第70話 人斬りのサガ
「戦ぁ?」
朝餉で久々に顔を合わせた源さんの言葉に、俺は耳を疑った。
「本当かよ?」
「ああ。これほど早くぶつかることになるたぁ思わなかったがな」
源さんの神妙な顔つきに、嘘や冗談ではないことを知る。
「いくさ……」
帝ちゃんは戦と聞いて、消沈してしまった。
帝として、何か思うことがあるのだろう。
「こうなる前に伝えたかったが……まだ遅くはねぇ。戦火を避けるなら今のうちだぜ。すぐに東へ発ったほうがいい」
源さんはそんな帝ちゃんの様子を気にしつつ、俺たちに言った。
「ちょちょ、ちょっと待ってください。急にそんなこと言われても……!」
ラティは突然のことに戸惑いを隠せない様子だ。
「そ、そうじゃな。ナツメは知っておったのか?」
ニナに話を振られたナツメは、箸を置いて頷いてみせた。
「薄々とは。父上。相手は島津ですか」
「そうだ」
ああー。島津。
そういえばマリア号の副船長、ベルナさんが、薩摩国が侵攻していると言っていた。
どうも戦争なんて現実感がなかったので、あまり気にしていなかったのだが……。
「春久……」
「ん? はるひさ?」
ナツメが呟いた名前を拾う。誰のことだろうか。
「春久様とは……島津家のご当主のことです」
ナズナが説明してくれた。
「名前で呼び捨てるとは、そのハルヒサとやらと、ナツメは親しいのか?」
「それは……」
ニナの無邪気な質問に、ナズナはナツメに窺うような視線を送った。
「……確か島津家当主、島津春久は、柊に内弟子として入ったことがあるはずだな」
疑問に答えたのは、義月だった。
「そうだ。そして棗と春久は、共に道場で学んだ、いわば兄弟弟子だな」
源さんが苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「春久は……まあ言いたかねぇが、あいつもまた天才だった。だからこそ鬼人族を例外的に内弟子にとったし、期待もしてたんだぜ」
「なんと。そのような相手が何故攻めてくるのじゃ。恩義を感じておらぬのか?」
「いろいろと理由は考えらえるがな。俺ぁアイツを破門にしたんだ」
「は、破門ですか。何か問題でも?」
「猫の嬢ちゃんみたいに大人しく教わってくれりゃあ問題はなかった。が、あいつはとんだ暴れん坊でな」
源さんはがしがしと頭を掻く。
「同門の相手を次々と倒しては、自らの強さを誇示していた。ま、いわゆるひとつの“力に溺れる”ってやつだな」
「……そして春久は、拙者にも勝負を挑んできたのだ」
ナツメは何か遠いものを見つめるような目で、語りだした。
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「そこまで! 勝負あり! 勝者、柊棗!」
2人の試合を審判していた柊流門派の男が、高らかに宣言するのを、俺は茫然として聞いていた。
前方には木刀を下ろした柊棗……俺の試合相手と、その足元には俺が握っていたはずの木刀が転がっている。
「どうした春久? 頭を打った覚えはないのだが」
そして棗は尻もちをつく俺を、心配そうに見下ろしている。
「……」
負けた……のか。
この俺が。
「……柊棗」
「うん?」
溢れるように口から出たのは、棗の名だった。
首を傾げる棗を見上げながら、俺はかつてない胸の高鳴りを覚える。
なんだこれは……この、感情の昂ぶりは。
「とりあえず、立ったらどうだ」
棗が俺に、右手を差し伸べる。
「ッ!!」
「おっと……!」
俺はそれを睨みつけながら振り払い、自らの力で立ち上がる。
「ぐっ……!」
打たれた脇腹が痛んだが、必死に噛み殺した。
そしてそのまま、棗に背を向ける。
「お、おい。春久?」
呼び止められ、首だけで振り向いた俺は、言い放った。
「次は……俺が勝つ」
俺は見物していた他の門下生を掻き分けて、道場の外へと逃げ出した。
……そう。逃げ出したのだ。この昂ぶりの理由がわからず、訳もなく走り出したい気分だった。
「ハッ……ハッ……」
いつになく息を切らして、どこへともなく駆け出しながら、俺は考える。
負けた悔しさ。
確かにそれはある。だが負けたことが初めてというわけではない。俺とて、最初から強かったわけではなく、未だ、柊 源之丞には勝てる気もしない。
「ハァ……ハァ……何だと言うんだ」
しかし考えてみれば、同じ10代の女子に負けたのはこれが初めてだ。
そう思えば、いつも以上に悔しみを覚えてもおかしくはない。
「……そうか……ハァ……それなら」
次は勝てばいい。
人間の女に負けるなど、鬼人族の恥晒し。二度の負けは決して許されない。
そう自分に言い聞かせながら、俺は結局、城を一回りするまで走り続けたのだった。
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「おおおッ!」
「ハァッ!」
木刀と木刀が激しくぶつかり合い、一瞬の鍔迫り合いを作り出す。
「ふっ!」
「ちぃっ!」
しかし棗が上手く力を逸らした。
一度受け流すように刀身を下げ、すぐさま斬り上げを放ってくる。
すんでのところで下がって躱し、逆にこちらが斬り上げを放ってみせる。
棗の鋭い斬り下ろしが、俺の斬り上げとぶつかり合い、木刀同士がまた甲高い衝突音を発した。
そして両者、弾かれたように距離をとる。
観衆から感嘆の吐息が漏れるが、気にする余裕はない。
「また腕を上げたな春久!」
「……! 上から語るなよ棗!」
挑発されたわけでもなかろうが、俺は頭に血が上る。
だが鬼人族の常か、沸騰したのは一瞬のことで、すぐに血は冷める。
戦いの最中、冷静さを欠いたほうが負けるのだから。
力で勝っているのだから、鍔迫り合いに持ち込めば勝てるはずだった。
それをこの女……。
認めるしかあるまい。たいした女だ。
「だが……勝つのは俺だ!」
「!」
俺は上段から、速度を速めて斬りかかる。
棗は急な速度変化に、見事に対応してみせる。
俺の振り下ろしを正面からは受けず、刀身を斜めにすることで力を受け流す。
だが棗ならそう受けると読んでいた俺は、刀身を切り返す間も惜しみ、そのまま木刀の背を振り上げた。
「おおッ!」
「ぬっ!」
棗が辛うじて木刀で受ける。だがさすがに対応しきれなかったのか、刀身が高く宙に泳いだ。
――弾いた!
そう判断した俺は、振り下ろしから即座に振り上げた両腕の筋が悲鳴を上げるのも厭わず、さらに振り下ろす。
はずだった。
「!?」
弾いたと思われた木刀は、高く天を衝き、そこで止まる。
棗は木刀から手を放してなどいなかった。
「柊流――奥義」
――ゾクリ。
その瞬間の棗は、目から光が消えていた。
相手を斬る。その事以外、何も考えていない瞳だ。
「あまつ――」
「そこまでだ!」
ガァン!
一瞬で俺の眼前に迫っていた木刀が、横から伸びた別の木刀にて防がれた。
「ッッ!?」
横から木刀を伸ばしたのは、柊 源之丞。
そしてその木刀を、棗の振り下ろした木刀は半ばまで“斬り裂いて”いた。
速過ぎる――!
棗の木刀が天を突いたと思った次の瞬間には、眼前にて木刀が止められていた。
俺は全身から汗が噴き出すのを感じた。
もし、源之丞が止めなかったら……。
棗はハッとした様子で、木刀から手を放す。
源之丞の木刀にめり込むように斬り込まれた木刀は、手を放してもそのまま中空へと留まった。
「棗……奥義を許した覚えはない」
源之丞に睨みつけられて、棗はすくみ上がった。
「も、申し訳ありません! 無我夢中で、気が付くと……いや、とにかく春久、怪我はないか……?」
「あ、ああ……」
俺は生返事を返すことしかできなかった。
もう一度今の技を放たれたら、俺は躱すことができるか?
否。
おそらく……死、あるのみ。
木刀であの威力だ。真剣を想定すれば……自ずと己と棗の力量の差がわかるというもの。
「クッ」
「は、春久……?」
「ハーッハッハッハッハ!」
俺は込み上げる笑いを抑えることができなかった。
「フッ……俺の負けだ、棗」
「え? ああ、そ、そうか?」
「そうだ。認めてやる。大した女だ、お前は」
「???」
唐突に褒め称えられ、棗は困惑を見せる。
「先ほどの目……今まで見たどんな鬼人族の目より恐ろしい。怖気が走ったぞ……」
「ッ!?」
「ふふふ……。クハーッハッハッハ!」
俺は笑いながら道場を後にした。
俺が棗の技を見よう見まねで放ち、同門の男を木刀にて撲殺したのは数日後のことだった。
俺は源之丞により破門を喰らい、自国薩摩へ帰されることになる。
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「……」
瞼を開けば、見慣れた天井の沁みが目に入る。
とても懐かしい夢を見た。
俺は体を起こし、新調した刀に手を伸ばす。
立ち上がり、刀を抜き放つと、天を衝く大上段の構えを取った。
「噴ッ!」
振り下ろす。
大上段からの斬り下ろしは凄まじく、もし眼前に人があれば、それを真っ二つに斬り分けていた自信はある。
だが……。
「……ックク」
及ばない。
幼き日見た、あの棗の斬り下ろし。
凡百の木刀で放たれたあの斬り下ろしに、未だ俺は到達していなかった。
それなりの名刀であるこの刀を使ってもだ。
「ククク……ハァーッハッハ!!」
素晴らしい。
棗……やはり、人を殺す為だけに生まれたような女だ。
「お前のような女には……鬼人族こそが相応しい」
あの瞳を思い出すだけで、角熱病のような熱が全身を駆け巡る。
額の角がズキリと痛んだ。
少し、病み上がりではしゃぎ過ぎたかもしれない。
だが……。
「もうじきだ。迎えに行くぞ、棗……!」
俺は自然と上がる口角を、押しとどめることはしなかった。
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「そんなことがあったんですか……」
「おうよ。だから猫の嬢ちゃん。力に呑まれちゃいけねぇぞ」
「ち、ちからですか。私はそんな、力なんてありませんし」
ラティはわたわたと両手を振った。
「……自覚がねぇってのも問題だな。お前さんの弓の腕は、はっきり言ってもう免許皆伝だぜ」
「ええっ!? そうなんですか!?」
「……いつまでもそんな嬢ちゃんでいてくれよ」
苦笑する源さんに、慌てるラティ。
そんな光景を前に、過去を語ったナツメはしかし、真剣な表情を崩すことはなかった。
「春久は破門されるまで拙者に執着していた。もし此度の戦に原因があるとすれば、それは――」
「待てよ」
俺はナツメに続きを言わせなかった。
「……竜輔殿?」
「まあ確かにな。原因とか、考え出せば何かあるかもしれねぇよ。でもな。何かを起こすのはいつだって人間の意志なんだ」
良いことでも、悪いことでもだ。
「……」
「春久って奴が戦争をやらかしたってんなら、そりゃ春久の意志だ。ナツメは関係ない」
「竜輔殿……」
「そして春久がナツメを攫いに来るってんなら、そのナツメを守りたいってのが俺の意志だ。文句あるか?」
「!? そ、それは、しかし……」
「そ、そうです!」
ラティも珍しく語気荒く語る。
「私、戦争なんて経験ないし、何ができるのかまだわからないけど……でも、ナツメちゃんは私と、私の故郷を救ってくれた。だったら私だって、できることをしたいです……!」
「ラティ……」
あまり自分の強い意志を示すことのないラティの言葉に、ナツメはめを見開く。
「ま、2人がこー言っておるし、わらわも付き合ってやらんでもないぞ。戦うのは主にエレメンツィアじゃが」
「あんまこき使うなよ……神具らしいじゃん」
「こ、こき使ってなどおらんわ! 失敬な!」
「ニナ殿……」
ニナの言葉には苦笑して、ナツメは俺たちに向き直った。
「皆……戦で、どれだけの犠牲が出て、どれほどの凄惨な事が起こるのか……はっきり言ってまったくわからん。そして拙者には、そういう場でこそ発揮される力が、忌まわしい“人斬り”の力が宿っている。それでも……そんな拙者でも、共に戦ってくれるか?」
『当たり前だ(です)』
「……ありがとう。そう言ってくれると思っていた」
ナツメはそう、微笑んだ。
「いーはなしだねー」
「な、泣いてない、泣いてなどいない」
帝ちゃんは大人しく聞いて、意外と感動屋らしい義月が目を赤くする。
「へっ……いい友人を持ったな、棗」
「……はいッ」
源さんの言葉をきっかけに、ナツメは一筋の涙を零した。