの丸薬。
「あの薬……! あいつのせいか!?」
商人ギシン。
角熱病を治すという革新的な薬を持ち込んだ男だ。
その時は喜びのあまり深く考えなかったが、秋久はその後あまりの都合の良さを訝しみ、ギシンの足取りを追った。
しかし薩摩の所領を出たあたりで、その足取りはぱったりと途絶えている。
「ぐううっ!」
さらには春久の背中の肉まで大きく波打ち、春久に大きな苦痛をもたらす。
「額が……割れるようだ……!」
追い打ちをかけるように痛む額。
「春ニィ! くそっ、一体どうすれば……!」
「兄者ぁぁ!」
「……! ……!!」
兄の異変に、3人は狼狽えることしかできなかった。
「お、のれ……一体何だと……ぐあああ!」
そして春久は、全身の熱と額の痛み、隆起する肉の苦痛にその晩、苦しみ続けるのであった。
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「……」
明けて、翌日。
「春ニィ……」
「兄者!」
「春兄さん……!」
もはや苦痛の声も上げず、憔悴した様子の春久。
しかし、全身の肉が隆起する現象は治まっており、頭痛も当初ほどの酷さはなくなっていた。
「……大丈夫だ。大分治まった」
「そ、そうか……でもなんだってんだ……こんな症状、本当に角熱病なのか……?」
「さあな……だが……」
春久はよろめきながらも立ち上がった。
「あ、兄者、今しばらく寝ていたほうが」
「言うな夏。もう……時間がない」
『……』
「……!」
夏久と秋久は気づいていたが、冬久は言われて気が付いた。
もう今日の開戦まで、幾ばくも猶予がないことを。
「ふ、ふ。何故だろうな。体調は最悪だが、負ける気がしないのは……」
「春ニィ……?」
「さあ……始めようか……今日で終わらせるぞ……何もかも」
「あ、ちょっと春ニィ!? 待てって!」
ふらふらと歩き出す春久を追って、秋久が小走りに駆けて行く。
「……兄者」
夏久は以前、戦の折感じた不安を思い出す。
「本当に大丈夫なのか、兄者よ……」
「……」
もはや、泣きそうな冬久を慰める余裕も、夏久自身、失っていた。