第71話 書状と戦
竜輔が友人たちとの結束を新たにしたその数日後。
島津家より一人の使者が来て、一通の書状が届けられる。
柊家の評定にて、源之丞はその書状を開封した。
「使いは?」
「早々に帰った。使いも書状の内容は知らぬようであった」
源之丞がそれを読んでいる間、家臣たちが小声で会話を交わす。
「……」
「お館様。して、書状の内容やいかに」
源之丞は2回ほど書状を読みなおし、ため息をついてから、放り捨てるように家臣へと書状を渡した。
「む、拝見いたす」
家臣の一人が書状を開き、他の家臣もその背後から覗き込むように書状に目を通した。
「な……! これは……!」
書状を要約すると、その内容はこうだ。
『島津春久と柊棗の婚儀を認めよ。さすれば島津家は和議の準備がある。もしこれが認められない場合は、容赦なく侵攻する。なお、返答の期限は六日とする』
ざわめく家臣達。
「認められるものかッ!」
「しかし……和議の条件としては容易いものではあるな」
「何だと貴様! 棗様を何と心得るッ!」
「感情で判断するものではない。民の安寧こそが最も尊ばれることぞ」
「綺麗ごとをぬかすな!」
「まあ落ち着けや、皆の衆」
『……』
落ちついた源之丞の一声に、家臣達はひとまずの静寂を得る。
「お館様。お館様はいかがお考えか」
家臣の一人が問いかけ、他の家臣も答えを待つ姿勢を見せた。
「婚儀なんつーもんは、当人同士の問題だ。まずは棗に聞いてみてから考えても遅くはねぇんじゃねぇか?」
この考え方は、政略結婚の多いこの時代のジパングにおいては異端である。
しかし柊家という力あるひとつの武家に長年支えられてきた長門国では、あまり政略結婚が行われたという歴史がない。
恋愛結婚がほとんどである長門国においては、源之丞に否やを唱える者はいなかった。
「……棗様を呼んで参ります」
家臣の中でも年若い男が、そう言って部屋を退室していった。
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「……」
ナツメは評定の最も下座に座り、書状をじっくりと熟読する。
そしてそれが終わると書状を畳み、そっと床に置いた。
「棗様。して、この書状、いかがお考えか」
「……申し訳ないが、この婚儀、お断りさせていただきたく」
ナツメのにべもないその返答に、家臣がまた少しざわつく。
「春久は確かに悪童じゃが、棗姫とは幼少のみぎりよりの顔馴染み。少しは考えてもよいのではないか?」
家老の言葉に、ナツメは首を振って答えた。
「まず手前勝手を言わせていただければ、春久とはそのような関係になりたいと思いませぬ。次に島津家については、この婚儀を結んだところで本当に和議を結ぶのかどうか……これまでの島津家の行いを鑑みて、今一度熟考願いたい」
ナツメの言葉に、家臣たちは顔を見合わせた。
「確かに……確かに。あの“鬼の島津”が婚儀程度で、無条件に所領安堵の和議を結ぶものでござろうか」
「大方棗様を人質にして、所領を奪うつもりやもしれぬ」
「むう……さもあらん」
家臣達の意見の趨勢は、完全に定まった。
「決まりだな。元より迎え撃つつもりだったんだ。やることは変わりねぇよ……おめぇら、戦の用意は万端か? 島津家に使いは出さねえ。6日間の猶予がある。万時抜かりなく支度しろよ」
『はっ!』
「……」
ナツメは無言で深々と頭を下げてから、評定の場を後にした。
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「……ということがあった」
「はぁん」
宛がわれた自室で、ナツメから島津家より届いた書状について話を聞いた。
「色気のねぇラブレターだこって」
「ふっ……まったくだな」
俺の軽口に、ナツメは笑ってみせる余裕があった。
「なんだ思ったほど緊張とかしてないんだな?」
「覚悟はしていたこと……それに、頼もしい仲間がいることだしな」
ナツメは少し照れくさそうに笑いながら言った。
「竜輔殿たちには客将として働いてもらう。といっても人を動かせということではない。冒険者としてこれまでやってきたとおり、我々だけで動けるようにしてもらうつもりだ」
「そりゃいいや。誰かの下につくのも、誰かを下につけるのもごめんだね」
「ふふふ。そう言うと思ったからな」
ナツメにはかなり気持ち的に余裕があるようだ。特に心配することもないだろう。
「さて。そうと決まれば今日の稽古に行こうではないか」
「はあ!? もうすぐ戦だってのに稽古は続けんのかよ!?」
「当然だ。戦が近いからこそ、より厳しく稽古を行うのではないか」
「まじかよ……」
「さあ、そこでナズナも待っているぞ」
「え」
言われ廊下を見ると、障子戸の向こうで人影が、そわそわとしている様子が見てとれた。
なんだか待ちきれないようですね。
「だぁー! わぁーったよ。やりゃーいんだろ、やりゃーよー!」
「うむ。わかればよいのだ」
そうして、俺は戦の約1週間前だというのに、稽古へと駆り立てられるのだった。
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島津春久が柊家に書状を送ってから5日が経過した。
未だ来ない返答に、島津四兄妹は半ば開戦を確信していた。
「やっぱ来ないかぁ。ま、予想通りだけど」
3男、秋久は将棋の駒を動かす。
「兄者の心遣いを無にするとは……愚かだな!」
次男、夏久はそれを受けて、自分の駒を動かす。
「……」
最年少にして長女冬久はそれを眺めながら複雑そうに黙り込んでいる。
「やはり、か。残念だ。とても、残念だな」
部屋の外、縁側に座りながら、長男、春久は繰り返し呟く。
「そうは見えないけどね。春ニィ、笑ってんじゃん」
「笑っている?」
春久自分の口元に手をやり、口角が上がっているのを確認した。
「笑っている……そうか。どうやら俺は断られて嬉しかったようだ」
「がっはっは! 兄者は無類の戦好きだなあ!」
「ふっ……そうかもな……っつ!」
春久は唐突に、頭痛を堪えるように額へと手を当てた。
「……!?」
冬久が慌てて春久へと駆け寄る。
「春ニィ!? やっぱ本調子じゃないのか!?」
「兄者!?」
秋久と夏久も将棋の手を止め、立ち上がり体を春久の方へと向ける。
「っ……大丈夫だ。少し額が熱っぽいだけだ」
「本当かよ……無理だけはしないでくれよ」
「大丈夫だと言っている」
「……」
冬久が春久の額を心配そうに撫でる。
春久はそれに関知せず、右手を開閉して体の感触を確かめた。
「兄者……少し、腕が太くなっておらんか?」
「……」
夏久の指摘通り、春久の両腕の筋肉は、最近急激に発達してきている。
いや、両腕だけではない。背や腹、脚など全身の筋肉が肉付きを増し、少々衣服が窮屈になるほどであった。
「バカ夏から見てもやっぱりそうなのか? 春ニィ、成長期か?」
「……馬鹿を言え。俺はもう23だぞ」
「じゃあ一体なんだよ。角熱病は治ったてのに……今度は違う病気か?」
「……ふん」
春久はしつこく額を撫でる冬久の手をそっと払いのける。
そして立ち上がると、腰から刀を抜き放ち、庭に立って振り下ろしと斬り上げの動作をして見せた。
その動きは凄烈にして華麗にも映る。実に見事な刀捌きであった。
「体はむしろよく動く。心配するな」
「ひっえー。なんだよ春ニィ。ますます磨きがかかってるじゃん。こりゃ心配するだけ無駄だな」
「……(ぱちぱち)」
「兄者……」
大げさに驚いて見せる、おどけた秋久や、目を丸くして拍手をする冬久と違い、夏久だけが心配そうな表情を崩さなかった。
「んだよ夏。なんか気になるのかよ」
「いや……」
夏久自身もよくわかっていないかのように、首を傾げる。
「んなことよりホラ、王手だ王手」
「……ぬ!? ま、まて秋よ。それはちょっと……」
「待ったなし」
「ぐぬぬぬ!」
夏久は顔を真っ赤にして考え込み始めた。
「……」
春久は大上段に構えた刀を、まっすぐに振り下ろす。
鋭い風切音が鳴るが、武に疎い冬久が見守るだけで、夏久と秋久は将棋に集中してすでに注意を向けていなかった。
「まだ、成らぬか」
春久は独りごち、刀を鞘へと納めるのだった。