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どらごん・ぐるーむ  作者: 雪見 夜昼
<東方の章>
66/81

第62話 天運

 四分の一に減ってしまったあんみつを食べてからのこと。


 甘味処を出る前に、征夷大将軍である義月に入国許可について話したところ、「許す」と二つ返事で了承をもらえた。

 当然、ニナが白竜城第3王女であることなど、こちらの身分も明かせる限り明かしたうえでの話である。

 ジパングとの国交がほぼ無い以上、それほど政治的な配慮が必要になるわけではないのだが。


「本来なら、こちらで護衛と監視を兼ねて人をつけるべきところだが、ほとんど幕臣に等しい柊の者がいるからな。任せるぞ」


「まかせるぞー」


「はっ。お任せください」


 幕臣……幕府の臣下のことか。ほとんど幕臣に等しい、ということは幕臣ではないのだろうけど。

 で、あるのなら、やはり「幕府」が存在するということ。

 ジパングの統治体制はかつての日本に酷似しているようだ。

 少し違うような気もするのだが。

 ……まあ、たいして興味もないから聞かないけど。


「とはいえ、証文も何もなしではさすがにな。朝廷に戻ってから早馬で届けさせるゆえ、しばらくは港に留まってほしい」


「えー! もうかえるの……」


「帝ちゃん。黙って出てきただけでもまずいのだから、さすがに我慢してほしい」


「はーい……りゅーすけ! 朝堂院にもあそびにきてね!」


「……あ、ああ、機会があれば」


 朝堂院って言っちゃった!

 もう絶対帝だろう……


 しかし遊びに行くようなところでもない気がするのだが。

 まあ本当に機会があれば、観光がてら行ってみるのもいいだろう。


 ……結局、「おともだち」とは何なのか、まだ聞けていないことだし。


 というわけで港を出るわけにもいかず、お別れしたばかりのマリア号へとんぼ返りする俺たちだった。

 ただでさえ締まらない別れだったのに、ぐだぐだにもほどがあると思った。


________________________________________


 京都近郊の宿場街。

 柱の赤い漆塗りも鮮やかな高級宿の2階から、女の声で、女らしからぬ、呵々大笑が飛び出した。


「あっはっは! そうか、帝はおらなんだか! くくっ……そもそもおらぬとはな……っ、ふっはははは! さすがは帝! 天運をお持ちでおられるなあ! はははは!」


「……」


 容赦なく、腹を抱えて、目尻に涙まで浮かべて笑い転げる女。

 自らの主である彼女――織田信亜の様子に、対面で正座をする服部半蔵は、叱られたように身体を縮こめる。


「ちょ、お館様声がでかい!」


 落ち着きなく周囲を見回す腹心、明智光彦。


「はっ! 肝っ玉の小さいやつめ。こそこそしているほうが余計に怪しまれるわ、阿呆」


「ぐっ……! 微妙に正論を……!」


 だからって大声で話してよい内容ではないのだが、光彦は正論に弱かった。


「……くく。さて、いないとなるとどうするか」


 笑いの発作をひきずりながら、信亜が思案顔で誰にともなく問う。


「帰る」


「却下」


 光彦の提案は即座に棄却された。


「いや本当に、あまり城を空けるのもまずいっていうか……」


「じゃ、お前帰れば」


「くっ……! 畜生帰りてぇ! 本気で帰りてぇ! でもこんなバカどもを放っては帰れない、責任感の強い自分が憎い!」


 半泣きの光彦の肩を、半蔵が慰めるようにぽんぽんと叩く。


「……ありがとよ……半分はお前のせいだけど気持ちは嬉しいよ……」


「ま、とりあえず」


 信亜は手慰みにいじっていた扇子を、ばさりと広げた。


「オレたちも船、見に行くか。オレに天運があれば、帝に会うこともあろうよ」


________________________________________


 入港した頃には高かった日も少し傾き、黄昏迫る夕刻間際。

 船の停泊している港へ戻ると、野次馬の群れは大分数を減らしていた。


 俺たちがマリア号に近づくと、甲板にいた乗組員がこちらに気づく。

 そしてすぐ近くにいたらしい、ロサ・マリア・デ・ロス・アンヘレス海賊団の副船長――本人は認めないが――であるベルナさんが甲板の端に顔を出し、少し驚いた様子を見せた。


 ベルナさんの指示で船に乗るための足場が渡され、俺たち4人は半日ぶりのマリア号へ乗船する。


「随分お早いお戻りですが……どうされました?」


「あーっと、実は――」


 甲板で待っていたベルナさんの問いに、入国許可の証文が届くまで、港での滞在を余儀なくされたことを説明した。

 事情を聞いたベルナさんは、納得したと頷く。


「……なるほど。それは考えが至りませんでした。ミッドガルド大陸では、魔国を除けば出入国自体にはほとんど制限がありませんからね。しかし、当然といえば当然ですか」


 迂闊……と、反省した様子を見せるベルナさん。

 いや、別にベルナさんは悪くないのだけれども。


「あの、ところでマリアさんは……」


 いささかビクつきながらラティが尋ねる。

 どうやら完全にマリアに苦手意識を持っているようだ。


「よ・ん・だ?」


「ひぃあああっ!?」


 ラティが飛び上がらんばかりに仰天し、尻尾をピンと跳ね上げた。

 いつの間にか背後から近寄ってきていたマリアが、ラティの尻を撫で上げたのだ。

 ……苦手になるのも無理はない。


「なんじゃおったのか」


「む、気づかぬとは……不覚」


 ニナはいつもの事と思っているのか、もはや淡々とした様子。

 ナツメは背後から接近するマリアに気が付かなかったことを反省している。


「うう……私がいたずらされること自体には、もう誰も何の反応もないんですね……」


 ラティは涙目でマリアに抗議しながら、悲しい呟きを零した。

 もうベルナさんですら、突っ込みを入れていないしな……。


 それをいいことに、マリアが再度ラティににじりよる。

 仕方ないから俺が間に入って庇ってあげよう。


「おいマリア、ラティの尻を触るのはやめろ」


「む」


「リュースケさん……!」


 しばしマリアと視線をぶつけ合う。


「見逃してくれたらワタシのお尻を触ってもいいわよ?」


「ばかおまえ! そんなことでおまえ! 見逃すわけが! でもこれはラティ自身の問題だからな。自分でなんとかするべきだろう」


「リュースケさん……!?」


「リュースケ!」


「うわ! ニナ、違う! 別に尻に興味があったわけじゃ――」


「竜輔殿も学ばぬな……」


 こんなアホなやりとりを、証文が届くまで、おそらくあと数日はまた続けることになりそうだ。


________________________________________


 一方の帝と征夷大将軍、足利義月は、事前にとってあった宿の一室にいた。

 すでに時刻は日も暮れ馴染んだ夕餉時。実際に帝の本拠、朝堂院は大極殿へと発つのは明日になる。


「今日はよくよく珍しいものに出会う日であったな」


「うん」


 義月の独白に近い呟きに、帝が同意する。

 大陸船、異人、帝の「おともだち」である法龍院竜輔。


 そして――。


「ご同類に挨拶をしなくてよかったのか? “クサナギ”」


 2人だけの室内で、義月はいないはずの第三者に語りかける。


『無用』


 しかして回答は、義月の持つ大刀――銘を“クサナギ”から返された。


『“アレ”はこのクサナギよりもはるかに後継機』


 どこから音が出ているのかも不明だが、その言葉は確かに、話すどころか意思を持つはずもない、刀という人殺の道具から発せられている。

 その声質は成人男性のもののようだが、どこか無機質で、感情というものが感じられない。


「こーけーき?」


「ふむ。よくわからないが……面識はないということか?」


『然り。このクサナギは最初期の製造だが、アレはおそらく最後継機。最も新しき(ともがら)


「そーなんだ。じゃありゅーすけといっしょだね」


『言いえて妙也』


「しかし鎌というのはどうなのだろうな。武器としては――」


 そのまま2人と1振りの大太刀は、滅多にない出会いについて夜が更けるまで語り合うのだった。


________________________________________


 幾日かが経過し、また新しい太陽が天頂へ至った。

 港町――兵庫野津(ひょうごのつ)では、大陸船渡来の興奮未だ冷めやらず、多少の数を減らしつつ、野次馬の群れは今日もマリア号を遠巻きに囲んでいた。


「ほう……!」


 町人から武家の家人まで、雑多な身分の者が入り乱れる中、織田家当主、織田信亜は感嘆の吐息を漏らした。


 大陸船の、ジパングのそれとは違う形状もさることながら、何よりもその大きさ。

 150尺(約45メートル)を超えようかというその長大な勇姿にこそ畏怖を覚える。


「こりゃすげえ……」


 お供を務める重臣、明智光彦も、嫌々来たにも関わらず驚嘆は隠せなかった。


 今現在、荷下ろしなどは行われていないらしく、船から港への橋も渡されていないし、甲板にも時折ひとつふたつ人影が見える程度だ。


「……(くいくい)」


「あん?」


 空いた口が塞がらない、といった様相を見せる光彦の袖を、無言で引っ張る者がある。

 少女だった。

 小袖を着崩した町人風の少女。

 少女は十分に整った愛らしい容姿であったが、女子にしては少し高めの背と、妙に鋭い目つきは人によって好みが分かれるところだろうか。


 少女は光彦が振り向いたことを確認すると、船の側面に設置された大砲に人差し指を向け、首を傾げて見せた。


「あの筒は何かって? さてなあ」


 顎に手をあて、考え込む様子を見せる光彦。


「……もしかすると雑賀衆が作ってやがる大筒ってやつかもしれねぇ。なあ、お館様……っていねぇ!?」


 ふと見ると、光彦のすぐ横にいたはずの信亜が忽然と姿を消していた。


「お、おい半蔵! お館様はどこにいきやがった!?」


「……あそこ」


 慌てて周囲を見回し問う光彦に、町人風の少女――素顔を晒した服部半蔵は、今度は大砲ではなく船の甲板を指差した。


 ぐるんと首を回して光彦が見ると、大陸船の舳先(へさき)に立ち「おーい光彦ー、ハンゾー」などと手を振っている主君がいた。


「……えっ」


 信じられない光景に、光彦は茫然とするしかなかった。


________________________________________


「あの、困ります……」


「けちけちするな」


「ん?」


 船内で暇を持て余す中、ニナが昼寝をはじめてしまったので甲板に出てきた俺。

 何やら騒がしい舳先の方に目を向けると、船員の女の子たちが何人かで集まっており、ひとりのジパング人らしき女を困り顔で囲んでいた。


「どうした」


「あ、リュースケさん」


 声をかけると、全員の視線がこちらへ向く。


「実はこの方が、いつの間にか乗船していまして……」


「いつの間にか?」


 俺は視線を船の外へ向ける。

 船と港を繋ぐ橋は、今は架けられていない。

 港と船の間には結構な高低差があった。間に海もある。


「……どうやって?」


「さ、さあ?」


 俺は改めて女を見る。

 黒髪黒目。間違いなくジパング人の、若い女。歳は俺とそう変わらないだろう。

 ぱっと見は野次馬の町人衆と変わらない、ラフな和服――確か小袖というはず――を着ている。強いて特徴を言えば、手に持った扇子は高そうだ。

 美人ではあるが、中性的というか、凛々しい感じの相貌だ。髪が短ければ男にも見えなくはないだろう。

 美人との出会いは喜ばしい……のだが。


「……」


「……」


 女は何か、面白い物でも見つけたように口角を上げている。

 対して、俺はおそらく渋面だろう。


 魔王の娘……ガルデニシアとはまた少し違うか。

 しかし近しい空気を感じる。


 ――狂人の気配だ。


 しばし無言で睨み合う。

 ふってわいた真剣な空気に、船員たちは戸惑っているようだ。

 船員らにここは俺に任せてマリアを呼んでくるように頼む。


「ふはっ! 面白そうな男だ」


 慌てて駆けていく彼女らの背を見送る俺に、女が言う。


「そういうアンタは面倒臭そうな女だな」


 思わず返すと、女は面食らった様子で、しかしやはり笑みを零す。


「……面倒臭い? ふはっ! そう言うなよ! 海を隔てた出会いじゃあないか!」


「俺はジパング人だけど?」


「嘘だな。こうして大陸語も堪能ではないか」


「お互い様だろ? アンタも話している」


「オレは武家の女だ。大陸語も(たしな)みよ」


「じゃ、俺もそう」


「ふはっ! そうかよ! 大法螺吹きめ!」


 女は目を細めて笑い、広げた扇子を口元に当てた。


「名を聞こうか。オレは織田信亜だ」


 織田。

 織田か……。


「……尾張(おわり)の?」


「ほう? オレの名も少しは世に知れたか」


 ……マジかよ。

 ある意味、征夷大将軍や帝よりも厄介な気がするぞ……。


「で、名は?」


「……法龍院、竜輔」


「ん? まことにジパングの者なのか? しかし法龍院……聞かぬ名だ」


「田舎モンでね」


「そうか? まあいい。それより竜輔」


 パチッっと勢いよく扇子を閉じると、その先を俺に向けて織田信亜は言った。


「気に入ったぞ。織田に仕えろ」


「……」


 これはまた、直球できたな。


「無理だ」


「ん? なぜだ?」


 きょとんと。心底不思議そうな顔で、信亜が問う。

 そんな仕えるのが当然みたいに言われても……


 うーむ。嫌だから、というのは簡単だが、角が立たないだろうか。

 相手が織田家のどういう立場なのか不明だが、誘いからして最悪は殿様だろう。

 征夷大将軍からして女なのだから、違うとは言い切れない。


「えーと、あれだ。もうすでに別の家に仕えているから。そうそれだ」


「ほう。どこだ?」


「……ひいら、ぎ……?」


「なにゆえ自信なさげなのだ」


 嘘だから。


「しかしふむ。長門国の(ひいらぎ)。『弓の柊』か」


 信亜が笑みを引っ込め、僅かの苦みを端正な顔に浮かべた。


「ふん。御三家が相手では分が悪い、か。今はまだな」


 御三家……? そしてまた「弓の柊」か。

 ナツメを見ていると明らかに弓より剣なのだが。

 それもナツメの実家に行けばわかることか。


 俺が少し考え事をしてる間に、信亜も考えを纏めたようだ。


「仕方ない、今は諦めてやろう。なに、どのみちいずれはオレの下につくことになるのだからな。ふはっ!」


 えー。それは全国統一宣言ですか? そうですか……。


「きたわよ。リュースケ君」


「マリアか」


 背後から掛かった声に振り向くと、優雅に歩くマリアが目に入る。

 そのまま俺の隣まで来たマリアが、信亜へと視線を向けた。


「お客様、ようこそマリア号へ。ワタシが船長のロサ・マリア・デ・ロス・アンヘレスよ」


 にこやかに挨拶をするマリア。


「ろさまり……? 異人の名は覚え辛いな。オレは信亜。織田信亜だ」


「ではマリア、と。ノア」


「マリアだな。ふふふ。また面白い人材が出てきたな。邪魔させてもらっているぞ」


「ええ、構いませんわ。よろしければ船内を案内します?」


「ほう。いいのか?」


「勿論。このマリア号はあまりに魅力的すぎるもの。思わず乗船してしまうのも無理はないわ」


 ふっ、とキザな笑いを浮かべるマリア。

 いいのかそれで……。


「あー、話がまとまりそうなところ悪いんだが」


 俺は船外、野次馬の先頭を指差した。

 そこにはひとりの男が「おりてこい」だとか「ばか」だとか「本当に勘弁しやがれください。おりてきやがれお願いします」だとか叫んでいる。


「あれはアンタの連れじゃないのか?」


「……ああ、光彦か。アレのことは気にするな。そのうち大人しくなる」


「そう? じゃあこちらへどうぞ」


「うむ。苦しゅうないぞ」


 マリアと信亜が連れ立って船内へ向かっていく。

 連れの男――光彦はやがて叫び疲れたのか、がっくりと肩を落としていた。


 可哀そうに……。


「……やれやれ」


 なんだか心配だったので、俺もマリアらの後を追うことにした。


________________________________________


「おお! これが竜人か! 美しいものだ!」


「すぴー……」


 昼寝中のニナは起きなかった。


________________________________________


「ほう。尾張国の織田信亜殿ですか」


「柊の姫か。ふはっ! こちらもいずれまた、だな」


「……?」


 ナツメに対しては、信亜の意味深な発言があった。


________________________________________


「ひゃっ、ちょ、尻尾はやめっ……」


「ほうほう。これはいいものだ」


「耳もだめですーー!!」


 ラティはやっぱりいたずらされた。


________________________________________


 船内を一通り見学した信亜は、再び甲板に出て俺と相対している。

 マリアも暇ではないらしく、途中で案内を俺に任せてどこかへ行ってしまった。


「大陸の技術はさすがだな……! この織田信亜、感服したわ」


「いや、ほとんど船の技術的なところは見てなかった気がするけど……」


 満足したなら別にいいか。


「ふふ……ところで」


 信亜は俺を見て、


「帝を知らないか?」


 唐突に言った。


「……帝? え? 帝ってあの帝? そりゃー知ってるよ。知らないヤツはいないだろ?」


「……」


 信亜は常の笑みを消し、冷たい瞳で俺を見る。

 俺は何のことやらと、訝しげな顔を意識して作った。


「……そうか。いや、妙なことを聞いたな」


「うん? いや、いいけど」


 信亜がまた笑みを浮かべ、俺もまたにこりと笑った。


 うーん……帝のこと知ってるってバレたかな……。

 バレたからどうってもんでもないけど……何か嫌な感じがした。

 というか、信亜はなんで帝がここに来てたことを知ってるんだ?


「どうやらあてが外れたようだ……まだその時ではないのかもな」


「……何が?」


「天運の話よ。帝に会えず、竜輔に会ったか。ふはっ。オレの天運を曲げたのは……お前か?」


 そう言った信亜は、これまでで一番凄絶な笑みを浮かべていた。


「いや、ちょっと、そういうのよくわかんないです」


 だからギラついた目で見るのはやめてください。


「ふ……ではな。また会おう」


 視線を俺から外した信亜が、そのまま甲板の端へと歩いていく。

 船の端、てすりの上に飛び乗ると、そのまま飛び下りた。


「……」


 本来なら慌てて駆けよるところかもしれないが、俺は落ち着いた足取りで(へり)へ向かい、下を覗き込んだ。

 この高さから落ちたら結構大変なことだが、あの女がそれでどうこうなるとは思えない。


 案の定、信亜はすでに野次馬近くまで進んでおり、連れの男にぎゃーぎゃーと文句を言われ、それを笑い飛ばしていた。


「……また会おう、か」


 なんとなく、もう会いたくないな、と思った。


 こうして織田信亜との初めての邂逅は、平和裏に幕を閉じたのであった。


________________________________________


 兵庫野津で信亜がマリア号に夢中になっている頃。

 信亜の本来の目的であった帝と足利義月は、朝堂院に帰り着いていた。


「「ただいまー」」


 呑気な声で門衛に声を掛ける2人。

 門衛は目をひん剥いて驚いた。


「み、帝っ! 義月様! ご無事でしたか!」


「ごぶじだよー」


「……何かあったか?」


 帝は相変わらずの調子であったが、義月は門衛のただならぬ様子に意識を切り替えていた。


「それは……ッ! ともかく中へ! 義海様よりお話をお聞きください!」


 促された義月は、帝を肩に乗せたまま早足で大極殿向かう。


 途中、義月は周囲の様子を見て、呟く。


「……警備が薄い」


「ひとすくないね」


 大極殿に辿り着いた義月はさらに足を速める。


 そしてそのまま、彼女の弟、左大臣である足利義海に話を聞くべく、彼の私室へ訪れた。


「義海」


「ッ!? 義月か!」


 部屋の外から義月が声を掛けると、障子戸が猛烈な勢いで開かれた。


「帝!」


 義海は義月と瓜二つの美しい顔を、憤怒や焦燥、悲哀や歓喜、複雑に歪めて、半ば睨むように帝の存在を確認する。


「わっ。びっくりした」


「帝……」


 そして常と変らぬ帝を見ると、その表情は安堵というひとつの感情で埋め尽くされた。


「よかった……」


 義海は脱力したように床へ膝をつく。


「義海……何があった?」


「……帝とお前がいない間に、帝を(しい)するための刺客が来た」


「「!?」」


 驚愕という言葉では足りないほど、帝と義月は驚愕した。


「なん、だ……それは……帝を、だと? 馬鹿な……」


「本当だ。幸いと言っていいのか……帝がいなかったおかげで事なきを得たが、恐ろしい手練れだった。情けない話だが、たった一人で帝の寝所まで侵入を許してしまった上に、取り逃がしてしまった」


「一人でだと? そんなことが――」


「義海! だれか……だれかしんじゃったひとは?」


 帝はなにをおいても、といった様子で慌てて声を上げた。


「いや、さすがに精兵、というのは厚顔かもしれませんが、死者は出ませんでした。刺客が突破の速さに全力を注いでいたため、重症者は多く出ましたが止めを刺された者はいません」


「じゅうしょうって……どのくらい?」


「いや、それは……」


 義海が言いよどむ。


「いって」


 帝が強い眼光で義海を見る。


「……一番酷い者は喉を切り裂かれ、なんとか一命は取り留めましたが、二度と声は出せないだろうと。ほかにも手の腱を切られて二度と剣を持てなくなった者や、片目を失った者などが多くいます」


「そう」


 帝は悲しげに目を伏せた。


「この義月が鍛え上げた兵をそこまで痛めつけるとは。私がいれば……いや、帝ちゃんの安全を考えれば、やはり不幸中の幸いだったと考えるべきか」


 義月が悔しげに拳を握りしめる。


「下手人の素性は?」


「わからん。探らせているが……まず動機を持つ者に見当がつかない」


「……確かに」


 帝を殺すことによって利益を得る者などいない。

 また、恨みを持つ者もまずいないだろう。

 何らかの逆恨みということなら考えられなくもないが、殺すというのは飛躍が過ぎる。


「どこかの放った刺客だと考えているが、もしかしたら辻斬りまがいの凶行かもしれない。どちらにしろ、下手人が特定できるまで義月は絶対に帝から離れるな」


「うむ」


 帝の手前言わなかったが、義海は内部の者が関わっている可能性も考えていた。

 最も帝と関わりが深いのは朝廷であり、むしろ言ってしまえば他国などはほとんど帝個人とは関係がないのだ。

 であれば動機はともかく、可能性だけでいえば内部犯が一番ありうる。

 とはいえ実際には外部の犯行なのだが、それは義海の知るところではない。


「歯痒いが、今はとにかく帝ちゃんの安全を確保したい。私と帝ちゃんはここを離れるぞ」


 当然、義月も内部の手引きの可能性を考慮して言っている。

 朝廷の仲間のことは信頼しているが、帝の安全を第一に考えれば心情を置いても疑ってかからねばならない。


「ああ。義月がいれば大事ないとは思うが、多勢に攻め込まれれば万が一ということもある。しばらくは身を隠したほうがいいだろう」


 嘘ではないが、帝に「裏切り者がいるかもしれない」という心労を与えないための方便でもあった。


「問題はどこに身を寄せるかだが」


 義海の言葉に、話し合いが進むも黙っていた帝が、声を上げる。


「ひいらぎにいく」


「! なるほど」


 帝の言葉と、それに納得を見せる義月。


「柊? 御三家の柊ですか? 悪くはありませんが……何故です?」


 どこか信頼のできる幕臣に、と考えていた義海は、渋い顔で疑問を呈した。


「おともだちがいるから」


「は? おともだち?」


「うむ。実はな――」


 義月が兵庫野津であったこと、出会ったモノについて説明した。


「なっ!? まさかおともだちって!?」


「うん」


「帝ちゃんが言うには、どうやらそのようだ」


「そんなまさか、なぜ大陸に!?」


「それはわからん。だが今回の刺客騒動の際、我々と共にいた(なつめ)や竜輔たちは確実に下手人ではない。大陸の者ならなおさら動機に薄いしな。何か後ろめたいことがある様子でもなかった。そして『弓の柊』であれば、帝ちゃんを守護するに、武力において申し分ない」


「おともだちだから、だいじょーぶ」


「……いいでしょう。柊には早馬で知らせます。帝と義月は」


「うむ。再び大陸船に赴き、棗らと共に長門国を目指す」


 帝と義月は、その日のうちに兵庫野津へととって返すことになった。


 ジパングの大きな時代の流れが、竜輔たちを巻き込もうとしていた。


________________________________________


「何を考えてんだお館様は!? 異人が友好的じゃなかったらどうなっていたことか!!」


「わかったわかった。いつまでもしつこいやつだな」


 明智光彦の怒鳴り声に、織田信亜が辟易として答える。

 服部半蔵は、我関せずと明後日の方向を向いていた。


 織田家一行は大陸船を囲む野次馬を離れ、兵庫野津での仮宿へ歩みを進めていた。

 光彦の怒鳴り声に振り向く者もいたが、身分を偽るために町人の服装に扮した一行に、長く関心を向ける者はいなかった。


「ぜぇぜぇ……」


「そんな息切れするほど怒鳴ることか?」


「怒鳴らいでかっ!!」


 光彦の怒りをのらりくらりと躱しながら、信亜はふと思いついたことを口にする。


「うん。やはり上洛はやめよう」


「だから……えっ」


「上洛はやめる」


 上洛――すなわち京都侵攻をやめると言うのだ。


「えっ、やめっ……って、ええぇ!?」


 信亜の「思いつき」はいつものことだが一度「やる」と言ったことを撤回することは少ない。


「そりゃ、え、やめるっていうなら大歓迎だけどよ。どういうことだ?」


「楽しみは後にとっておこうと思ってな。西より先に東を落とすぞ。まずは騎馬の武田に、御三家の上杉か、ふはっ! こちらも悪くない」


「帝を云々というよりはいいけど、そっちも胃が痛ぇなあ……」


「ん?」


 くいくい、と。

 信亜の袖を半蔵が引っ張る。

 見れば、ほとんど表情に出てはいないが半蔵は不満げにしていた。


「ん、んー。そうか。半蔵は悔しいか。ふむ」


 畳んだ扇子を顎先にあて、信亜が思案する。


「よし。半蔵。お前は引き続き帝を探せ。見つけたら殺していい」


「ええぇえぇぇえぇえぇぇえぇ!?」


 うるさい光彦を無視して、信亜は続けて言う。


「ただし無理だと思ったら迷わず引け。天運は今、こちらにはない。もしかすれば、思わぬ(やから)が帝を守っているかもしれんからな……ふはっ!」


 楽しげに笑う主。

 気合いを入れる忍。

 しかして、明智光彦は叫んだ。


「だから殺すなっつってんだろおおおおお!?」


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