第64話 ヒイラギ
「わっ、わっ。なんですか、あの、丘にある建物は」
「うおおおお! すごいぞ! なんじゃあれは!」
「ふふ。ラティにニナ殿。あれがジパングの城。そして拙者らが目指す柊城だ」
「ようやくか」
ナツメの紹介に、右肩にニナ、左肩に帝ちゃんを乗せた俺は、これまでの(精神的)疲労を吐き出すように嘆息した。
賑わう城下の町を抜けて辿り着いた柊城。
深い堀、そして積み石と白漆喰の城壁に囲まれた敷地は広大で、城門前からでは全容を確認できそうにない。
見上げれば、高台にそびえる天守閣。
門から天守までが随分と遠い。山登りと言ってはおおげさだが、高低差が100メートル以上は軽くありそうだ。
城といえば天守閣、というイメージだが、当然天守は敷地に一つしかないのだから、ほとんどが別の施設で占められるのだろう。
城門に近づくと、門番らしき男がこちらを見咎める。
見るからに怪しい一団に眉を顰めるが、ナツメの顔を見て表情を一変させた。
「棗様っ!?」
「うむ。今帰った。彼らは拙者の友人だ。通らせてもらうぞ」
「はっ! おかえりなさいませ!」
ガタイのいい門番は姿勢を正し、門をくぐる俺たちを見送った。
先頭を歩くナツメに従い、天守へと続く曲がりくねった長い坂道に差し掛かる。
坂を上る途中、大きな木造の平屋を見かけた。
漏れ聞こえる音。何か固いものがぶつかり合い、大勢の人間が声を張って気勢を上げている。
「あの建物は道場か?」
「そうだ」
「懐かしいな。かつては私もあそこで扱かれたものだ」
義月も通ったという道場を横目に通過し、2つの内壁を越える。
道中、何人もの兵士らしき人たちとナツメが挨拶を交わしていた。
平時にしては警備の数が多い気がする。帝ちゃんが来ることをわかっていたからなのか、いつもこうなのかはわからない。
「……竜輔殿。念のために言っておくのだが」
「ん?」
坂道の途中、ナツメが何故かジト目で俺に声をかけた。
「ラティの時のように、父上に『娘さんをください』だとか言うのではないぞ」
「…………やだなあ、言うわけないだろ」
「なんだその間は!? 言うつもりだったのか!?」
「言わないってば」
「本当だろうな……?」
そして頂上。
確か一番内側の部分だから、本丸というはずだ。
そこには例の天守があり、それとは別に平屋建ての立派な御殿があった。
御殿へ向かうナツメに、ニナが声をかける。
「む? あの建物には行かぬのか?」
と言って指をさすのは天守閣。
「ああ。あれは天守という。物見櫓のようなもので、あそこに住んでいるわけではないのだ」
「なに、そうなのか。むむむ、アレに登りたいぞ……」
天守に登れると思っていたらしいニナが残念そうにしているが、それはまた今度にしてもらおう。
本丸の御殿、つまりはナツメの実家に上がらせてもらう。
ニナやラティには、入り口で履物を脱ぐことを教えた。
「帝、義月様、こちらでしばしお待ちを。源之丞を連れて参ります」
畳敷きの広間に俺たちを案内すると、ナツメはひとり、部屋を出ていった。
源之丞というのはおそらく、ナツメの父親の名前だろう。
やたら広い畳の間にはしゃぐニナの相手をしつつ、待つことほんの5分程度。
その男は、ナツメに連れられてやってきた。
襖を開き、現れた巨漢。
「……お待たせした」
重く、体の芯に響くような声。
穏やかでありながら、力強さを感じさせる口調。
ナツメの父親、柊 源之丞その人だった。
俺たちの正面に座った源之丞氏は、座してなお圧迫感を覚えるような大男である。
ジパング人にしては珍しいほどの高身長は、180センチ以上。190センチ近いかもしれない。
だがそれよりも、和装でもわかるほど全身をくまなく鎧った重厚な筋肉と、発せられる重苦しい気配が、彼を数字以上に大きく見せた。
太い眉を支える鋭い眼が、俺たち一人ひとりに視線を送る。
そして、帝ちゃんへと頭を下げた。
「帝、上座よりのご無礼、お許しください」
「くるしゅーない」
「……感謝致す。まずは長旅、お疲れ様でありました。義海様より文を賜っております」
「うむ。では源之丞殿、事情は把握しておられるな?」
義月の言葉に、源之丞氏が頷く。
「委細、承知しております。帝に弓引くなど、天に唾吐くが如き所業。我ら柊、全力でご守護致す所存。帝と義月様におかれましては、心安らかに柊にてご滞在くださいますよう」
そう言って、源之丞氏は再度頭を下げた。
「ああ。感謝する」
「ありがとー」
「勿体なきお言葉」
三度、頭を下げる源之丞氏に、義月が苦笑した。
「源之丞殿。似合わぬ言葉遣いは無用に願います。源之丞殿は我が師も同然。それに帝も堅苦しいのは好みませぬ」
「このまぬぞ」
「左様か。では不作法ながら普段どおりにさせていただく」
ふと、源之丞氏からの重圧が薄れる。
源之丞氏は厳めしい顔に人好きのする笑顔を浮かべた。
「久しぶりだな義月。腕は落ちてねぇか?」
義月は自分がナツメに対してしたような質問を返されて、苦笑を深めた。
「はい。むしろ磨きがかかったと言っておきましょう」
「ほう? 言うじゃねぇか。明日にでも道場で確かめてやる」
「ふっ……ご指南願います」
親しげに、不適な笑顔を交わす2人。
「さておき、棗。お前も長旅ご苦労だったな」
ここからは、俺たちに気を使ってくれたのか、源之丞氏は流暢なミドリガルで話し始めた。
「はっ。不肖棗、戻って参りました」
「目的はしっかり果たせたかよ?」
「……これを」
ナツメは腰の刀を鞘ごと抜き、源之丞氏に手渡した。
そしてまた元の位置に座りなおす。
「ん?」
コテツを受け取った源之丞氏は首を傾げてから、それを抜き放った。
「こいつは……」
半ばから砕け散った刀身。
残った20センチほどの刃も、痛々しくひび割れていた。
「……何を斬った?」
「神を」
「は」
源之丞氏は、一拍だけ驚きを見せる。
「……ハーッハッハ! 神を斬ったか!」
ひとしきり笑った後、どこか嬉しそうにしながら、言った。
「よし。皆伝をやる。後で真打を取りに来い」
「……! 有難く!」
ナツメは何かを噛み締めるように、感謝の言葉を絞り出した。
「おう。ちゃんと言い付け通り、婿も連れ帰ったみたいだしな。安心したぜ。はっはっは!」
「えっ!?」
源之丞氏の言葉に、ナツメは一転、顔を赤くする。
「ち、違っ……!」
……よし。
「初めまして!」
「!?」
俺が口を開いたことで、ナツメが慌ててこちらを見る。
「くっ……! 言わせるか――っぶ!?」
立ち上がり、俺の口をいかなる手段でか封じようとしたナツメがぶっこける。
見れば、隣でラティがナツメの足を掴んでいた。
「ふっふっふ。私の時だけ恥ずかしい思いをするのは不公平です」
「ら、ラティ! 貴様!」
ナイスだラティ。
ナツメが鼻を赤くした顔を上げている間に、にこやかに宣言する。
「ナツメの花婿、法龍院 竜輔です! よろしく!」
「ちがっ――」
「おう! 親父の前で堂々と、元気のいいやつだな! はっはっは!」
「いやあ、それほどでも。はっはっは!」
「ち……ちっがぁぁぁう! はっはっはじゃない!」
ナツメが顔を真っ赤にして地団太を踏む。
「父上! 違います! 竜輔殿は婿とかそういうのではありませぬ!」
「あん? 何だよ棗、照れてんのか? 顔赤いぞ」
「て、照れてなどいません! これは怒っているのです! ……くっ! こうなる気がしたから事前に釘を刺したものを……!」
「……」
いてて。ニナさん? 無言でお尻をつねるのはやめてください。
「で、そっちの珍しい御嬢さん方は?」
「白竜第3王女ニナじゃ。リュースケの本・妻じゃ!」
「ナツメちゃんの友人で、ベラール族のラティと言います」
「みかどちゃんだぞー!」
帝ちゃんには聞いてない。
「そうかい。ニナ殿にラティ殿。よく来てくれた。俺は柊 源之丞。おっさんでも源さんでも何でもいい。好きに呼びな」
ニナの本妻発言を気にした風もなく、悪戯っぽく笑う。
多分この人も、わかっていてナツメをからかっているのだろう。
「わかったぜ源さん」
「本当に源さんと呼ぶな!(スパン!)」
ナツメに叩かれた。何故だ。
「まあなんだ、長旅で疲れてんだろ。部屋を用意させてある。しばらくゆっくりするといい。積もる話は夕餉時にでも聞かせてもらわぁ」
そう言って源さんは立ち上がる。
「父上! お待ち下さい! 竜輔殿のことは――」
部屋を出ていく源さんを追って、ナツメも出ていってしまった。
諦めの悪いやつだ。
ふと見ると、廊下に女の人が正座しており、気づくとこちらにお辞儀した。
「お部屋にご案内します」
どうやら女中さんのようだ。
とりあえずお言葉に甘えて、夕ご飯まではゆっくり休ませてもらおう。
「わらわはリュースケと同じ部屋じゃろうな?」
「むっ。わたしもおなじへやにする!」
「なんじゃと!?」
「み、帝ちゃん? さすがにそれは……」
「義月はうるさいの!」
「う、うるさ……!?」
義月が可哀そうだろうが……。
はあ。ゆっくりできるかなあ。
部屋は別にさせた。
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夕餉に呼ばれ、座敷に集まる。
今集まっているのは俺、ニナ、ラティ、帝ちゃん、義月と、あとは源さんだ。
何故かナツメはまだ来ていない。
そして用意されたお膳は8個。
ナツメが来ても1個余ってしまうが……。
あっ、そうか。ナツメには妹がいると言っていた。
ちなみにナツメの母親は随分前に亡くなっているらしい。
「源さん、ナツメは?」
「もう来るだろうぜ」
源さんはまた、悪戯っぽく笑った。
なんだか子供みたいに笑う人だ。
『……棗と薺です』
障子戸の向こうからナツメの声が聞こえた。
どこか躊躇うような響きがある。
ナズナ、とは妹さんのことだろうか。
「おう、来たな。入れ入れ」
『……失礼します』
『失礼いたします』
音もなく、障子戸が開かれる。
「おっ……」
その向こうから、日本的……ジパング的なお姫様が2人、姿を現す。
あらまあ。
いつも男装に近いナツメが……綺麗なお着物をお召しになっておられる。
ポニーテールにしていた髪も、今は結ばず後ろへ流していた。
「わあ」
「ほう?」
驚いたのは、ラティやニナも同じのようだ。
「……あまり見ないでくれ。こういうのは久しぶりなんだ」
ナツメは照れているのか軽く頬を染めて、もじもじと落ち着きなく目を泳がせる。
「そのキモノというヤツはいいものじゃな。ナツメによく合っておるぞ」
「うぐ……」
「ナツメちゃん、素敵ですよ」
「うう……やめてくれ……もう何も言うな……」
やだ。
「綺麗だぞ、ナツメ。そうしているとお姫様にしか見えないな!」
「やーめーろーとーいーうーにー!」
ナツメは赤くなった顔を両手で隠し、そそくさと自分のお膳へ移動した。
「クス。姉上様ったら。どうせ大陸でも男の恰好をしていたのでしょう?」
そしてもう一人のお姫様。
ナツメをそのまま少し幼くして、やや眦を下げたような少女。
おそらく、10代半ば程度だろうか。ニナと同じか、少し上だろう。
「皆様方、初めてお目に掛かります。柊 源之丞が次女、柊 薺と申します。どうかナズナとお呼び下さい」
にっこりと微笑むその様は、言ってはなんだが姉よりも女性らしさを感じた。
優しげなたれ目もそれを助長している。
ナズナはナツメの隣の座布団へ、着物の座りにくさも感じさせず、優雅に座した。
並んでみると、やはりよく似た姉妹だ。
ナズナのほうが、髪は短い。首丈に切り揃えてある。
……おや? 体の一部は妹の方が成長しているな?
ナツメの名誉のために、どことは言わないけど。
「よし。揃ったな。お忍びの事ゆえ、大したものは用意できなかったが、各々方、遠慮なくやってくれ」
いただきます。
でもお酒はいただきません。断固固辞。
食事が始まってしばらくは、無言で箸が進んだ。
ニナとラティは、慣れない箸に四苦八苦している。
帝ちゃんは取りにくい里芋の煮っ転がしを、義月に食べさせてもらっていた。
義月は久しぶりに帝ちゃんの面倒が見ることができて、とても嬉しそうだ。
……ん?
懐かしき日本料理に舌鼓を打っていると、妹さん――ナズナがちらちらとこちらを見ていることに気が付いた。
俺と話がしたいのかもしれない。
こういう時は、客から話しかけたほうがいいだろう。
「ナズナ、でいいか?」
「あっ、はい! ナズナ、と!」
声を掛けられて嬉しいのか、パッと表情を明るくした。
かわいいじゃないか。
「うん。ナズナはいくつなんだ?」
「16になりました、兄上様!」
「ぶっ!」
ナツメが米を噴出した。
「薺! なんだその兄上様というのは!」
「あら? 父上様から、竜輔様は姉上様のお婿さんだと聞きましたので……でしたら、兄上様ですよね!」
にこっ、と無邪気に笑うナズナ。
あにうえさま……実に素敵な響きである。
「ち~ち~う~え~? あれほど違うと申し上げたのに……!」
「くっくく。いや、面白そうだったからついな」
「おもしろ……って……」
がくりと脱力するナツメ。
「是非、兄と呼んでくれたまえ」
「はいっ!」
「……もう勝手にしてくれ」
ナツメはようやく諦めたようだったので、ナズナと雑談を続ける。
「ナズナは柔術の天才だって聞いたぞ」
「いえ、天才だなどと……」
「謙遜する必要はねぇ。薺の天賦の才は本物よ。ま、ちぃと強すぎるばっかりに、組手の相手には事欠いているがな」
源さんが誇らしげに言う。
自慢の娘、といったところか。
「……!」
ナツメがハッと顔を上げ、俺を見た。
「……ふ」
ちょっと待て。なんだその悪そうな顔と笑いは。
「薺。明日、竜輔殿と組手をして差し上げるがいい。常々鍛えなおしたいと言っていたからな」
言っ……たような言ってないような……。
「えっ。兄上様とですか? ですが……」
「なに、心配することはない。拙者はこの男ほど頑丈なヤツは見たことがない。暴れ馬に轢かれてもケロリとしているような男だ」
そんな経験はない。
「だから“全力で”お相手して差し上げるのだ。“全力で”な」
「でも……本当によろしいのでしょうか?」
ナズナは確かめるように源さんの方を見た。
源さんは値踏みをするように俺のことを上から下までじろじろと観察する。
「ほう、ふむ……なるほどな……まあ、いいだろう。棗が言うんだ、やってみろ」
そうしてまた、悪戯な笑みを浮かべる源さん。
「まあ! 父上様がお認めになるなら大丈夫ですね! 兄上様! 是非とも稽古をつけてくださいまし!」
「え? あ、あー。うーん」
「えっ……」
答えを渋ると、ナズナはとたんに悲しげに俯く。
うるうると潤んだ上目遣いで、「ダメですか?」と言いたげだ。
「ぐっ……わかった……頼むよ」
「わあ! ありがとうございます! わたくし、全力で組手をするのは初めてです!」
初めてと申したか。
きゃいきゃいと可愛らしくはしゃぐナズナに、何故だか嫌な予感しかしない。
ナツメはこちらを見てにやりと笑う。
「……やってくれたなナツメ」
「ふふふ……精々ナズナの天賦を味わうといい。散々拙者をからかった罰だ」
「? なぜ組手が罰になるんじゃ? 竜輔が負けるわけもなかろうに」
やめろニナ。今それは敗北フラグにしか聞こえない。
俺はご機嫌なナズナを見ながら、明日なんか来なければいいのにと思った。