第12話 英雄、英雄を知る
広大な森林地帯と、それを切り拓いて造られた街道を遥か眼下に、俺たちは天を行く。
しかし空の旅は快適だが、ひとつ重要な問題点がある事に気がついた。
「雨が降ったらどうしよう……」
『確かに……これ程の距離を飛んだ事はなかったから、気づかんかったのう』
ニナが言うには、竜型で濡れても人型に戻れば乾いているとのことなので、ニナは問題ない。
俺もレインコートのようなものがあればいいのだが、御者を雇って馬車で行くと思ったのか、城で用意してもらった荷物には入っていなかった。
フード付きの外套はあるが、やや心許ない。
幸い、今は晴天だ。
地球で言えば太陽に相当する天体が、進行方向、南の空に高く昇っている。少々眩しい。
そんなアレコレを話しながら、俺たち――というかニナ――はそれなりの速度で飛行している。
時速30~40キロメートルといったところだろうか。
自動車や電車での移動に慣れた日本人からすれば、体感としてはそう速くは感じない。
だが馬車の速度はだいたい時速10~20キロメートルくらいだと聞いた事があるので、それに比べればかなりの速さだ。
とはいえ、地図によれば白竜城はドラッケンレイでも最北端に当たる。
位置関係的には、人間たちの領地へ辿り着く前に蒼竜城か緑竜城の城下を経由するのが無難だろう。
というか、経由しなければ俺は死ぬ。
「腹減った……」
食料の入った荷物を見つめる。
『駄目じゃからな』
「わかってるよ」
食料は計画的に消費しなければならない。
わかってはいても、燃費の悪い俺の身体は栄養分を欲していた。
おかしいな……いくらなんでもこっちに来る前はここまで腹ペコキャラではなかったはずだ。
異世界に来たことが何か関係しているのかもしれない。
もしくは、ニナの魂の伴侶になったことが。
「竜の肉ってうまいのかな……(ボソ)」
『リュースケ!? わらわは食べ物ではないぞ!?』
「冗談だ」
『本気の気配を感じたが……』
食べられるのを怖れたか、ニナはにわかに速度を上げた。
『ん?』
「どうした」
『何かおる』
ニナの視線を追うと、まだかなり先だが、確かに街道に何か見える。
「馬車……だな」
『よく見えるのう……。竜人のわらわでもしかとは見えぬのに』
「あれは……」
馬車は、四足歩行の大きな生物の群れに囲まれていた。
狼のようにも見えるが、その毛色は漆黒。
体長は2メートルから3メートルはあるか?
距離が縮まり、ニナもその姿を確認したようだ。
『魔物! 黒狼じゃ! 街道までは滅多に出てこない種なんじゃが……』
ひーふーみーの4匹か。
「強いのか?」
『群れをなしているので厄介じゃが、1対1なら一般的な竜人の方が強いな』
「よし、食う……助けるぞ!」
『今、食うと申したか?』
「下降!」
『助けることに異存はないが……』
ニナは黒狼の1匹を目がけて一気に滑空する。
俺は風圧に目を細めた。
ニナの爪が黒狼に届く寸前、体を宙に躍らせる。
俺は別の1匹、蒼い髪の男が組み合っていた黒狼に、勢いのまま飛び蹴りをかます。
「ギャウン!」
黒狼は悲鳴を上げて地面を転がり、そして舌をだらんと垂らしたまま動かなくなった。
「結構堅いな……おいしくないかも」
大地に降り立った俺は、目を丸くしている男をチラリと確認してから、ニナの方に振り返る。
白竜の力強い足に押さえつけられた黒狼も、すでに息は無いのかピクリともしない。
「グルル……」
残った2匹は、警戒するように唸りながら後退る。
「……お前たちも、食われたいか?」
食欲を込めて睨みつける。
俺の言葉を理解したわけでもないだろうが、黒狼たちはビクリと体を震わせて、森の奥へと消えて行った。
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助けた男はマテウスという名の商人だった。
蒼い髪に水色の瞳は蒼竜人の証。
丸々と太ったお腹は商人の証?
竜人の常で見た目は若いが、実年齢は43歳だそうだ。
「いやー。本当に助かりました。ありがとうございます」
「ひひふふは」
「気にするな、と言っておる」
助けたというより、食料を確保したに過ぎない。
俺は皮を剥いで丸焼きにした黒狼の肉を噛みしめる。
もっきゅもっきゅ。
「……おいしいのですかな?」
マテウスが興味半分、恐怖半分といった様子で尋ねてくる。
「……ごくん。筋肉質だから筋張っていて、堅い。調味料もないから大味だ。はっきり言って、まずい」
ガブッ。ブチブチッ。もぐもぐ……。
「その割によく食うのう……」
人型に戻ったニナは、呆れたように傍で見ている。
「あ、塩なら馬車にありますぞ。取って参ります」
「も、ふぁむいま」
「お、悪いな、と言っておる」
もらった塩を振りかけて食べる。
多少はましになったが、やはり美味いとは言えんな、コレは。
「ふー。食った食った」
カラン、と最後の骨を放り捨てた。
「2匹を丸ごと……化物か……」
「凄まじい食欲ですな……」
「さて、助けてやった報酬の件だが」
「件と言われても初耳ですぞ!? とるのですか!?」
「当たり前だ」
「タダより高いものはないのじゃ」
ニナ……良くも悪くも俺の相棒に相応しいヤツ。
というかその慣用句こっちにもあるのか。
「心配しなくても大したことじゃない。マテウスは蒼竜城の城下町に向かってるんだろ? 俺たちも馬車に乗せてってくれ」
俺は、いつの間にやらすっかり雲に覆われた空を見上げながら言う。
マテウスの馬車には幌がついているので、雨が降っても大丈夫だろう。
「ああ。そのくらいでしたら」
マテウスはほっとしたように了承した。
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小降りな雨の中、マテウスの幌馬車はゆっくりと前進していた。
「ええ!? リュースケ殿は人間なのですか!?」
「まあな」
俺は腹ごなしに片手腕立て伏せをしながら、御者台のマテウスと話していた。
ニナは俺の背中に座ってご満悦である。
「では、どうやって空から?」
「わらわの背に乗せておったんじゃ」
何故かニナが得意気に語る。
提案したのは俺だぞ。
「なるほど、背に……そんな手があったのですなあ」
マテウスは感心したように言った。
「まあ余程信頼しておる相手でないと、乗せる気はせんけどの」
「そうですな」
竜人同士、頷き合っている。
どうやら蒼竜人も飛べるようだ。
俺は背中からニナを降ろし、腕立て伏せを切り上げる。
異世界に来たのだし、鍛えてみようと思ったが、ダメだ。腕立て伏せくらいでは何回やっても辛くない。あと面倒臭い。
「しかし人間にしてはとんでもなくお強いですが……」
「生まれつきだ。気にするな」
「はあ」
マテウスは納得していないようだったが、本当の事なのだから仕方がない。
「まるで、伝説の英雄のようですな」
「伝説の英雄?」
「おお。そういえばそうじゃのう」
俺はニナに小声で聞いてみる。
「(何の話だ?)」
「(リュースケは知らんのじゃったな。ミッドガルドに伝わる、子供でも知っとるお伽噺じゃ)」
かつてミッドガルドを「殺すことのできない怪物」が襲った。
人の技術も、獣人の速さも、竜人の力も、魔人の魔力も、
怪物には通用しなかった。
世界の滅亡の危機に、立ち上がったのは1人の竜人。
卓越した力を持ったその竜人は、怪物を撃退することに成功する。
だがその代償に、英雄はミッドガルドから永久に姿を消すことになる。
「(それが英雄『ジークフリート』の伝説じゃ)」
ジークフリートて。
ドイツの英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」の竜殺しの英雄と同じ名前かよ。
竜人なのに……。
生まれながらにして強い力を持っていたというのなら、確かに似ていると言えなくもない。
でもジークフリートは努力の末にその力を手に入れたのだと思う。
だからきっと、俺とジークフリートは似ていない。
むしろ俺が似ているのは――
「リュースケ殿はきたる魔軍との戦争に、神が遣わした新たな英雄かもしれませんな」
「よしてくれ。英雄なんて柄じゃない」
どちかといえば、魔軍の仲間になって世界征服した方が面白そうだ。
「リュースケ。何かよからぬことを考えておらぬか?」
「全然」
ポーカーフェイス。
パッカパッカパッカ。
カラカラガタン。
馬車はマイペースに、蒼竜城へと車輪を回す。