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どらごん・ぐるーむ  作者: 雪見 夜昼
<樹林の章>
48/81

第45話 天と空と一件落着

 時間が凍りついた灰色の世界で、私は異世界人と向かい合う。

 視界の隅に片翼の男が見えるが、この際、彼のことはついでと言ってもいいかもしれない。


「私は十天神(じゅってんしん)一柱(ひとはしら)、運命神フォルトゥナと申します。以後、お見知り置きを」


 穏やかな笑みを演出しながら、対象を観察する。


 ……なるほど。


 我が巫女キルシマイアが、未来を読み取れないのも頷ける。

 私の目をもってしても、彼の未来は茫漠として読み切れない。


「貴方のお名前をお聞かせ願えますか?」


 驚いてはいたが、すぐに平静を取り戻した彼は、私の質問に答えるべく口を開いた。


________________________________________


 ほんの少しだけ時を遡り、舞台は満天の星空にたゆたう荘厳なる大地。

 ここは神々の住まう不可侵の聖域。


 チコメコ・アトル大森林で竜輔らが陽射しの下で争っているこの瞬間に、天空大陸アスガルドには、夜の帳が下りていた。

 つまりは、それだけの時差がある距離に存在しているということ。


 もっとも、アスガルドを地上から眺める者があったとすれば、彼は昼間であっても夜を錯覚しただろう。

 一体いかなる神秘が、それを重力の(くさび)から解き放ちうるのか。

 遥か上空を覆い尽くす、影、また影。

 予備知識なしにそれを見上げても、まさか大陸であるとは思うまい。


 およそ800万ベクト(約8万平方キロメートル)。

 ジパング全体の約20%の領土を占める、蝦夷(エゾ)(こく)と呼ばれる北方の広大な浮島とほぼ同程度の面積。

 赤茶けた剥き出しの、想像を絶する巨大な土の塊は、昼には降り注ぐ陽光のことごとくを遮ることになる。

 しかし残念ながらというべきか、当然ながらというべきか。

 大陸の眼下に臨む海面は、ただ静かに揺らめくばかりで、驚嘆の叫び声を上げることはなかった。


 天空大陸を上から覗き込む事ができるのは、鳥か、あるいは他の翼を持った存在、すなわちそこに住む神々だけである。

 その神々の中でも頂点に位置する十天神の、第3位階。

 運命神フォルトゥナは、アスガルトのさらに上空で、黒き翼をはためかせていた。

 月光のもとで雄大に拡がる、果ての見えない草原地帯と、緑の中に時折混ざるベージュの建築物。

 異世界――地球においては古代ローマの神殿を彷彿とさせるそれらを、フォルトゥナは感情の篭らない銀色の瞳で眺め渡している。


 否。


 彼女が見ているものは目前のそれではなく――。


「……異世界人ですか。しかし……」


 ――似ている。容姿も、そしてその強さも。


 フォルトゥナは空間を超越して、視界のみをミッドガルド大陸のテオトル山へと繋いでいた。

 彼女特有の視界の中で、かつて下界に堕とされた片翼の男が、異世界人を含め、人の手によりその命を散らそうとしていた。

 片翼の男の自業自得であるとはいえど、この状況は神々にとって芳しくなかった。


「いけませんね」


 呟き、何も無い中空に手を伸ばした。

 掴み取られたのは、唐突にそこに現れた、大振りな木製の杖。

 自然の樹木らしいねじれた質感のあるそれを、眼前に掲げる。


 彼女が精神を集中すれば、膨大な魔力が渦を巻いた。

 複雑な魔法陣が彼女の足元に展開される。

 数秒の(のち)、そこには高高度に吹きすさぶ寒風だけが残されていた。


________________________________________


 時間が凍りついた灰色の世界で、俺は銀の女神と向かい合う。


 ――十天神の一柱、運命神フォルトゥナ。


 などと名乗られても、十天神が何を意味するのかすら俺は知らない。

 知らないが、分かることもあった。


 片翼の男とは、格が、(くらい)が、レベルが違う。

 うまく言葉にできないが……存在の強度が違う、とでも言おうか。

 とにかく、生物としての完成度がまるで違う。


「貴方のお名前をお聞かせ願えますか?」


 美人に穏やかに微笑まれれば、応えずにはいられまい。

 俺はキリッっと表情を引き締めた。


「リュースケ・ホウリューインだ。これは、アンタが?」


 周囲の状況を指し、問う。


「はい。彼らとの相対的時間を切り離しています。私の魔法属性は、我が巫女キルシマイアと同じ『時空』ですから」


 げ。


 我が巫女キルシマイア、ってことはあれか。

 このフォルトゥナさんは、神聖ヴァルハラ皇国で祀られる神そのもの。


 ……やっべ。超大物なんじゃなかろうか。


 キルシマイアと同じ属性、なんて言っても、その力の差は歴然。

 時間を止めるとか、何ソレ。


「……いや、待てよ? 世界の時間を止めてるんじゃなくて、どちらかと言えば俺たち3人のほうを世界から切り離してんのか?」


「! その通りです。……なるほど」


 なるほど?


「チッ! 十天神の第3位階、天空大陸のナンバースリーともあろうお方が、一体全体何の用だ」


 片翼の男が苦々しげに吐き捨てる。


 へぇ。ナンバースリー、か。つまりは上に立つ者の中でも、果てに近い存在。

 ……俺が目指すべき至高の頂。


 ――ゾクリ。


 武者震いと、吊り上がりそうになる頬を抑え込む。

 いかんね。ナツメじゃないんだから。


「勿論、貴方を引き取りに来たのです。シヴァ」


「ああ?」


 本邦初公開! 片翼の男の名前はシヴァでした!


「ってヲイヲイ。そりゃーないんじゃねーの? フォルトゥナさんよー」


 散々ベラールを……ラティを苦しめたコイツを、ようやく成敗しようって時にやってきて、横からかっさらおうってか。


 フォルトゥナは端整な顔を悲しげに歪めた。


「お気持ちはわかります。ですがどうか、彼の処罰はこちらに一任してもらえないでしょうか。今更なのは重々承知していますが、彼をここまで堕落させた責任は、我々がとりたいのです」


 そう言って、俺の手を握りながら、じっと目を合わせてくる。

 Oh, she is so cute.


 仕方ない。美人の頼みは断らない主義だ。


 俺がフ、と笑みを零すと、フォルトゥナの微笑みの無表情(・・・・・・・)が何がしかの感情――多分、困惑――に、少し崩れた気がした。


「当然、見返りは貴女自身――」


「ちなみに今は時間を止めていますが、戻れば彼女らの意識にこの会話は存在したことになります」


「タダでいいです」


 ニナの嫉妬は怖かった。


 しかしながら、どのみち、この要求には応えざるをえない。

 このタイミングで出てきたってことは、だ。

 片翼の男――シヴァを俺たちが殺すのは、いろいろとまずいってことだろう。多分。


「ま、いいさ。俺は聖人君子でもなければ、正義の味方でもない。そっちで処理してくれるってんなら俺は構わないぜ」


 ナラシンハたちには悪いけど、な。


「……なるほど。ありがとうございます」


 ……だから、なるほどって何だよ?


「オイ! 勝手に話を進めるんじゃねぇよババァ――がっ!?」


 次の瞬間、どこから持ち出したのか、フォルトゥナの手にあるねじれた木の杖が、シヴァの頭部に叩き込まれていた。


 バタリ。


 至極あっさりと、シヴァは意識を失った。


 つえぇ! 普通に超強ぇ!


「では、失礼します。……おそらく、また会うこともあるでしょう」


 にっこり笑って、フォルトゥナは杖を掲げる。

 足元に、光る魔法陣が描かれた。


 これはあれか。キルシマイアと同じ――空間転移(テレポート)


「リュースケ・ホウリューイン……覚えておきます」


 そうしてミッドガルドで3番目に偉い女神がシヴァを連れてこの場を去ると、世界は色を取り戻した。


________________________________________


 舞台は再び、天空大陸アスガルド。

 闇夜に包まれた草原の片隅で、シヴァを投げ捨てながら私は思考する。


 おそらく彼、リュースケは、私がシヴァを回収に行った本来の目的に勘付いていた。


 神を、人の手で殺させてはならない。

 とりわけ今回のような、人にとって美談にしかならない形では。

 それは信仰の崩れを意味するから。


 神は絶対の存在でなければならない。

 それが十天神の第1位階、絶対神ベルヴェルクの望みであり、大半の神の考えでもある。


「……」


 だったらそもそもシヴァを地上になど棄てなければよかっただけの話。

 しかしながら、神々の業は深い。

 彼らが何より嫌うものは、退屈。

 つまり、シヴァが堕とされたのは、単なる暇つぶしであったのだ。


「本当に、業が深い」


「まったくだな」


「ファレトリウス」


 いつの間にやら隣に現れた存在に、しかし気づいていた私は驚かない。

 十天神の第6位階、雷神ファレトリウス。

 長身の青年は、周囲にバチバチと雷撃を漏らしている。彼が怒っている時の癖だ。


「このようなゴミクズ、1秒たりとも聖上のいるアスガルドに存在させたくはない。フォルトゥナの手を煩わせるまでもなく、俺が消し炭にしてやるが?」


 私の「業が深い」という発言を、シヴァに対するものだと解釈したらしい。

 それも間違いではない。


「不要です」


「そうか。ならば俺は聖上のところへ戻る。今回の件、ご苦労とのことだ」


「はい」


 ピシャーン!


 雷鳴を轟かせ、ファレトリウスは彼の言う聖上――ベルヴェルクの元へ帰還する。


(やはり、気づかれていましたか)


 別に今回の動きを隠すつもりもなかったが、わざわざ報告するつもりもなかった。


(まだまだ、手のひらの上)


 自嘲の笑みと共に、シヴァへと視線を戻す。


「ぐ……ここは……」


 雷鳴で目を覚ましたシヴァは、周囲を見回し、茫然とする。


「アスガルド……戻ってきたのか」


「ええ。そしてまた、すぐにお別れです」


 背後から、シヴァの頭部を鷲掴みにする。


「!? フォルトゥナ……てめぇ……!」


「ここで朽ちることを、幸運に思いなさい」


「朽ちる……だぁ? 時間操作か? けっ。同じ神には干渉できな――」


 何かに気づいたように、シヴァが青褪める。


「まだ神のつもりだったとは、お笑いですね」


「……まさか」


「人を喰らって神力に換える。それはまあ、いいでしょう。しかし、その都度20年もの冬眠(・・)が必要だったことに、何の疑問も抱かなかったのですか? いえ、気づかなかったはずもない。気づかないフリを、していただけです」


「煩い! 黙れッ!」


「貴方のしてきた事は、単なる延命。神の力など、とうに失われているのです」


「だ、黙れェエエエエエェェェぇぇぇぇあああアァァァァぁぁぁぁぁ……!」


 騒々しい叫び声も、尻すぼみに小さくなっていった。


 シヴァの銀髪が白に染まり、肌に深い皺が刻まれる。

 黒い羽根があまさず抜け落ちて、翼の骨格だけが残された。

 やがて身体から水分という水分が失われ、シヴァはサラサラと砂のように崩れ落ちる。

 かつてシヴァだったモノは、草原を吹き抜ける風に運ばれて大気に溶けていった。

 残ったのは、服とも言えぬみすぼらしいボロキレだけ。


 その場に背を向け、歩き出す。


「リュースケ・ホウリューイン……」


 シヴァのことはすでに脳裏の片隅にも留め置かず、関心は例の異世界人に移っていた。


(かの英雄、ジークフリートによく似ています。いや、似すぎている。瓜二つと言ってもいい。偶然? あり得ない。ならば彼は……)


 だが、その性質はどうか。

 シヴァを掠め取ることは、神の利己的な保身であると気がついていながら、仲間の感情、ベラール族の怒りよりも、その後の神との関係を慮った?


 しかし単純に利をとったという訳でもなさそうだ。

 本当に「どちらでもよかった」のだろう。


(ジークフリートは融通のきかない男でしたが)


 清濁合わせ呑む器。

 底の見えない瞳。

 運命をかき乱す存在力。


(面白い)


 珍しいだけの次元放浪者で終わるのか。

 ジークフリートと同じく、「つくられた英雄」で終わるのか。

 それとも……。


 ふと、自らの手をじっと見やる。


 彼の手を握った瞬間、時空干渉に乱れを感じた。

 乱れたのはおそらく、彼の魔法抵抗力の高さゆえに。


(本当に、面白いですね)


 利用できるのならば、利用する。

 そうでないのなら……。


(様子を見ましょう。今は、まだ)


 私は、未だ微笑みを崩してはいない。


________________________________________


『!!』


 時間が流れを取り戻すと共に、ベラールの民は大きくたたらを踏んだ。


「な、今のは……」


 はじめに声を発したのは、ナラシンハ。

 フォルトゥナの言った通り、俺と彼女の会話は認識に組み込まれたらしく。

 その表情には驚愕が張り付いていた。


 そのことはナラシンハに限らず、この場にいる俺以外の全員に共通して言えた。


「十天神……とは。お伽噺の中でしか聞いたことがないぞ。実在するとは思わんかったのう……」


「へー。そうなのか」


 ニナの言葉に適当な相槌をうつ。


「拙者はジパングの民ゆえ、こちらの信仰には疎い。が、さすがに運命神フォルトゥナの名前くらいは、聞いたことがある」


「そ、そうですね。ヴァルハラで祀られてる神様ですし……。多分、ミッドガルドで一番有名な神様なんじゃないでしょうか」


 あ、やっぱりそうなのか。

 ナツメとラティはそれぞれ、ジパングとチコメコ・アトル大森林の出身。

 ヴァルハラにまったく関係のない2人が知っているのだから、有名なのは間違いない。


「だが……納得はいかない、な。どうせならもっとはやく……いや、これは言うまい。結局は我々の力不足にも原因はあったのだから」


 ナラシンハと、ベラールの人々が暗い顔で俯く。


「まあそんな事より……」


 俺が発言すると、その場の全員の視線が集まった。


「神は退けたんだから、約束通り、ラティは俺の嫁な」


『…………………えっ!?』


 驚きがハモった。


「そそ、そんな約束してましたか!?」


「あれ? してなかったっけ?」


「しとらんわっ!」


「竜輔殿……」


「だだだ、ダメだっ! ラティは一生嫁にはやらないぞ!」


「えっ……。お父さん、一生はちょっと……」


「なっ。まさかラティ!?」


「ちち、違います! リュースケさんにってわけじゃなくて! 一般的に考えて! いつかはお嫁に!」


『お嬢……お幸せに』


「えぇ!? 何でみんなもう認めてるんですか!?」


「コラー! お前たち! 勝手なことを言うんじゃなーい!」


 やいのやいの。


 ニナが頬を膨らませながら俺の腹に突撃して。


 ラティが顔を真っ赤に染めながら弁解して。


 ナツメが苦笑を漏らしながら折れた刀を鞘に戻して。


「いてっ。ははは」


 ようやくいつもの空気に戻ってくれた。

 俺はニナを受け止めながら、声を上げて笑う。


「リュースケっっ! 貴様に、ラティは、絶対に、やらんぞーー!」


 ナラシンハの怒声が、高く澄み渡るテオトル山の空に吸い込まれていった。


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